日本SF作家クラブ
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9永井豪(1996?1999)高千穂遙
10大原まり子(1999/09?)斉藤英一朗
11神林長平(2001/09?)嶋田洋一
12山田正紀(2003/09?)武田康廣
13谷甲州(2005/09?)東野司
14高千穂遙(2007/10?)久美沙織
15新井素子(2009/10?)井上雅彦
16瀬名秀明(2011/10?)増田まもる
17東野司(2013/03?)北原尚彦森岡浩之
18藤井太洋(2015/09?)森岡浩之→YOUCHAN
19林譲治(2018/09?)鬼嶋清美
20池澤春菜(2020/09?)榎木洋子
21大澤博隆(2022/09?)揚羽はな


括弧内は在任期間

入会資格

設立当初は親睦団体という性格が強く、新規入会は全会一致で承認された場合のみという会則が設けられていた[注 1]。そのため、後に会員となった荒俣宏は当初入りたくても入れなかったという[18]。現会員の高野史緒についても、2回の入会拒否があったという[19]

山田正紀会長時代の2005年に会則が改定され、3名以上の会員の推薦が有る場合に推薦文が事務局通信に掲載され、そこで異議申立てがなければ総会に諮られ、総会参加者の2/3以上の賛成で入会が認められる、という形になった[9]。また日本SF大賞受賞者には推薦不要で、いきなり総会で入会の可否が諮られる権利が与えられる[9]。ただ入会資格については、長年の運営の間に「プロとして一冊以上の単独著書がある」などの不文律が作られており、その経緯についても過去の議事録等が十分に整備されていないことから不透明な部分があったという[9]

2017年の一般社団法人化に伴い定款が整備され、定款第6条において「原則として会員3名の推薦を受け(ただし日本SF大賞等の受賞者については会長による推薦でこれに代える)、会員からの意見を公募した上で、理事会において入会の可否を決定する」旨が定められた[20]
エピソード

酔っ払うと珍妙な言動をする星新一により、入会資格に「死んだ人はダメ」「宇宙人はダメ」「はダメ」[注 2]「星新一(178cm)より背の高い人はダメ」[注 3]「筒井康隆よりハンサムな人(定義不明)はダメ」「小松左京(自称85kg)より重い人はダメ」などの珍妙な条文が盛り込まれた[21]。この身長の不文律田中光二(190cm)が入会した際、星は例のジョークで足を詰めたら入会を認めてやるとのたまわったが、無事入会を認められ不文律は形骸化した。この不文律が形骸化したためのちの鏡明など「大型作家」の入会に道を開くことになる[22]

まだ、商業用原子炉が1基も稼働してない時代に、研究炉JRR3という原子炉を見学している。その時なんと原子炉格納容器の中まで入れてもらえた。筒井康隆は鉛煉瓦を持ち上げた[22]

小松左京にとってSF作家クラブは、SFを語り合ったり、バカ話のできる仲間に会える場であり楽しくて仕方がなかった。特に星の存在は大きく、世の中にこんなおかしな人がいるのかと思った。当時、64年に東海道新幹線が開通するまで、大阪から東京に出てくるのは夜行で13時間かかったが、それでも集まりに参加したのは、星に会いたかったからだった[23]

2019年ごろ以降、落語家、科学技術研究者、音楽家、デザイナー、ゲーム作家、架空戦記作家、漫画家、Web上でのSF小説愛好家など、従来の「SF作家」の枠に収まらない会員の入会が増えている傾向にある。
主な入会拒否者・退会者
柴野拓美
クラブ発足時、同人誌『宇宙塵』を主宰しており、『SFマガジン』とともに当時の日本SFを牽引していたが、上述のような福島正実の意図により外されていた[24][25][26]。福島が死去した翌年の1977年に日本SF作家クラブが「宇宙塵創刊20周年を祝う会」を主催して功績を称え[3]、後に柴野は入会している。
山野浩一
日本のニュー・ウェーブSF運動を先導していたが思想の違いから再三の誘いを拒んだ[27]。のち2007年の世界SF大会の「speculative japan」パネルに出席し、翻訳家増田まもるが創設したサイト「speculative japan」の理念に賛同したことから、2008年1月に入会した[28]
川村哲郎斎藤守弘
創設時の会員だが、後に名簿から名前が消えた[29]
荒巻義雄
外部からSFの評論をしたいとして1985年から退会していたことがあった[30]
眉村卓


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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