日本物産
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1990年代後半にはアダルトゲームブランドの「SPHINX」(スフィンクス)を設立し[3][4]ビデオメーカーであるAVジャパン株式会社とアストロシステムジャパン株式会社の協力のもと、DVDを採用した実写の脱衣麻雀『DVD麻雀』がラインナップの中心となっていたが、2005年の『恋するコスプレ秋葉原』を最後に、脱衣麻雀を含むアダルト作品もリリースしなくなった。
家庭用ゲームマイビジョン(1983年)ロータス・107。フロントウイング翼端板に同社のロゴが貼られている。(1992年)

家庭用ゲーム市場には1983年に自社で開発した家庭用ゲーム機「マイビジョン」で参入。1986年ファミリーコンピュータ用の『マグマックス』でファミコン市場に参入。以降、アーケードからの移植作品がラインナップの中心だったが、1990年PCエンジンでリリースしたオリジナル作品『F1サーカス』が、ときのF1ブームにも押されて大ヒット。以降、人気シリーズとして数多くのハードでリリースされた。

『F1サーカス』シリーズがヒットした縁で、1992年から1993年にかけてF1コンストラクターのチーム・ロータスをスポンサードしている。その年のマシンの「ロータス・107」および「ロータス・107B」のフロントウイング翼端板に、同社のロゴステッカーが貼られている。スポンサードを行った1992年にリリースされたPCエンジン版の同シリーズでは、ロータスが異様に強かったという話もある。(実際ロータスはチームとして92年は5位、93年は6位で表彰台こそないものの中堅では上位。)

家庭用でもアーケード同様、麻雀を題材としたタイトルも数多くリリースしている。PCエンジンには、脱衣要素を取り入れた作品を投入。1995年に発売した実名のAV女優が登場する『セクシーアイドル麻雀・野球拳の詩』は、公式ライセンスのゲームソフトとしては家庭用ゲーム機初の18歳以上推奨ソフトとなった[30]

プレイステーションセガサターンの時代以降も家庭用ゲームの作品をリリースしてきたが、2001年の『バーチャル競艇21』を最後に、リリースを停止している。公式サイト内では家庭用ゲームソフトの通販コーナーがあり、プレイステーション用以外の在庫があるソフトは直接買うことができるとされているが、公式サイトの更新は2003年より停止していた。
ゲーム業界から撤退

本業のアーケードゲーム部門がアダルトゲームに傾倒していったことで90年代まで多くの一般ゲームの開発者が日本物産を退職したほか、日本アミューズメントマシン工業協会や全日本アミューズメント施設営業者協会連合会などの業界団体が遊戯施設の健全化のためにアダルトゲームの規制を厳しくしたり、通信機能を搭載したアーケード麻雀ゲームの登場により、日本物産が衰退する要因となった[8]

2007年、ゲーム開発事業から撤退[31]。本社の日物ビルは売却後に近くの賃貸ビルに本社を移し営業を続け[8]2009年3月にはD4エンタープライズレトロゲーム復刻・配信サービスであるプロジェクトEGGに参入したが[32]、同年、事業停止した[8]2012年10月30日には、りそなホールディングスの公式サイトにて、日本物産と代表者の鳥井末治に対して、所在不明株主の株式売却に関する異議申述の公告がされた[33]

2014年ハムスターの社長、濱田倫が鳥井末治に対して日本物産のゲームのライセンスを嘆願したところ、「もうライセンスは出来ないがそろそろ引退を考えている」と相談され[34]、2014年3月14日にハムスターが日本物産が持つゲームの権利譲渡契約を締結したことを発表した[7]。nichibutsu.co.jpのドメイン名はゲームメーカーとして目立った活動がなくなった後も毎年更新されていたが、2014年3月31日をもってドメイン名が削除された。

