日本選手権シリーズ
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1974年のロッテ主催の第3戦から第5戦は、本拠地登録していた県営宮城球場の収容人数が3万人未満であり、施設が未整備であることから同球場ではなく、後楽園球場を使用した[注 12][19]

1979年1980年の近鉄主催全ゲームは、本拠地だった日本生命球場の収容人数が日本シリーズ開催基準の3万人に満たなかったこと[注 13]、同じく近鉄の保有する藤井寺球場もナイター用の照明設備が設置されていなかったことにより、南海ホークスの本拠地である大阪スタヂアムで代替開催した。

1981年は両リーグの出場チームが、本拠地がともに後楽園球場である巨人と日本ハムだったため、全6戦が同球場で開催され、「後楽園シリーズ」と呼ばれた。

1986年は第1戦は引き分けで始まり広島が3連勝したが、西武も3連勝し第7戦終了時点で3勝3敗1分になり、急遽第7戦で使用した旧広島市民球場で初の第8戦以降を行って勝敗を決することとなった。第8戦で西武が勝利し決着がついたが、当時のルールでは第8戦以降も回数無制限ではなく、仮に引き分けならば1日の移動日を設けて西武ライオンズ球場で第9戦以降も行うことになっていた。

2000年は巨人とダイエーの対戦となったが、3年前の1997年に、大規模な国際学術集会の会場を探していた日本脳神経外科学会から貸し出し依頼を受けた福岡ドーム側が、日本シリーズの日程と重なる2000年10月24日から27日までを球団の許可なく既に貸し出していた。これは1997年当時ホークスは南海時代から続く20年連続のBクラスであったため、リーグ優勝の可能性が低いと見越してのものである。ところが翌1998年に福岡移転後初のAクラス入りを果たし、日本シリーズの開催可能性が高まったため球団が日本脳神経外科学会に日程変更を求めたが、各国から2万人以上の人員が集結する大規模な総会であり、すでに様々な関連の手配が終わっていることもあり断られた。そこでダイエー球団の中内正オーナー代行(当時)がNPB側に「シリーズ開催地のセ・パ入れ替え」、「シリーズ日程そのものの変更」、「他のパ・リーグチームの本拠地球場での開催」、「北九州市民球場長崎ビッグNスタジアムなど九州内の他球場での開催」などを申し入れたが、いずれも却下となった。脳科学会側から、一部日程を短縮して時間帯を空けるなどの協力を得られたこともあり、「東京ド・東京ド・福岡ド・休み・休み・福岡ド・福岡ド・東京ド・東京ド」と言う移動日なしの9日間変則日程で行うことが8月21日に発表された。なおシリーズ終了後、ダイエー球団は開催日程確保を怠ったとして、NPBから制裁金3,000万円(球団または個人への制裁金として最高額)を科された。

2010年台風14号の接近懸念が指摘されており、10月30日10月31日のナゴヤドームでの試合が中止となった場合は、本来なら第2・3戦の間の移動日はそのままとし、第5・6戦の移動日を割愛して実質最大5連戦とする日程になるところを、テレビの全国中継が4試合しかない(第1・2・5戦は衛星放送のみ。地上波は県域放送だけ)ことに配慮する形で、第2・3戦の移動日を割愛して最大5連戦として、第5・6戦の移動日はそのままとする日程が設定された。台風による影響は無く、開催日程変更は行われなかった。

2020年は、巨人の本拠地・東京ドームが他大会開催のため使用できず、巨人のホームゲームは京セラドーム大阪で開催することとなった。この年は元々東京オリンピックに対応する日程のため11月7日から開催される予定だったが、世界的な新型コロナウイルス感染症流行のため公式戦開幕が大幅に遅れ、日本シリーズも予定より2週間遅れの11月21日に開幕する予定となった。しかし東京ドームでは11月22日より都市対抗野球大会を開催する予定となっていたため使用できず、京セラドーム大阪を使用することとなった[20][注 14][21]。なおこの例と同様に明治神宮野球場(ヤクルト)、ナゴヤドーム(中日)も他大会・イベント開催のため日本シリーズの開催ができない状況に置かれていたが、明治神宮野球場での明治神宮野球大会(11月20日 - 11月25日予定)は感染症防止のため中止となり、またナゴヤドームでのAAAのコンサート(11月28・29日予定)も2021年度以後に公演日を延期しため、最終的には使用可能となった。

