日本語
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現代日本語母語話者の直感には反するが、ハ行の連濁や「っ」「ん」の後ろでのハ行の音の変化をより体系的・合理的に表しうる[59][60]

また、「た行」では「」の子音のみ [t?s] を用いる。これらの子音に母音「あ」「い」「え」「お」が続くのは主として外来語の場合であり、仮名では「ァ」「ィ」「ェ」「ォ」を添えて「ファ」「ツァ」のように記す(「ツァ」は「おとっつぁん」「ごっつぁん」などでも用いる)。「フィ」「ツィ」は子音に口蓋化が起こる。また「ツィ」は多く「チ」などに言い換えられる。「トゥ」「ドゥ」([t?] [d?])は、外来語で用いることがある。

促音「っ」(音素記号では /Q/)および撥音「ん」(/N/)と呼ばれる音は、音韻論上の概念であって、前節で述べた長音と併せて特殊モーラと扱う。実際の音声としては、「っ」は [-k?k-] [-s?s-] [-???-] [-t?t-] [-t??-] [-t??-] [-p?p-] などの子音連続となる。ただし「あっ」のように、単独で出現することもあり、そのときは声門閉鎖音となる。また、「ん」は、後続の音によって [?] [m] [n] [?] などの子音となる(ただし、母音の前では鼻母音となる)。文末などでは [?] を用いる話者が多い。
アクセント「アクセント#日本語のアクセント」も参照

日本語は、一部の方言を除いて、音(ピッチ)の上下による高低アクセントを持っている。アクセントは語ごとに決まっており、モーラ(拍)単位で高低が定まる。同音語をアクセントによって区別できる場合も少なくない。たとえば東京方言の場合、「雨」「飴」はそれぞれ「ア\メ」(頭高型)、「ア/メ」(平板型)と異なったアクセントで発音される(/を音の上昇、\を音の下降とする)。「が」「に」「を」などの助詞は固有のアクセントがなく、直前に来る名詞によって助詞の高低が決まる。たとえば「箸」「橋」「端」は、単独ではそれぞれ「ハ\シ」「ハ/シ」「ハ/シ」となるが、後ろに「が」「に」「を」などの助詞が付く場合、それぞれ「ハ\シガ」「ハ/シ\ガ」「ハ/シガ」となる。

共通語のアクセントでは、単語の中で音の下がる場所があるか、あるならば何モーラ目の直後に下がるかを弁別する。音が下がるところを下がり目またはアクセントの滝といい、音が下がる直前のモーラをアクセント核[注釈 18]または下げ核という。たとえば「箸」は第1拍、「橋」は第2拍にアクセント核があり、「端」にはアクセント核がない。アクセント核は1つの単語には1箇所もないか1箇所だけあるかのいずれかであり、一度下がった場合は単語内で再び上がることはない。アクセント核を ○ で表すと、2拍語には ○○(核なし)、○○、○○ の3種類、3拍語には ○○○、○○○、○○○、○○○ の4種類のアクセントがあり、拍数が増えるにつれてアクセントの型の種類も増える。アクセント核が存在しないものを平板型といい、第1拍にアクセント核があるものを頭高型、最後の拍にあるものを尾高型、第1拍と最後の拍の間にあるものを中高型という。頭高型・中高型・尾高型をまとめて起伏式または有核型と呼び、平板型を平板式または無核型と呼んで区別することもある。

また共通語のアクセントでは、単語や文節のみの形で発音した場合、「し/るしが」「た/ま\ごが」のように1拍目から2拍目にかけて音の上昇がある(頭高型を除く)。しかしこの上昇は単語に固有のものではなく、文中では「あ/かいしるしが」「こ/のたま\ごが」のように、区切らずに発音したひとまとまり(「句」と呼ぶ)の始めに上昇が現れる。この上昇を句音調と言い、句と句の切れ目を分かりやすくする機能を担っている。一方、アクセント核は単語に固定されており、「たまご」の「ま」の後の下がり目はなくなることがない。共通語の音調は、句の2拍目から上昇し(句の最初の単語が頭高型の場合は1拍目から上昇する)、アクセント核まで平らに進み、核の後で下がる。従って、句頭で「低低高高…」や「高高高高…」のような音調は現れない。アクセント辞典などでは、アクセントを「しるしが」「たまごが」のように表記する場合があるが、これは1文節を1つの句として発音するときのもので、句音調とアクセント核の両方を同時に表記したものである[61]
文法

