日本製紙
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会計監査人EY新日本有限責任監査法人[3]
主要株主いちごトラスト・ピーティーイー・リミテッド 10.13%
日本カストディ銀行株式会社(信託口) 5.35%
日本マスタートラスト信託銀行株式会社(信託口) 6.14%
株式会社みずほ銀行 3.75%
日本製紙従業員持株会 2.62%
主要子会社日本紙通商
関係する人物渋沢栄一王子製紙創業者)
宮島清次郎(国策パルプ工業初代社長)
水野成夫(国策パルプ工業社長)
南喜一(国策パルプ工業会長)
難波経一(山陽パルプ会長)
齊藤知一郎(大昭和製紙創業者)
齊藤了英(大昭和製紙第2代社長)
外部リンク ⇒www.nipponpapergroup.com
特記事項:登記上の本店所在地は東京都北区王子一丁目4番1号
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日本製紙株式会社(にっぽんせいし[2]英文社名:英語: Nippon Paper Industries Co., Ltd.)は、日本第2位(世界8位)の製紙業会社で、日本製紙グループの中核会社である。三井グループ芙蓉グループに属する[4]日経平均株価の構成銘柄の一つ[5]
概要

前身となる企業は十條製紙、東北振興パルプ(1968年(昭和43年)合併)、山陽国策パルプ(1993年(平成5年)合併)、大昭和製紙(2003年(平成15年)合併)の4社で、会社設立年度は存続会社・十條製紙の設立年度である1949年(昭和24年)としている。十條製紙と山陽国策パルプの合併で社名を日本製紙とした。

もともと、十條製紙は1949年(昭和24年)に過度経済力集中排除法によって旧王子製紙が3社に分割された内の1社である(他2社は苫小牧製紙、本州製紙)。1968年(昭和43年)に3社の再合併が発表されたものの実現には至らず、1996年(平成8年)新王子製紙(苫小牧製紙から改称した王子製紙と神崎製紙が合併)と本州製紙が合併、王子製紙が発足し、十條製紙だけが異なる道を歩むことになった。なお、3社分割時に十條製紙が旧王子製紙の創業地である王子工場(1943年閉鎖)跡も引き継いだため、日本製紙の登記上の本店所在地は現在も東京都北区王子である。

2001年(平成13年)に、持株会社日本ユニパックホールディングの下で日本製紙と大昭和製紙との経営統合が実施され、両社の洋紙営業部門はこの時に「日本紙共販」として合併した。2003年(平成15年)に日本製紙と大昭和製紙が正式に合併し「新生」日本製紙が誕生。またこのとき両社の板紙部門が整理・統合され、新たに日本大昭和板紙が発足した。2004年(平成16年)10月1日に持株会社の社名も株式会社日本製紙グループ本社に統一された。

洋紙事業の主力製品は、新聞用紙、印刷出版用紙、情報用紙、産業用紙の4種類。特に新聞用紙は、日本国内シェアの37%を占める。なお、印刷出版用紙は上質紙塗工紙・微塗工紙など、情報用紙はノーカーボン紙複写機用紙・感熱紙インクジェット用紙など、産業用紙は紙コップ壁紙など各種紙加工品の原紙やクラフト紙を指す。

2012年(平成24年)10月1日に、グループの板紙部門である日本大昭和板紙、紙パック部門である日本紙パック、化成品部門である日本製紙ケミカルの3社を吸収合併。さらに2013年(平成25年)4月1日に持株会社であった日本製紙グループ本社を吸収合併し、中核会社となった。

前身の十條製紙が三井財閥傘下の初代王子製紙の流れを汲み、同じく前身の山陽国策パルプが旧富士銀行をメインバンクとしていたことから三井グループ芙蓉グループに属しており[4]、三井系の二木会[4]・三井業際研究所[6]綱町三井倶楽部[7]・月曜会・三井文庫[8] に加盟する一方芙蓉グループの社長会・芙蓉会[4] にも加盟している。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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