日本語
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橋本の説は、後続の研究者らによって、「母音の数がアイウエオ五つでなく、合計八を数えるもの[136]」という8母音説と受け取られ、定説化した[注釈 32]。8母音の区別は平安時代にはなくなり、現在のように5母音になったとみられる。なお、上代日本語の語彙では、母音の出現の仕方がウラル語族アルタイ語族母音調和の法則に類似しているとされる[30]

は行」の子音は、奈良時代以前には [p] であったとみられる[59]。すなわち、「はな(花)」は [pana](パナ)のように発音された可能性がある。[p] は遅くとも平安時代初期には無声両唇摩擦音 [?] に変化していた[137]。すなわち、「はな」は [?ana](ファナ)となっていた。中世末期に、ローマ字で当時の日本語を記述したキリシタン資料が多く残されているが、そこでは「は行」の文字が「fa, fi, fu, fe, fo」で転写されており、当時の「は行」は「ファ、フィ、フ、フェ、フォ」に近い発音であったことが分かる。中世末期から江戸時代にかけて、「は行」の子音は [?] から [h] へ移行した。ただし、「」は [?] のままに、「」は [ci] になった[138]。現代でも引き続きこのように発音されている。

平安時代以降、語中・語尾の「は行」音が「わ行」音に変化するハ行転呼が起こった[139]。たとえば、「かは(川)」「かひ(貝)」「かふ(買)」「かへ(替)」「かほ(顔)」は、それまで [ka?a] [ka?i] [ka?u] [ka?e] [ka?o] であったものが、[kawa] [kawi] [kau] [kawe] [kawo] になった。「はは(母)」も、キリシタン資料では「faua」(ハワ)と記された例があるなど、他の語と同様にハ行転呼が起こっていたことが知られる。詳細は「ハ行転呼」を参照

このように、「は行」子音は語頭でおおむね [p] → [?] → [h]、語中で [p] → [?] → [w] と唇音が衰退する方向で推移した。また、関西で「う」を唇を丸めて発音する(円唇母音)のに対し、関東では唇を丸めずに発音するが、これも唇音退化の例ととらえることができる。

や行」の「え」([je]) の音が古代に存在したことは、「あ行」の「え」の仮名と別の文字で書き分けられていたことから明らかである[139]。平安時代初期に成立したと見られる「天地の詞」には「え」が2つ含まれており、「あ行」と「や行」の区別を示すものと考えられる。この区別は10世紀の頃にはなくなっていたとみられ[139]、970年成立の『口遊』に収録される「大為爾の歌」では「あ行」の「え」しかない。この頃には「あ行」と「や行」の「え」の発音はともに [je] になっていた。

わ行」は、「わ」を除いて「あ行」との合流が起きた。

平安時代末頃には、
「い」と「」(および語中・語尾の「ひ」)

「え」と「」(および語中・語尾の「へ」)

「お」と「を」(および語中・語尾の「ほ」)

が同一に帰した。3が同音になったのは11世紀末頃、1と2が同音になったのは12世紀末頃と考えられている。藤原定家の『下官集』(13世紀)では「お」・「を」、「い」・「ゐ」・「ひ」、「え」・「ゑ」・「へ」の仮名の書き分けが問題になっている。

当時の発音は、1は現在の [i](イ)、2は [je](イェ)、3は [wo](ウォ)のようであった。

3が現在のように [o](オ)になったのは江戸時代であったとみられる[140]18世紀の『音曲玉淵集』では、「お」「を」を「ウォ」と発音しないように説いている。

2が現在のように [e](エ)になったのは、新井白石東雅』総論の記述からすれば早くとも元禄享保頃(17世紀末から18世紀初頭)以降[141]、『謳曲英華抄』の記述からすれば18世紀中葉頃とみられる[142]

「が行」の子音は、語中・語尾ではいわゆる鼻濁音(ガ行鼻音)の [?] であった。鼻濁音は、近代に入って急速に勢力を失い、語頭と同じ破裂音の [?] または摩擦音の [?] に取って代わられつつある。今日、鼻濁音を表記する時は、「か行」の文字に半濁点を付して「カカ?ミ(鏡)」のように書くこともある。

」「」の四つ仮名は、室町時代前期の京都ではそれぞれ [?i], [d?i], [zu], [du] と発音されていたが、16世紀初め頃に「ち」「ぢ」が口蓋化し、「つ」「づ」が破擦音化した結果、「ぢ」「づ」の発音がそれぞれ [?i], [?u] となり、「じ」「ず」の音に近づいた。16世紀末のキリシタン資料ではそれぞれ「ji・gi」「zu・zzu」など異なるローマ字で表されており、当時はまだ発音の区別があったことが分かるが、当時既に混同が始まっていたことも記録されている[140]。17世紀末頃には発音の区別は京都ではほぼ消滅したと考えられている(今も区別している方言もある[57])。「・ぜ」は「xe・je」で表記されており、現在の「シェ・ジェ」に当たる [?e], [?e] であったことも分かっている。関東では室町時代末にすでに [se], [ze] の発音であったが、これはやがて西日本にも広がり、19世紀中頃には京都でも一般化した。現在は東北や九州などの一部に [?e], [?e] が残っている。
音便現象詳細は「音便」を参照