日本語は膠着語の性質を持ち、主語+目的語+動詞(SOV)を語順とする構成的言語である。言語分類学上、日本語はほとんどのヨーロッパ言語とはかけ離れた文法構造をしており、句では主要部終端型、複文では左枝分かれの構造をしている。このような言語は多く存在するが、ヨーロッパでは希少である。主題優勢言語である。
文の構造日本語の文の例上の文は、橋本進吉の説に基づき主述構造の文として説明したもの。下の文は、主述構造をなすとは説明しがたいもの。三上章はこれを題述構造の文と捉えている。

日本語では「私は本を読む。」という語順で文を作る。英語で「I read a book.」という語順をSVO型(主語・動詞・目的語)と称する説明にならっていえば、日本語の文はSOV型ということになる。もっとも、厳密にいえば、英語の文に動詞が必須であるのに対して、日本語文は動詞で終わることもあれば、形容詞や名詞+助動詞で終わることもある。そこで、日本語文の基本的な構造は、「S(主語)‐V(動詞)」というよりは、「S(主語)‐P(述語)」という「主述構造」と考えるほうが、より適当である。
私は(が) 社長だ

私は(が) 行く。

私は(が) 嬉しい。

上記の文は、いずれも「S‐P」構造、すなわち主述構造をなす同一の文型である。英語などでは、それぞれ「SVC」「SV」「SVC」の文型になるところであるから、それにならって、1を名詞文、2を動詞文、3を形容詞文と分けることもある。しかし、日本語ではこれらの文型に本質的な違いはない。そのため、日本語話者の英語初学者などは、「I am a president.」「I am happy.」と同じ調子で「I am go.」と誤った作文をすることがある[62]
題述構造

また、日本語文では、主述構造とは別に、「題目‐述部」からなる「題述構造」を採ることがきわめて多い。題目とは、話のテーマ(主題)を明示するものである(三上章は「what we are talking about」と説明する[63])。よく主語と混同されるが、別概念である。主語は多く「が」によって表され、動作や作用の主体を表すものであるが、題目は多く「は」によって表され、その文が「これから何について述べるのか」を明らかにするものである。主語に「は」が付いているように見える文も多いが、それはその文が動作や作用の主体について述べる文、すなわち題目が同時に主語でもある文だからである。そのような文では、題目に「は」が付くことにより結果的に主語に「は」が付く。一方、動作や作用の客体について述べる文、すなわち題目が同時に目的語でもある文では、題目に「は」が付くことにより結果的に目的語に「は」が付く。たとえば、

4. は 大きい。

5. 象は おりに入れた。

6. 象は えさをやった。

7. 象は 鼻が長い。

などの文では、「象は」はいずれも題目を示している。4の「象は」は「象が」に言い換えられるもので、事実上は文の主語を兼ねる。しかし、5以下は「象が」には言い換えられない。5は「象を」のことであり、6は「象に」のことである。さらに、7の「象は」は何とも言い換えられないものである(「象の」に言い換えられるともいう[64])。これらの「象は」という題目は、「が」「に」「を」などの特定のを表すものではなく、「私は象について述べる」ということだけをまず明示する役目を持つものである。

これらの文では、題目「象は」に続く部分全体が「述部」である[注釈 19]

大野晋は、「が」と「は」はそれぞれ未知と既知を表すと主張した。たとえば

私が佐藤です

私は佐藤です

においては、前者は「佐藤はどの人物かと言えば(それまで未知であった)私が佐藤です」を意味し、後者は「(すでに既知である)私は誰かと言えば(田中ではなく)佐藤です」となる。したがって「何」「どこ」「いつ」などの疑問詞は常に未知を意味するから「何が」「どこが」「いつが」となり、「何は」「どこは」「いつは」とは言えない。
語順:主要部終端型+左分岐