2015年、最後の登記から12年が経過したため、会社法第472条の規定による休眠会社の整理対象となり、同年12月15日付でみなし解散の措置が執られた。
沿革

1970年(昭和45年)10月 - 大阪市北区南森町1丁目1番25号八千代ビル南館5階に「日本物産」を創業。アミューズメントマシンの販売業務を主体に活動を始める。

1972年(昭和47年)8月 - 「日本物産株式会社」を資本金300万円をもって設立。

1975年(昭和50年)4月 - オリジナル製品の製造販売を開始。

1975年(昭和50年)8月 - 資本金600万円に増資。

1976年(昭和51年)10月 - アミューズメントマシンショーにメーカーとしてデビュー

1978年(昭和53年)2月 - 東京都港区東新橋に東京営業所を開設。

1978年(昭和53年)7月 - 大阪市北区天満に配送センターを開設。大阪市北区天神橋にて313m2の土地を取得。

1978年(昭和53年)8月 - 東京都港区新橋に「株式会社日物レジャーシステム」を資本金500万円をもって設立。

1978年(昭和53年)10月 - 大阪市北区天神橋に本社社屋(日物ビル)930m2の建設を着工。資本金1,000万円に増資。

1979年(昭和54年)2月 - 本社社屋(日物ビル)完成。資本金2,400万円に増資。

1979年(昭和54年)10月 - アメリカ合衆国カリフォルニア州トーランスに「Nichibutsu U.S.A. Co., Ltd.」を設立。

1980年(昭和55年)5月 - イギリスイングランドウェスト・ミッドランズに「Nichibutsu U.K. Ltd.」を設立。

1980年(昭和55年)6月 - 福岡県福岡市博多区博多駅南に「株式会社ニチブツ九州」を設立。

1981年(昭和56年) - 西ドイツヘッセン州オッフェンバッハ郡レーダーマルクに「Nichibutsu Europe GmbH」を設立。京都府久世郡久御山町佐山新開地に「日本物産株式会社 京都工場」を開設。

1982年(昭和57年) - 株式会社日物レジャーシステムを東京営業所に吸収。

1983年(昭和58年) - 東京都中央区日本橋堀留町に東京営業所を移転。北海道札幌市豊平区中の島に「株式会社ニチブツ札幌」を設立。宮城県仙台市上杉に「株式会社ニチブツ仙台」を設立。広島県広島市南区東霞町に「株式会社ニチブツ広島」を設立。家庭用ゲーム機「マイビジョン」を開発、家庭用ゲーム機へのソフト供給に着手。

1984年(昭和59年) - 資本金3,600万円に増資。

1985年(昭和60年) - 資本金5,000万円に増資。

1986年(昭和61年) - ファミリーコンピュータ用ソフトの製作、販売開始。

1988年(昭和63年) - パーソナルコンピュータ用ソフトの製作、販売開始。

1990年(平成2年) - PCエンジン用ソフトの製作、販売開始。

1991年(平成3年) - 日本アミューズメントマシン工業協会を退会。東京都港区六本木に東京営業所を移転。メガドライブ用ソフトの製作、販売開始。

1992年(平成4年) - スーパーファミコン用ソフトの製作、販売開始。

1995年(平成7年) - プレイステーション用ソフトの製作、販売開始。

1996年(平成8年) - セガサターン用ソフトの製作、販売開始。

2001年(平成13年) - 家庭用ゲームソフトの『バーチャル競艇21』を最終リリース。

2005年(平成17年) - アーケードゲームの『恋するコスプレ秋葉原』を最終リリース。

2007年(平成19年) - ゲーム開発事業から撤退[31]。知的財産権管理事業に業務転換。

2009年(平成21年) - D4エンタープライズのレトロゲーム復刻・配信サービスであるプロジェクトEGGに参入。事業停止[8]

2014年(平成26年) - 株式会社ハムスターに日本物産の版権を譲渡。

2015年(平成27年) - みなし解散。

主なアーケード作品ビデオゲームについては「アーケードゲームのタイトル一覧#日本物産」を参照
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