第41回から第43回(2021年 - 2023年)はピクシブ株式会社・株式会社ブックリスタ協賛で行われた[14][15][16]。 本賞の制定にあたり、「SFのプロ」として動いたのは小松左京である。第1回(1980年度)受賞作として刊行された徳間文庫版『太陽風交点』の[17]解説に続けて収録された「SFの原点をいきいきと保持する作品――選評にかえて――」において(以下、注記あるまで参考文献は同書)小松が説明しているところによれば、1980年6月の日本SF作家クラブ総会で設置が決定され、その後徳間書店による後援と副賞・授賞式・誌上発表について協定が成立、作家クラブ総会で承認、という経緯で設置された。銓衡[18]の経過は、授賞作への選評以外を非公開とすることもそこで述べられている。 続いて同書に収録されている、日本SF作家クラブ代表として小松左京と、筒井康隆(当時事務局長)の連名の「『日本SF大賞』を設定するにあたって」では、「SFを専門とする立場から顕彰する必要もまた、増大」「SFを専業とするものの責任において……表彰」といったことが述べられている。特に文筆以外の活動についても、「もし、他のジャンル、たとえば映像、漫画、SFアート、あるいは音楽などの分野にその年度においてきわだってすぐれた業績があれば、考慮の対象とする事を妨げません」とあり、当初からの姿勢であったことが窺える。(徳間文庫版『太陽風交点』にもとづく記述ここまで) 筒井康隆による述懐によれば、会員へのアンケート結果と候補作を発表しないのは落選作が分からないようという配慮で、直木賞の落選経験を持つ筒井の意向だったという[19]。また筒井としては、筒井が高く評価していた大江健三郎の『同時代ゲーム』が不遇だったため、受賞させて再評価させようという意図があったという[20][21]。 本賞の受賞年表記は、対象期間最終日(8月31日)の属する年度を基準としている。実際の受賞年は表記年の翌年。
制定の経緯
受賞作一覧
第1回から第10回
第1回(1980年) - 堀晃 『太陽風交点』
第2回(1981年) - 井上ひさし 『吉里吉里人』
第3回(1982年) - 山田正紀 『最後の敵』
第4回(1983年) - 大友克洋 『童夢』
第5回(1984年) - 川又千秋 『幻詩狩り』
第6回(1985年) - 小松左京 『首都消失』
第7回(1986年) - かんべむさし『笑い宇宙の旅芸人』
第8回(1987年) - 荒俣宏 『帝都物語』
第9回(1988年) - 半村良『岬一郎の抵抗』、横田順彌・會津信吾 『快男児・押川春浪』
第10回(1989年) - 夢枕獏 『上弦の月を喰べる獅子』、特別賞 手塚治虫
第11回から第20回
第11回(1990年) - 椎名誠 『アド・バード』
第12回(1991年) - 梶尾真治『サラマンダー殲滅』、特別賞 石原藤夫『SF図書解説総目録』および『「SFマガジン」インデックス』
第13回(1992年) - 筒井康隆 『朝のガスパール』
第14回(1993年) - 柾悟郎『ヴィーナス・シティ』、特別賞 黒丸尚
第15回(1994年) - 大原まり子『戦争を演じた神々たち』、小谷真理『女性状無意識』
第16回(1995年) - 神林長平『言壷』、特別賞 野田昌宏『「科學小説」神髄』
第17回(1996年) - 金子修介 『ガメラ2 レギオン襲来』
第18回(1997年) - 宮部みゆき 『蒲生邸事件』、庵野秀明 『新世紀エヴァンゲリオン』
第19回(1998年) - 瀬名秀明 『BRAIN VALLEY(上・下)』、特別賞 星新一、NHK人間大学(野田昌宏)『宇宙を空想してきた人々』、井上雅彦監修 『異形コレクション1?6』
第20回(1999年) - 新井素子『チグリスとユーフラテス』、特別賞 光瀬龍
第21回から第30回
第21回(2000年) - 巽孝之編『日本SF論争史』
第22回(2001年) - 北野勇作 『かめくん』
第23回(2002年) - 古川日出男『アラビアの夜の種族』、牧野修『傀儡后』
第24回(2003年) - 冲方丁 『マルドゥック・スクランブル』