日本選手権競輪
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第75回(2021年)は前年同様の影響により無観客で[注 7][11][12]、第76回(2022年)は事前抽選による入場制限を行った上で開催された[注 8][13][14]

第78回(2024年)では、令和6年能登半島地震を受け、令和6年能登半島地震復興支援競輪として実施される。
出場選手選抜方法

日本選手権競輪の出場選手は、競輪選手の証である賞金獲得額によって選抜される。毎回若干変更・修正されるものの、概ね以下の資格順位により正選手162名、補欠選手8名を選抜する[15]

選考期間…前年2月?当年1月(12か月間)[注 9]、選考月…2月、最低出走回数…48出走(但し変更となる可能性もある)

S級S班在籍者

過去3回以上優勝した者(開催時S級1班所属が条件)

選手選考対象期間において4か月以上JCFトラック種目強化指定(A)に所属した者(開催時S級1班所属が条件)※他のGIは2か月以上

賞金獲得額上位者


2005年大会では、1.と2.の間にアテネオリンピックトラック競技ナショナルチーム(長塚智広伏見俊昭井上昌己の3名)が加えられた。

なお、補欠選手は正選手を除く、賞金獲得額上位者からさらに順次選抜される。

また、正選手のうち、S級S班在籍者と賞金獲得額上位者の合計27名については、特別選抜予選競走に出走できる。
勝ち上がり方式

6日間とも11レース。

6日制GIの中で唯一、各選手の出走回数が4回となっている。そのためGIの中で唯一、シード番組以外の勝ち上がり戦は車券に絡む3着入着が勝ち上がりの絶対条件となる厳しい条件となっている(GIIまで広げると、サマーナイトフェスティバルが3着入着が求められる特別競輪となる)。

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特選予選
(1)(2)GR賞
(1)準決勝
(3)
二次予選
(5)(2)決勝
(1)
一次予選
(10)(5)
敗者戦00-00(4)(6)(8)(8)(10)


初日・2日目
「一次予選」 合計15レース(初日10レース・2日目5レース)行われ、各レース1?3着45名が「二次予選」進出。「特別選抜予選」 合計3レース(初日1レース・2日目2レース)行われ、各レース1?3着9名は無条件で、4日目の「ゴールデンレーサー賞」と5日目の「準決勝」進出権利が同時に得られる。4?9着18名は「二次予選」進出。

3日目・4日目
「二次予選」 合計7レース(3日目5レース・4日目2レース)行われ、各レース1?2着14名と3着7名のうち一走目の着順上位(特別選抜予選回りが優先[注 10])4名が「準決勝」進出。「ゴールデンレーサー賞」 二次特別選抜予選として、4日目の最終レースに行われる。失格しない限り9名全員が「準決勝」進出。

5日目
「準決勝」 後半3レース。各レース1?3着9名が「決勝」進出。

6日目(最終日)
「決勝」 最終レース。上位3着は表彰式で表彰台に上がることができる。また、優勝者には優勝インタビューやウイニングランなどが執り行われる。「順位決定」 「決勝」の一つ前のレース。「準決勝」各レース4?6着9名により行われる。「優秀」 「順位決定」の一つ前と二つ前のレース。「準決勝」各レース7?9着9名と、二次予選敗退選手による「特選(1)」各レース1?2着6名及び「特選(2)」各レース1着3名により行われる。

その他、2日目以降の前半に予選敗退者を対象とした以下の競走が開催される。2日目…「一般(1)」×43日目…「一般(1)」×4、「選抜」×24日目…「一般(2)」×4、「特一般」×2、「選抜(1)」×25日目…「一般(2)」×2、「一般(1)」×1、「特選(2)」×3、「特選(1)」×26日目(最終日)…「選抜」×2、「特選(2)」×3、「特選(1)」×2
途中帰郷

本大会では斡旋される正選手の数が4日制GIの1.5倍と多いのに対して一日ごとの競走に対する出走可能選手が少ないため、一次予選を敗退した選手は4?5日目の「一般(2)」または5日目の「一般(1)」を走った後、失格の有無に関わらず最終日を待たずに途中帰郷(俗に言う「お帰り」)させられる[注 11]。なお二次予選に進出した者は決勝に進めなくても失格にならない限り、「順位決定」レースや「優秀」レースなど、最終日の出走が保障される。

他のGI競走のうちオールスター競輪では途中帰郷の対象者は傷病理由の途中欠場がなかった場合でも多くて36人止まり[注 12]だが、本大会の場合は最大で63人がお帰りの通告を受ける可能性があり[注 13]、他の競走と比べて実に7倍に達する。早い選手では3日目の午後に斡旋契約解除の通知を受けることもあり、最終日のレース前には数十人が既に開催競輪場を離れ、帰郷の途についていることになる。

また、失格や負傷などにより途中欠場が多数発生した場合でも補充選手は一切充当せず、代わりに途中帰郷の対象となっていた選手を帰郷させずに出走させることによって欠場を埋める形としている。これは「GI最高峰の開催である日本選手権競輪に出走できるのは、選考によって選抜された選手のみにすべき」という思想を制度に反映したものである。特に日本選手権競輪とオールスター競輪に関しては途中帰郷者が多く発生することから補充する必要がないため、急病などで当日欠場が発生しない限り敗者戦も含めて全てのレースで9車立てにて行われている。
過去の優勝者

以下は全て競走車(ピスト)部門。第10回まで行われた、実用車(軽快車)部門の優勝者は外部リンクを参照。
なお、第1回、第2回は甲規格・乙規格とで分かれて開催された(前期日程が甲規格、後期日程が乙規格)。

回年決勝日開催場優勝者GDR賞勝者
氏名府県氏名府県
11949年6月11日大阪住之江横田隆雄大阪
6月12日
21949年10月23日川崎横田隆雄大阪
10月24日小林源吉埼玉
31950年5月9日名古屋宮本義春熊本
41951年5月6日後楽園山本清治大阪
51951年10月5日大阪中央高倉登[注 14]埼玉
61952年5月6日川崎
71952年11月3日後楽園宮本義春熊本
81953年11月3日大阪中央中井光雄滋賀
91954年11月3日川崎松本勝明京都
101955年11月3日大阪中央
111956年11月3日後楽園坂本昌仁大阪
121957年11月3日佐藤喜知夫北海道
131958年11月4日吉田実香川
141959年11月2日石田雄彦和歌山
151960年11月3日吉田実香川
161963年3月25日一宮西地清一[注 15]大阪
171964年2月13日後楽園笹田伸二徳島
181964年11月10日石田雄彦[注 15]和歌山
191965年11月3日笹田伸二徳島
201966年11月1日宮路雄資熊本
211967年11月1日平間誠記宮城
221968年11月5日吉川多喜夫神奈川
231970年2月16日一宮工藤元司郎東京
241970年11月6日岸和田荒川秀之助宮城
251972年3月7日千葉河内剛宮城
261973年3月20日西武園阿部道宮城
271974年2月19日田中博群馬福島正幸群馬
281975年3月25日千葉高橋健二愛知伊藤繁神奈川
291976年4月3日新井正昭埼玉藤巻清志神奈川


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