ジョーゼフ・グリーンバーグによる構成素順(「語順」)の現代理論は、言語によって、句が何種類か存在することを認識している。それぞれの句には主要部があり、場合によっては修飾語が同句に含まれる。句の主要部は、修飾語の前(主要部先導型)か後ろ(主要部終端型)に位置する。英語での句の構成を例示すると以下のようになる(太字はそれぞれの句の主要部)。

属句(例:他の名詞によって修飾された名詞)― "the cover of the book"、"the book's cover"など

接置詞に支配された名詞 ― "on the table"、"underneath the table"

比較 ー "[X is] bigger than Y"、例:"compared to Y, X is big"

形容詞によって修飾された名詞 ― "black cat"

主要部先導型と主要部終端型の混合によって、構成素順が不規則である言語も存在する。例えば、上記の句のリストを見ると、英語では大抵が主要部先導型であるが、名詞は修飾する形容詞後の後に位置している。しかも、属句では主要部先導型と主要部終端型のいずれも存在し得る。これとは対照的に、日本語は主要部終端型言語の典型である。

属句:「猫の色」

接置詞に支配された名詞:「日本に」

比較:「Yより大きい」

形容詞によって修飾された名詞: 「黒い猫」

日本語の主要部終端型の性質は、複文などの文章単位での構成においても見られる。文章を構成素とした文章では、従属節が常に先行する。これは、従属節が修飾部であり、修飾する文が統語的に句の主要部を擁しているからである。例えば、英語と比較した場合、次の英文「the man who was walking down the street 」を日本語に訳す時、英語の従属節(関係代名詞節)である 「(who) was walking down the street」を主要部である 「the man」 の前に位置させなければ、自然な日本語の文章にはならない。

また、主要部終端型の性質は重文でも見られる。他言語では、一般的に重文構造において、構成節の繰り返しを避ける傾向にある。例えば、英語の場合、「Bob bought his mother some flowers and bought his father a tie」の文を2番目の「bought」を省略し、「Bob bought his mother some flowers and his father a tie」とすることが一般的である。しかし、日本語では、「ボブはお母さんに花を買い、お父さんにネクタイを買いました」であるところを「ボブはお母さんに花を、お父さんにネクタイを買いました」というように初めの動詞を省略する傾向にある。これは、日本語の文章が常に動詞で終わる性質を持つからである。(倒置文や考えた後での後付け文などは除く。)
主語廃止論日本語・英語の構文の違い三上説によれば、日本語の文は、「紹介シ」の部分に「ガ」「ニ」「ヲ」が同等に係る。英語式の文は、「甲(ガ)」という主語だけが述語「紹介シタ」と対立する。

上述の「象は鼻が長い。」のように、「主語‐述語」の代わりに「題目‐述部」と捉えるべき文が非常に多いことを考えると、日本語の文にはそもそも主語は必須でないという見方も成り立つ。三上章は、ここから「主語廃止論」(主語という文法用語をやめる提案)を唱えた。三上によれば、

甲ガ乙ニ丙ヲ紹介シタ。

という文において、「甲ガ」「乙ニ」「丙ヲ」はいずれも「紹介シ」という行為を説明するために必要な要素であり、優劣はない。重要なのは、それらをまとめる述語「紹介シタ」の部分である。「甲ガ」「乙ニ」「丙ヲ」はすべて述語を補足する語(補語)となる。いっぽう、英語などでの文で主語は、述語と人称などの点で呼応しており、特別の存在である[63]

この考え方に従えば、英語式の観点からは「主語が省略されている」としかいいようがない文をうまく説明することができる。たとえば、

ハマチの成長したものをブリという。

ここでニュースをお伝えします。

日一日と暖かくなってきました。

などは、いわゆる主語のない文である。しかし、日本語の文では述語に中心があり、補語を必要に応じて付け足すと考えれば、上記のいずれも、省略のない完全な文と見なして差し支えない。


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