ちなみに、この改正が行われた当時は本土の標準時とは別に、1920年ヴェルサイユ条約・パリ協定で日本の委任統治領となった、南洋諸島の標準時が1919年2月1日より施行されており、南洋群島東部標準時が日本の中央標準時+2時間(東経165度線)、南洋群島中部標準時で日本の中央標準時+1時間(東経150度線)、南洋群島西部標準時は日本の中央標準時と同じであった。1937年に南洋群島東部標準時(中央標準時+1時間)・南洋群島西部標準時(中央標準時と同じ)の2つに再編している。1945年の敗戦による統治権の放棄により廃止した[42]。なお、当時日本の施政下にあった千島列島は東端(占守島)が東経156度であるが、全域で中央標準時が用いられていた。 FreeBSDなど一部のUnix系オペレーティングシステム (OS) では、1999年初頭までインストール時にタイムゾーンとして「Japan」を選択すると、選択肢として「Most Locations」と「South Ryukyu Islands」の2つの選択肢が現れ、「South Ryukyu Islands」を選ぶとタイムゾーンとして西部標準時(UTC+8)が設定される問題が存在した。 これはこれらのOSがタイムゾーン設定の元データとして利用しているtzdataに誤って西部標準時に関するデータが含まれていたためである。これの元は「The International Atlas (3rd edition)」(Thomas G. Shanks、1991年)という文献において、「西部標準時が現在も石垣市を含む地域で使用されている」旨の誤った記載が行われていることが原因であった。 このことが雑誌「UNIX USER」(ソフトバンク)で取り上げられた結果、1999年にはtzdataから西部標準時が削除され、その後のバージョンでは「South Ryukyu Islands」という選択肢はなくなった[50]。2006年4月1日にリリースされた、エイプリルフール版のFreeBSD 2.2.9-RELEASEでは、このバグがわざと残されている。 標準時の通報や、有線/無線報時に関する歴史は次の年表の経過をたどる。
South Ryukyu Islands時間
標準時の通報の歴史
標準時の報時のはじまり
1886年(明治19年)
明治19年勅令第51号[19]の制定により標準時が確立した直後から、内務省地理局観象台の観測をもとに、標準時を逓信省東京電信局に通報し、そこから全国に標準時が通知されていた[51]。
1888年(明治21年)
1月1日
明治19年勅令第51号の標準時が施行された[52]。この日の0時0分の時刻は内務省地理局観象台が全国の電信局に通報しており、以後もしばらくの間、正午報時信号が地理局観象台から各電信局に通報されていた[53][54]。
5月
内務省、海軍省、文部省は稟議のうえ、内務省と海軍省が行っていた天象観測と、内務省の時刻管理や暦書の編纂事業等は文部省へ、設備・土地や職員とともに移管することにした[54]。
6月4日
東京大学観象台、海軍省観象台、内務省地理局観測課天象部の三者が合併し、明治21年文部省告示第2号で、海軍省観象台の地に、東京天文台が置かれ、帝国大学(現・東京大学)に属した[55][56][57]。しかし、当時はまだ8インチ赤道儀は内務省地理局内(東京府赤坂区葵町)にあったため、麻布区飯倉の東京天文台から台員が出張して観測していた[58]。
9月26日