2021年は、当初は11月13日開始予定だったが、一部球団の新型コロナウィルス感染、並びに雨天中止が相次いだことを踏まえ、11月20日に開始を変更(これにより、クライマックスシリーズ10月30日開始を11月6日に順延)。11月中に決着が付くようにするため、11月29日までに決着が付かなかった場合、11月30日の試合前に勝ち星が同じ場合は延長無制限、勝ち星1つの差で迎える場合は12回打ち切りとしつつ、そこで勝ち星が同じとなった場合は、正規の試合終了後、タイブレーク方式の優勝決定戦を行う(11月30日の試合が雨天中止となった場合であっても、12月1日以後への順延はしない)。また状況によっては11月28日までで打ち切って、どちらかが4勝して日本一を決めきれない場合、打ち切り時点での勝ち星の多いチーム、それでも同じ場合は得失点率を参考として優勝を決める可能性があるほか、ヤクルトの神宮は明治神宮野球大会(11月20-25日予定)のため使用できず、セ・リーグ主管の第3-5戦が予定される11月23-25日の3試合は東京ドームで、オリックスの京セラドーム大阪もパ・リーグ主管の第6・7戦が予定される11月27・28日にAAAのコンサートがあり使用できないため、ほっともっとフィールド神戸でそれぞれ主催した。また所定の日程通りに開催し、第7戦までで引き分けなどがあった場合で決着が付かなかった場合、第8戦は本来のオリックス主管試合で京セラドームを使用するが、上記の通り12月1日以後は順延しない取り決めとしているため、第9戦はヤクルト主管試合の扱いとするも、移動日・休養日を挟まず、第8戦の翌日に引き続き京セラドームを試合会場として開催する計画であった[22]

ビデオ判定

2015年の第5戦に於いて、ソフトバンク・李大浩の打球は左翼ポールの上を通過し、左翼線審はポールを巻いたとして本塁打と判定したが、ヤクルトの真中満監督から「ファウルではないのか」と抗議があり、審判団による7分にも及ぶビデオ判定を経て、判定は覆らず本塁打となった。なお、NPBにおいて2010年にホームランを巡るビデオ判定が導入されて以来、シリーズでのビデオ判定は史上初[注 15][23][24]

2016年の第2戦では、同年より導入された本塁クロスプレーでのビデオ判定が行われた。6回裏、無死二塁の場面で広島・菊池涼介バスターに切り替えて打った打球はレフト前へ抜け、これを見た二塁走者の田中広輔は本塁へ向かったが、日本ハム左翼手・西川遥輝から捕手・大野奨太へ際どいタイミングで返球され、球審の白井一行はアウトと宣告した。これに広島の緒方孝市監督がビデオ判定を要求、審判団の協議によりビデオ判定が行われた。その結果、「大野のタッチより先に田中の手が本塁に触れていた」として、判定を覆して田中の生還を認めた[25]

同2016年の第5戦にも、2回表、無死一塁の場面で広島の下水流昂札幌ドームフェンス上で跳ね上がる打球を放ち、審判はインプレーと判定。一塁走者小窪哲也・打者下水流はそれぞれ三塁・二塁上で止まったが、緒方監督が本塁打ではないかとビデオ判定を要求した。審判団はビデオ判定の結果、打球はフェンストップで跳ね返ったものと判断し、判定は覆らず、無死二三塁で試合は再開された。


全試合同一都道府県内での開催

1970年の開催は両リーグの出場チームが、文京区の後楽園球場が本拠地の巨人と、荒川区東京スタジアムが本拠地のロッテであり、全試合が東京都での開催となったため、史上初めて同一都道府県内のみでの開催となった(東京シリーズまたはGOシリーズ[26])。同一都道府県での日本シリーズはこの1970年と上述の1981年(後楽園シリーズ)の2例のみ。

2019年現在は、2008年にオリックスが大阪府をフランチャイズ[注 16]とし、セ・パ両リーグの球団がともに本拠地を置く都道府県がないため、通常のフランチャイズ制度下では同一都道府県で開催されることはない。
全球団が1度以上日本一を経験

2004年に1度も日本一になれないまま合併消滅した近鉄に代わって、2005年に新規加入した楽天が2013年のシリーズで日本一になったことにより、NPB設立以来史上初となるNPBに加盟している全12球団が全て日本一を経験ということになった。なお、パ・リーグに関しては、元号が令和になる前年の2018年時点でNPB設立以来史上初となる同一年号中にパ・リーグに加盟する全6球団が日本一を経験したことにもなった(セ・リーグは、阪神と広島が平成30年間で一度も日本一になれなかった)。


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