現在は、より包括的な大語族または超語族という概念で分類を再考している流れもある(マクロアルタイ説・ユーラシア大語族説・ノストラティック大語族説など)。しかしこの包括理論によって日本語の系統の解明が進む可能性は低いとされている。これに対してツングース諸語・満州語・日本語・朝鮮語に対象領域を縮小し比較の精度を上げる研究の流れもある(ボビン (2003) )。 朝鮮語と日本語を同族とする仮説。古くは儒学者の新井白石 (1717) が朝鮮語の「海」=パダを日本語と比べた[19]。後にウィリアム・ジョージ・アストン (1879) や白鳥庫吉 (1897) などにより、語彙を中心とした比較が行われた。比較言語学の手法に基づく初めての本格的な研究は、金沢庄三郎『日韓両国語同系論』(1910) である。なお金沢の著作は「日鮮同祖論」(1929) をはじめ朝鮮半島政策の正当性を証明する根拠としてひろく引用されたため、戦後は糾弾の対象として嫌悪され、忘却されたが、金沢自身はあくまで学術的な関心として研究し、政治的意図を持っていなかった。 サミュエル・マーティンは両言語の音対応の法則性から日本・朝鮮共通祖語を再構し、この音対応法則は後にミラーやジョン・ホイットマンらによって大きく改良された。ただし、再構に2言語だけを使用したこと、対応しない語彙が多すぎること、対応するとされる語彙が借用である可能性があることなどの問題がある。一方で、ボビン (2003) のように、日本語と朝鮮語間でいくつかの文法的要素が一致する事を根拠に、系統的に同一のものと主張される場合もある。ほか、研究としては宋敏『韓国語と日本語のあいだ』(草風館、1999)がある。 マーティン・ロベーツ (2020) は、日本語族を「トランスユーラシア語族」(チュルク語族、モンゴル語族、ツングース語族、日本語族、朝鮮語族から成る語族)の一員に含めた上で、日本語族と朝鮮語族が姉妹群を成すとしている[20][21][22][23]。 朝鮮の歴史書「三国史記」に記された高句麗の故地名の音訓併用表記から推測される、いわゆる「高句麗語」が、日本語と組織的に顕著な類似性を示す事を初めて指摘したのは、新村出 (1916) である。新村は、「三」「五」「七」「十」の4つの数詞が日本語と類似することなどを指摘したが、日本語アルタイ起源説と関連させてこの類似を更に深く追究したのは、李基文 (1961-1967)、村山七郎(1961-1963)である。最新の論考には板橋義三
朝鮮語同系説
扶余語・高句麗語・百済語・韓系諸語同系説「半島日本語」も参照
高句麗語同系説「高句麗語#日本語との関係」も参照
いずれにしても、数詞に加え、「口(古次)」「海(波且)」「深(伏)」「白(尸臘)」「兎(烏斯含)」「猪(烏)」「谷(旦)」などの類似は印象的であり、更に興味深いのは、中期朝鮮語よりも上代日本語との方が、類似語が見出される割合が大きい(板橋によれば30%と42%)事である。 百済語と日本語を同族とする仮説。古くは儒学者の新井白石 (1717) が百済語の「熊」=クマ、「海」=ホタイを日本語と比べた[19]。 2000年代になって、数学者の金容雲らによって日本語は百済語が起源であるという説が提唱されている[25]。 Janhunenは民族的、政治的に日本と繋がりの深かった百済で話されていた言語は日本語(パラ日本語)が主流であったとし、新羅による朝鮮半島統一後もパラ日本語話者が残存していた時期があったとし、その根拠として三国史記に記された地名を挙げている。その地名は高句麗の地名であると誤解されてきたが、実際には百済の地名であるとしている[26]。 朝鮮半島の国家、百済は高句麗の王族によって建てられ、その先祖は扶余に遡ると考えられている。百済は後に、大和時代の日本と密接な関係を持つようになり、クリストファー・I. ベックウィズ アンガー (2009) とボビン (2013) は、韓系諸語は日琉語族であり、4世紀に朝鮮語族の扶余諸語に取って代わられたとしている[28][29]。 彼らは、地名研究によって抽出された日本語に類似する単語が朝鮮半島南部に特に多いことを指摘し、これらの地名が高句麗語を反映したものではなく、朝鮮半島中部および南部における先高句麗の集団を反映したものであるとの仮説を唱えた。朝鮮半島南部の新羅の歴史的故地に日本語に類似する地名が多く見られることについて[30]、研究者たちは日本語系の言語が朝鮮半島、恐らくは、その内の伽耶において話され、新羅語の基層言語となっている、との理論を提案した。アンガーは、弥生人の祖先は朝鮮半島中部ないしは南部から日本列島へ移住したのではないかと考えている。一方で、朝鮮語系の地名は、満州から朝鮮半島南部までの朝鮮三国全域に広がっている。 オーストロネシア語族が日本祖語を形成した言語のひとつだったとする説。しかし、オーストロネシア語族とは一致している基礎語彙が非常に少なく、文法的な類似性も少ない。子音終わりの単語を持たない開音節であるなど母音の音韻体系の類似性が少し見えるため、オーストロネシア語族説が提唱されるようになったが、この説にまだ根拠は少なく広く受けられている説ではない[31]。また、近年の研究ではオーストロネシア系言語は古くは子音終わりの単語を持つ閉音節だったとされ、日本語との語彙の類似性についても偶然の一致の範囲を出るものとは言い難い[5][6]。
百済語同系説
扶余諸語同系説
韓系諸語同系説
オーストロネシア語族説