日本統治時代の台湾
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そのうえ、朝鮮統治は日本にとって経済的にうまくいっていなかった」と結論付けている[20][21][22][23]
戦後の評価台湾に進駐した中国国民党軍(1945年10月)中華民国統治下の台北市の繁華街(1951年)。日本映画「青色山脈」の看板が掲げられている。

台湾では戦後、国共内戦に敗れた中国国民党とその軍隊が、大挙して台湾に退避。大陸反攻を国是とし軍事を優先とした政策を実施したため、台湾のインフラ整備は後回しにされた。さらには新たに台湾に住みついた外省人を優遇し、古くから台湾に住んでいた本省人を弾圧(白色テロ1947年に発生した二・二八事件はその最大規模のものである)したことから、本省人は「犬(日本人)が去って豚(外省人)が来た」「犬はうるさかったが番犬としては役に立った。しかし豚は食うばかりで役に立たない(日本人は台湾人に対する優越意識があって不愉快だったが、警察などの貢献があった。しかし外省人は本省人を搾取するばかりだ)」と日本時代を懐かしんだ。

日中戦争から太平洋戦争にかけての時期、朝鮮でも台湾でも統制が強化され変化も加速したが、台湾においてはこれらの体験について憤りの念や苦悩を描いた文献はほとんど見かけることがない[24]。1940年代初頭について語った回顧録などでも、この時代を残虐、抑圧的、あるいは恐怖の時代として描いたものほとんどない[24]。戦後の台湾人は、植民地時代の忌まわしい思い出や悪夢のような出来事がたとえあったとしても、これらを公にしようとしたことは、ほとんどなかった[24]。これは、朝鮮における姿勢とは全く異なる[24][注釈 1]。台湾における日本統治時代への評価は朝鮮に比べて肯定的であり、特に日本統治時代を経験した世代にはその時代を懐かしみ、評価する人々も多く、そのような声を載せた著書も数多く出版されている[注釈 2]

1988年から2000年まで中華民国総統を務めた李登輝中国国民党独裁体制を廃し、台湾の民主化を促進した。李登輝の時代に監修された台湾の歴史教科書「認識台湾(歴史編)」では、従来地方史として軽視されていた台湾史を本国史として扱い、特に日本の統治時代を重点的に論じたが、この「認識台湾」は陳水扁民主進歩党政権時代に公教育から撤廃された。総統引退後の李登輝は台湾の中華民国(中国)からの独立を訴えた。その中で中国国民党批判と共に日本の統治政策の再評価を訴えている。2005年に李登輝は、「台湾と日本は生命共同体であり、その絆は決して揺るがない。台湾は台湾人だけのものではなく、日本も日本人だけのものではない。日本は台湾人の日本であり、世界の日本である」と発言した。また、2009年の講演では「あなたたちの偉大な祖先の功績を知り、誇りに思ってほしい」と訴え、台湾が日本統治下にあった時代に、日本人技師らの貢献でインフラ整備などが進められたことを説明し、「公に尽くし、忠誠を尽くした偉大な祖先が作り上げてきた日本精神を学び、あなたたちも大切にしてほしい」と発言した[25]

蔡亦竹によると、国共内戦後、中国から台湾に逃れた少数派の中国国民党は、多数派の元日本国民であった台湾人に「われわれは対日戦争に勝って台湾人を二等国民の扱いから解放した」と主張することで、自らの高圧的統治を正当化した[26]。また、台湾人アイデンティティを喚起する恐れがあるため、元々台湾人のみに共有された、日本文学日本映画テレビ番組などは推奨しなかった[26]1972年日中国交正常化に伴い、台湾は直ちに日本に国交断絶を宣言したが、中国との国交樹立は裏切りであり、この年に台湾政府は一切の放送で日本語を禁止にし、日本映画の輸入もご法度になり、1980年代末にようやく禁制が緩くなったが、薬師丸ひろ子が台湾で映画宣伝をおこなった際は、日本語ではなく英語で司会者とやり取りをおこなったほどであり、「日本追放」の全面解除は1993年まで待たねばならず、蔡は「今、台湾は親日的な国柄で知られている。しかし、このような理由からわれわれ40代の人間は中学校まで日本を悪者として教育されていた」と述べている[26]

