日本後紀
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後紀の天皇批判は平城天皇に限られたものであり[4]、後紀に記される4人の天皇の内、史書編纂に関わっていないのはこの平城天皇のみである。これは薬子の変によって、譲位された嵯峨天皇=平安京の宮廷側との確執が決定的となったためとみられ[5]、この変で敗北した太上(平城)天皇は皇位を子孫に伝えることができなくなり、皇位継承の正当から外れたため、史臣評に当たる崩伝の記述も好意的でなくなったとみられる[6]。
後紀の内容には、平安京遷都や坂上田村麻呂の活躍なども記載されていたものとみられる[7]。
国内現存資料の中では、「土木」と言う語の初出とされる(詳細は、「建設#歴史と変遷の前史」を参照)。
校訂本
黒板勝美編(坂本太郎校訂)『新訂増補 国史大系3 日本後紀』、吉川弘文館、初版1934年、普及版1975年ほか
黒板伸夫・森田悌編 『日本後紀』(訳注日本史料)、集英社、2003年
森田悌 『日本後紀 全現代語訳』(講談社学術文庫、上中下)、2006年
脚注^ 遠藤慶太『六国史』p.101
^ 遠藤慶太『六国史』p.197
^ 昭和初期に刊行された『六国史』の第6巻(朝日新聞社、1930年)。[1]
^ 遠藤慶太『六国史』p.115
^ 遠藤慶太『六国史』p.116
^ 遠藤慶太『六国史』p.117
^ 遠藤慶太『六国史』p.100
参考文献
坂本太郎 『六国史』日本歴史叢書27、吉川弘文館、1970年11月、新装版1994年12月。 ISBN 4-642-06602-0
遠藤慶太 『六国史 -日本書紀に始まる古代の「正史」』 中公新書 2016年。
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