日本大学
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大学院医学研究科を設置[46]。
1957年(昭和32年)
3月 - 経済学部商業学科が独立し、商学部を設置。
12月 - 三島高校を設置
1958年(昭和33年)
1月 - 文学部(高等師範部の後身)に学科を増設し文理学部に、工学部に物理学科を設置し理工学部と改称。
3月 - 旧両国国技館を買収、日本大学講堂とする。
6月 - 古田重二良が会頭に就任。
12月 - スクールカラーを「緋」と定める[78]。
1959年(昭和34年)
1月 - 「目的および使命」を改正。理工学部に数学科を設置。文理学部に独文学科を設置。
10月 - 創立70周年記念式典に昭和天皇臨席。
1960年(昭和35年)1月 - 芸術学部に放送学科を設置。
1961年(昭和36年)3月 - 大学令による旧制日本大学廃止。
1962年(昭和37年)3月 - 文理学部に体育学科、化学科、応用数学科を設置。農獣医学部に農業工学科、食品製造工学科を設置。
1963年(昭和38年)
4月 - 商学部砧校舎を開設(新東宝撮影所跡地)[79]。
12月 - 原子力研究所[80]を設置。
1964年(昭和39年)1月 - 経済学部に産業経営学科、商学部に経営学科、会計学科を設置。
1965年(昭和40年)1月 - 第一工学部(工業経営学科の前身)を設置(理工学部経営工学科を廃止・昇格)。
1966年(昭和41年)
1月 - 第一工学部を生産工学部、第二工学部を工学部と改称。
3月 - 付属豊山女子高を設置。
1968年(昭和43年)
5月 - 日大紛争起こる。
9月 - 両国の日大講堂で大衆団交を開催。
10月 - 政治介入により日大首脳部は全学集会での合意を白紙撤回。
12月 - 会頭制を廃止し、会長と理事長に代表権を置く[81]。
1969年(昭和44年)4月 - 法学部大宮キャンパス落成(現在は体育施設)。
1971年(昭和46年)2月 - 日本大学松戸歯科大学(松戸歯学部の前身)を千葉県松戸市に設置。
1975年(昭和50年)
1976年(昭和51年)
3月 - 指定校(準付属に準ずる提携校)制度廃止。
4月 - 日本大学松戸歯科大学を廃止統合、松戸歯学部へと改称。
1977年(昭和52年)12月 - 理工学部第一部に海洋建築工学科、航空宇宙工学科、電子工学科を設置。
1978年(昭和53年)12月 - 三島教養部を改組し、国際関係学部を静岡県三島市に設置。
1979年(昭和54年)9月 - 山田顕義の生誕地・山口県萩市に顕義園を開設[82]。
1980年(昭和55年)3月 - 医学部附属看護専門学校を設置[46]。
1982年(昭和57年)
2月 - 生産工学部実籾校舎を開設。
6月 - 日本大学会館落成式を挙行、翌月に法人本部が三崎町から移転[83]。
1985年(昭和60年)11月 - 皇典講究所発祥記念碑を皇典講究所跡地(千代田区飯田橋)に國學院大學と建立。
1987年(昭和62年)12月 - 薬学部を設置(理工学部薬学科を移行・昇格)。
1988年(昭和63年)4月 - 法学部三島校舎設置(1992年まで)[84]。
平成
1989年(平成元年)
4月 - 芸術学部所沢キャンパス開設。
10月 - 天皇・皇后臨席のもと創立100周年記念式典を挙行[85]。
1991年(平成3年)4月 - 医学部付属練馬光が丘病院を開設[46]。
1994年(平成6年)10月 - 総合学術情報センターを設置。
1995年(平成7年)12月 - 農獣医学部を生物資源科学部と改称。
1996年(平成8年)4月 - 理工学部習志野校舎を船橋校舎と名称変更。
1998年(平成10年)
3月 - 稲城総合グラウンド竣工。
6月 - ケンブリッジ大学(イギリス)ペンブルック・カレッジ共同学寮落成[86]。
11月 - NUBIC(国際産業技術・ビジネス育成センター)[87]を開設。
1999年(平成11年)4月 - 所沢キャンパスに総合学術情報センターおよび大学院総合社会情報研究科(通信制大学院)、日本大学会館内に大学院グローバル・ビジネス研究科 (NBS)(ビジネススクール)を設置。
2002年(平成14年)
3月 - 原子力研究所を量子科学研究所と名称変更。
4月 - 日本大学旧本部棟(法学部図書館)解体。
12月 - 主婦の友社からお茶の水スクエアを取得。
2004年(平成16年)
4月 - 大学院法務研究科(法科大学院)設置。通信教育部校舎内に総合生涯学習センターを開設(三崎町キャンパス3号館内)。
10月 - 法学部新図書館開館[88]。
2005年(平成17年)4月 - 大学院総合科学研究科(総合研究大学院)設置。
2006年(平成18年)4月 - 薬学教育6年制移行により、薬学部薬学科を6年制に移行[89]。
2007年(平成19年)6月 - 日本大学のロゴマーク「Nドット」制定[90]。
2009年(平成21年)1月 - 入試情報等のサービス提供拠点として、日本大学インフォメーションプラザ(NUIP)を、日本大学会館の隣接地(市ヶ谷キャンパス)に開設(2012年12月27日閉館)[91]。4月 - 付属藤沢中学校を設置
2010年(平成22年)4月 - 大学院新聞学研究科・知的財産研究科(独立研究科)を設置。
2011年(平成23年)
3月 - 東日本大震災の避難場所として一時的にお茶の水キャンパスを開放。卒業式・修了式中止。
4月 - 震災の影響により入学式中止。
10月 - Googleと契約し、NU-AppsGという日本大学のクラウドを作る。
11月 - 大学院グローバル・ビジネス研究科の学生募集停止を発表。
2012年(平成24年)3月 - 練馬光が丘病院閉院[46]。
2013年(平成25年)4月 - 総長制を廃止し学長制へと移行。
2014年(平成26年)
9月 - 通信教育部および総合生涯学習センターが三崎町キャンパスから日本大学会館の隣接地(市ヶ谷キャンパス、日本大学インフォメーションプラザ跡地)に新築移転[92]。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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