台湾における各種世論調査では台湾人は日本に好意的である。例えば、2009年4月財団法人交流協会が実施した初の台湾人対象の対日意識世論調査では、「日本に親しみを感じる」が69%で、「親しみを感じない」の12%を大きく上回った。「最も好きな国」としても38%が日本を挙げ、2位のアメリカ(5%)、中国(2%)を大きく上回った[27]2010年度「台湾における対日世論調査」では、「日本に親しみを感じる」が62%で、「親しみを感じない」の13%を大きく上回り、「最も好きな国」としても52%が日本を挙げ、2位のアメリカ(8%)、中国(5%)を大きく上回った[28]

2006年に台湾の『遠見雑誌(中国語版)』が、20歳以上の台湾人1000人に「移民したい」「行ってみたい」「尊敬すべき」「留学したい国」の4項目を調査した結果、日本が「移民したい」「行ってみたい」「尊敬すべき」の3項目でそれぞれ1位を獲得した。謝雅梅は、「日本統治時代、その目的はどうであれ、日本が台湾のインフラを整備したことは今でも高く評価されてます」「日本のテレビ番組や雑誌なども昔からあって、よく見てました。今、20代くらいの若者には、日本の音楽ファッションマンガやゲームなどのサブカルチャーが人気です。彼らの世代になると、もう日本との歴史をよく知らないんですよ。台湾も、日本のようにアメリカの影響は大きいんですが、やはり同じアジアの日本文化の方が肌に合う。これは一過性の流行ではなく、親日感情は昔から繋がっているんです」「文化は日本、経済はアメリカにもっとも影響を受けています。それに、アジアのなかで経済発展を遂げた境遇も似ていますし、親近感があるんです」とコメントしている[29]

民主進歩党系のシンクタンクである台湾国策研究院が2006年に実施した世論調査では、台湾で一番好かれている外国人は日本人で27.1%、アメリカ人22.7%、中国人11.1%、韓国人9.3%だった。台湾智庫が2008年に行った世論調査では、「中国、アメリカ、日本、韓国の4カ国の中で、全体的にどこの国に最も好感を持っているか」という設問では、日本が最多の40.2%で、アメリカは25.7%、韓国は5.4%、中国は5.1%だった[30]

2009年に台湾の財団法人金車教育基金会が台湾の学生の対象に実施した意識調査「最も友好的な国・最も非友好的な国」では、日本は「最も友好的な国」の第1位(44.4%)で、日本が首位になったのは3回目だった[31]

2021年8月10日、台湾のシンクタンクである台湾制憲基金会(中国語版)が実施した台湾の世論調査結果を発表し[32]アメリカに好感を持つ人が75.6%、日本に好感を持つ人が83.9%、中国に好感を持つ人は16.4%にとどまり、9割近くがアメリカ日本と正式な外交関係を構築することを支持した[32]

ワシントン・ポスト』は、「台湾は、1895年から1945年まで日本の占領下にあったにもかかわらず、アジアにおいて稀有な親日感情を抱き続けている。台湾人の年輩者らは未だに日本語と日本文化に大変な共感を示す。台湾は毎時200マイル走行が可能な日本の弾丸列車を30億ドルで導入し、先月(試験走行を)開始した。また、日本政府は、12月に台湾の李登輝元総統(彼は日本で教育を受け、親愛の念を抱く大学時代の元教授と再会を果たした)に観光ビザを発給したが、中国側はこれに激しく反発した」と報道した[33]

馬英九総統の外交政策・対日戦略のブレーンで中華民国総統府国家安全会議諮問委員を務める楊永明は、「一般的に言って、日台間では相互に友好感情が存在するという基本認識がある。


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