2007年(平成19年)4月、日産自動車とともに自動車アプリケーション用リチウムイオン電池の開発を行うオートモーティブエナジーサプライを設立した。2010年にはリチウムイオン電池専門のNECエナジーデバイスを設立。2012年(平成24年)4月には、社内にスマートエネルギー事業本部を設置した[36]。2014年5月にはNECエナジーソリューションズを北米に設立した[37]。しかし、2017年にオートモーティブエナジーサプライ・NECエナジーデバイスともに株式を売却する方針と発表[38]、2019年3月に売却した[注釈 5]。北米のNECエナジーソリューションズも2021年9月に売却した[42]。このように、2000年代後半から2010年代にかけて注力した蓄電池等のスマートエネルギー関連事業は、2020年代には縮小した。2023年の時点で社長を務める森田隆之は、インタビューで2019年の売却を「失敗」と評し、「売らなければ今、花開いているであろう事業です」と述べた[43]。
2009年3月期決算(2008年度)は、主に半導体分野などの不振が響き、営業損益で62億円、当期損益では2966億円の赤字となった[44]。決算発表で社長の矢野薫は「不採算事業の撲滅」を掲げ、経費の見直しとともに人員削減にも取り組むと述べた[44]。この方針の一環として、2009年度中に国内研究員の約15%(約150人)を製品開発や営業、SEなどの事業部門に異動させる方針と報じられた[45]。
2010年(平成22年)、6月13日、NEC東芝スペースシステムが主製造業者として製造した「はやぶさ」が世界初の地球重力圏外にある天体からのサンプルリターンに成功して地球に帰還する。
同年、携帯電話事業を分社化し、NECカシオ モバイルコミュニケーションズ(後にNECモバイルコミュニケーションズに改称)を設立する。また半導体子会社のNECエレクトロニクスはルネサス テクノロジと合併しルネサス エレクトロニクスとなった。
2011年(平成23年)1月27日、1980年代から国内シェア首位のPC事業を分社化し、世界シェア4位のレノボとともに合弁会社を設立すると発表した。これにより国内最大手のPC事業グループが誕生した[46]。
これらの統合による規模のメリットによって、パーソナルプロダクトのコストダウンやシェア拡大を目指す一方で、成長市場であるクラウドやスマートグリッドなどのビジネス・社会インフラ関係の分野での事業創出を図っている[47]。
2012年3月期決算(2011年度)は、営業利益は737億円となったものの、最終当期損益は1103億円の赤字で2期連続の赤字となる[48]。決算発表では、スマートフォンの伸び悩みやタイでの洪水によるサプライチェーンへの影響といった事業面での事情のほか、繰延税金資産の見直し、構造改革特別費用405億円の計上が赤字の要因として挙げられた[48]。これに先立って同年1月には業績の下方修正とともに1万人の人員削減を含む事業構造改革の実施を発表していた[48]。2013年3月決算期(2012年度)は304億円の当期利益に回復した[49]。
2011年に、SDN(Software Defined Network)を実現するOpenFlow技術を世界で初めて製品化したUNIVERGE PFシリーズを発売する[50]。2013年(平成25年)には、SDN戦略本部を設立し[51]、世界で初めて通信キャリア向けネットワークのSDN仮想化ソリューションを発売する[52]など、SDNを新しい事業の柱として据える方針を打ち出した[53]。しかし、SDNの先駆的な実用化に成功しながらシスコシステムズなどに市場の主導権を奪われたと、2017年の時点で指摘されている[31]。
2010年代にはシンガポールにセキュリティ関連事業の拠点「グローバルセーフティ事業部(GSD)」を設置[54]。
携帯電話はフィーチャーフォンの時代には2001年から2004年までの4年間国内シェアトップを占めていたが、2011年には7位まで落ち込んだ[55]。2011年発売のMEDIASによりスマートフォンに参入したものの、2013年7月に事業撤退を発表した[56]。フィーチャーフォンの開発は継続するとしたが、パーソナル事業から社会インフラ事業へのシフトがますます鮮明となる。フィーチャーフォンのみとなった携帯電話事業は2016年3月に、NECモバイルコミュニケーションズを解散する形で再びNEC本体直轄となった[57]。携帯電話事業の縮小をめぐっては、2012年に東京国税局の税務調査で、海外事業からの撤退に絡んで要求され支払った補償金などが交際費と認定され、約100億円分の所得隠しを指摘される事態も付随して起きた[58]。