平安時代から、発音を簡便にするために単語の音を変える音便現象が少しずつ見られるようになった。「次(つ)ぎて」を「次いで」とするなどのイ音便、「詳(くは)しくす」を「詳しうす」とするなどのウ音便、「発(た)ちて」を「発って」とするなどの促音便、「飛びて」を「飛んで」とするなどの撥音便が現れた。『源氏物語』にも、「いみじく」を「いみじう」とするなどのウ音便が多く、また、少数ながら「苦しき」を「苦しい」とするなどのイ音便の例も見出される[143]鎌倉時代以降になると、音便は口語では盛んに用いられるようになった。

@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}中世には、「差して」を「差いて」、「挟みて」を「挟うで」、「及びて」を「及うで」などのように、今の共通語にはない音便形も見られた。これらの形は、今日でも各地に残っている。[要出典]
連音上の現象

鎌倉時代室町時代には連声(れんじょう)の傾向が盛んになった。撥音または促音の次に来た母音・半母音が「な行」音・「ま行」音・「た行」音に変わる現象で、たとえば、銀杏は「ギン」+「アン」で「ギンナン」、雪隠は「セッ」+「イン」で「セッチン」となる。助詞「は」(ワ)と前の部分とが連声を起こすと、「人間は」→「ニンゲンナ」、「今日は」→「コンニッタ」となった。

また、この時代には、「中央」の「央」など「アウ」 [au] の音が合して長母音 [??] になり、「応対」の「応」など「オウ」 [ou] の音が [o?] になった(「カウ」「コウ」など頭子音が付いた場合も同様)[140]。口をやや開ける前者を開音、口をすぼめる後者を合音と呼ぶ。また、「イウ」 [iu]、「エウ」 [eu] などの二重母音は、[ju?]、[jo?] という拗長音に変化した。「開合」の区別は次第に乱れ、江戸時代には合一して今日の [o?](オー)になった。京都では、一般の話し言葉では17世紀に開合の区別は失われた[140]。しかし方言によっては今も開合の区別が残っているものもある[57]
外来の音韻

漢語が日本で用いられるようになると、古来の日本に無かった合拗音「クヮ・グヮ」「クヰ・グヰ」「クヱ・グヱ」の音が発音されるようになった[140]。これらは [kwa] [?we] などという発音であり、「キクヮイ(奇怪)」「ホングヮン(本願)」「ヘングヱ(変化)」のように用いられた。当初は外来音の意識が強かったが、平安時代以降は普段の日本語に用いられるようになったとみられる[144]。ただし「クヰ・グヰ」「クヱ・グヱ」の寿命は短く、13世紀には「キ・ギ」「ケ・ゲ」に統合された。「クヮ」「グヮ」は中世を通じて使われていたが、室町時代にはすでに「カ・ガ」との間で混同が始まっていた。江戸時代には混同が進んでいき、江戸では18世紀中頃には直音の「カ・ガ」が一般化した。ただし一部の方言には今も残っている[57]

漢語は平安時代頃までは原語である中国語に近く発音され、日本語の音韻体系とは別個のものと意識されていた。入声韻尾の [-k], [-t], [-p], 鼻音韻尾の [-m], [-n], [-?] なども原音にかなり忠実に発音されていたと見られる。鎌倉時代には漢字音の日本語化が進行し、[?] はウに統合され、韻尾の [-m] と [-n] の混同も13世紀に一般化し、撥音の /?/ に統合された。入声韻尾の [-k] は開音節化してキ、クと発音されるようになり、[-p] も [-?u](フ)を経てウで発音されるようになった。[-t] は開音節化したチ、ツの形も現れたが、子音終わりの [-t] の形も17世紀末まで並存して使われていた。室町時代末期のキリシタン資料には、「butmet」(仏滅)、「bat」(罰)などの語形が記録されている。江戸時代に入ると開音節の形が完全に一般化した。

近代以降には、外国語(特に英語)の音の影響で新しい音が使われ始めた。比較的一般化した「シェ・チェ・ツァ・ツェ・ツォ・ティ・ファ・フィ・フェ・フォ・ジェ・ディ・デュ」などの音に加え、場合によっては、「イェ・ウィ・ウェ・ウォ・クァ・クィ・クェ・クォ・ツィ・トゥ・グァ・ドゥ・テュ・フュ」などの音も使われる[145]。これらは、子音・母音のそれぞれを取ってみれば、従来の日本語にあったものである。「ヴァ・ヴィ・ヴ・ヴェ・ヴォ・ヴュ」のように、これまで無かった音は、書き言葉では書き分けても、実際に発音されることは少ない。


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