この節の加筆が望まれています。 四輪車三菱ふそう・キャンター三菱ふそう・スーパーグレート三菱ふそう・エアロエーストヨタ・スープラトヨタ・ハリアートヨタ・クラウンマツダ・CX-60マツダ・CX-8マツダ・ロードスターマツダ・MAZDA3 二輪車 戦後における日本車の本格的な海外輸出は、1949年(昭和24年)12月1日の外国為替及び外国貿易管理法、および輸出貿易管理令 民間輸出業者に続き、メーカーも海外輸出を再開したが、当初の輸出先は本土復帰前の沖縄、台湾、タイ、ブラジルが主であった[14]。当初は、第二次大戦後の世界で普及途上であった一方、軍用車両生産によって日本での製造技術蓄積が進んでいたディーゼルエンジン搭載の大型トラック・バスが輸出の主力であった。 純粋な輸出による増産ではないが、1956年から始まった「U.S. Army Procurement Agency in Japan(APA)特需」も、生産技術の向上には好機となった[15]。 より外貨の獲得に有利な対米輸出は、1957年のトヨタのクラウンとランドクルーザーから始まった。当時はまだ技術力が低かったため、クラウンはオーバーヒートや焼きつき、操縦安定性の欠如、灯火類の照度不足などで市場不適合の烙印を押され、改良の甲斐もなく早々と輸出中止を余儀なくされたため[16]、設立当初の米国トヨタ(現・TMS
主なメーカー・ブランド
トヨタ自動車
トヨタ
レクサス
ダイハツ工業
日野自動車
サイオン ※現在廃止
トヨペット※現在廃止(販売チャンネルとして名は残る)
日産自動車
ニッサン
インフィニティ
ダットサン
プリンス ※現在廃止
三菱自動車工業
本田技研工業
ホンダ
アキュラ
マツダ
マツダ
アンフィニ ※現在廃止
ユーノス ※現在廃止
オートザム ※現在廃止
SUBARU
スバル
スズキ
いすゞ自動車
UDトラックス
三菱ふそうトラック・バス
光岡自動車
日本エレクトライク
本田技研工業
スズキ
川崎重工業
ヤマハ発動機
日本国外における日本車
その後各メーカーは欧米の技術を徹底的に模範、研究することで次第に評価が高まっていった[要出典]。
オイルショックや大気汚染問題が深刻化した1970年代に、ホンダによってCVCCが開発されるとその高い技術力や省燃費性に注目が集まるようになり、世界での評価は大きく高まった[18]。今では燃費の良さや、工作精度の高さによる故障の少なさ、そして安価である事が評判となり、世界各国で高い人気を得るまでになっている。
国交のない北朝鮮や、フセイン政権時代のイラクにも、商社を通じて輸出(主にトヨタ・ハイラックスや、同メーカーハイエースなどピックアップや大人数が乗車可能なバン)されている。チャド政府軍対リビア軍・反政府軍によるチャド内戦や、イラン・イラク戦争の際は、両軍ともに日本製のトラックや4輪駆動車に銃砲類を搭載した簡易戦闘車「テクニカル」を大量投入して戦闘を繰り広げ俗にトヨタ戦争とも呼ばれた。
ロシア連邦や東南アジア、南アジア、西アジア、アフリカ諸国など、多くの国に日本で使用されていた中古車が大量に輸出されており、ロシアやモンゴル国などでは、右側通行にもかかわらず右ハンドルのままで使用されている。特に商用車などは日本語の看板が描かれたまま使われているものも多い。
また、日本車に限定されるものではないが、盗難車の輸出も増え続けている。これには、自由貿易港を持ち、ジュベル・アリ・フリーゾーンでもあるドバイが存在する限り、有効な対策はないといわれている。