「全日本有線放送大賞」とは異なります。
日本有線大賞
受賞対象有線リクエストにより決定
国 日本
主催全国有線音楽放送協会
初回1968年
最新回2017年
最新受賞者氷川きよし「男の絶唱」
(2017年/第50回)
日本有線大賞
ジャンル音楽番組 / 特別番組
監督植木修一(舞台監督)
演出深谷俊介(OAサブ)
安永洋平
出演者司会者を参照
製作
プロデューサー大木真太郎、高宮望、時松隆吉
落合芳行(制作プロデューサー)
古谷英一(MP)
制作フジテレビ→TBS
放送
音声形式ステレオ放送(1981年より)
放送国・地域 日本
放送期間1968年12月1日- 2017年 12月4日
放送時間発表音楽祭の放送についてを参照
回数50
公式サイト
日本有線大賞(にほんゆうせんたいしょう)は、1968年から2017年まで開催されていた、音楽に関する賞である。主催は全国有線音楽放送協会(通称:全音協)。
有線放送シェア第2位の「キャンシステム」へ寄せられるリクエスト回数を基準に決定する賞である。なお、国内シェア80%を占める[1] 最大手のUSENは主催者である全音協に加盟していないため、この賞に関与していなかった。 全音協加盟の有線放送会社の中では最大手となる「キャンシステム」へ、前年12月第3週から当年12月第2週までに寄せられたリクエストの回数を基準に表彰するものである[注 1]。 有線放送最大手のUSENと読売テレビが主催する『ベストヒット歌謡祭』では、2007年までUSENへのリクエスト総数だけではなくオリコンの年間CD売上や視聴者のインターネット投票などを加味して各賞を決定していた。しかし2008年から2010年まではUSENへのリクエストデータが審査対象から外されたため、かつて放送されていた『日本テレビ音楽祭』が事実上復活した形で開催、2011年以降はコンテストそのものが開催されなくなったため、『日本有線大賞』が日本唯一の有線放送大賞になった。 読売テレビの『ベストヒット歌謡祭』(旧・『全日本有線放送大賞』、通称“大阪有線大賞”)と区別するため、関係者の間では“東京有線大賞”と言われていた時期がある。 賞の種類としてグランプリである大賞の他、2009年までは最優秀新人賞・最多リクエスト歌手賞・最多リクエスト曲賞・有線音楽優秀賞・有線音楽賞・新人賞など様々な賞があるが、原則として有線音楽優秀賞は演歌歌手・ポップス歌手各4組ずつ、有線音楽賞と新人賞は各2組ずつが選ばれていた。2010年の第43回以降は最優秀新人賞がなくなり、新人賞を演歌・ポップス各1組ずつ選出した他、最多リクエスト歌手賞・最多リクエスト曲賞に替わってロングリクエスト賞・有線問い合せ賞が新設されるなど、賞の種類が大きく変化した[2]。 発表会は毎年会場が異なっており、1980年代前半まで渋谷公会堂、1980年代前半から1999年まで東京郵便貯金会館ホール(東京メルパルクホール)、2000年は東京ベイNKホール(現在閉鎖)、2001年と2002年は東京・青山劇場、2003年から2007年・2009年から2014年・2016年は東京都港区赤坂のTBS放送センター(2007・2009年・2016年はBスタジオ、それ以外はAスタジオ)、2008年は中野サンプラザ、2015年はグランドプリンスホテル新高輪国際館パミール・大宴会場「北辰」、最終回となった2017年は東京プリンスホテル「鳳凰の間」でそれぞれ開催された。その模様はテレビ(TBS系列全国ネット)で生中継されており、ラジオ(TBSラジオのみ)でも後日ダイジェスト版として放送される(なお1999年まではTBSラジオでも同時生中継されていたが2000年のe-NITE開始以後、JRN系列の同時ネット放送に伴い現在の放送形態になった)。 第42回が放送された2009年からは番組ロゴが変更され、これまでの角ばったロゴから明朝体を主体とするロゴになった。 2017年12月4日に放送となる第50回目をもって終了。翌年は『日本演歌歌謡大賞』として、演歌・歌謡曲に特化した内容へ変更されることになったが[3]、こちらは1回のみで終了している。 一時期、「全日本有線放送大賞」と同様に上期・年間の2回行われた年がある。
概要
発表音楽祭の放送について
第7回(1974年)まではフジテレビで受賞者発表会が放送されていた。
第8回(1975年)から第50回(2017年)まではTBSで放送されていた[注 2]。
1975年?1982年までは12月日曜日の19:30-20:55→20:54[注 3](毎日放送制作の『アップダウンクイズ』の後)に放送されており、1975年は『サンデースペシャル』枠で放送、1976年から1978年までは日曜20時台の『日曜☆特バン』を休止して放送した。