日本国憲法
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国民にとっては突然の発表であり、またその内容が予想外に「急進的」であったことから衝撃を受けた[注釈 9][注釈 10]

3月26日、国語学者の安藤正次博士を代表とする「国民の国語運動」が「法令の書き方についての建議」という意見書を幣原首相に提出した。これを主たる契機として、憲法の口語化に向けて動き出した。4月2日、憲法の口語化について、総司令部の了承を得て、閣議了解が行われ、翌3日から口語化作業が開始された。まず、作家の山本有三に前文の口語化を依頼し、作成された素案を参考にして、入江・法制局長官、佐藤・法制局次長、渡辺佳英・法制局事務官らの手により、5日に口語化第1次案が閣議で承認された[115]。4月16日に幣原首相が天皇に内奏し、まず憲法を口語化した後、憲法の施行後には順次他の法令も口語化することを伝えた[116]
統制された議会審議

1946年昭和21年4月10日第22回衆議院議員総選挙が行われた[22]。GHQが1946年1月4日公職追放指令を出していた影響で、このときの選挙では現職議員の83%が公職追放により、立候補できなかった[48]。内務省の調査により、新たに立候補しようとした者のうち、93名は公職追放の対象であることが分かり、立候補できなかった[48]。さらに、総選挙後の5月から7月にかけて議会審議中にも貴族院議員172名、衆議院議員10名が公職追放された。

また、総司令部は、この選挙をもって「3月6日案」に対する国民投票の役割を果たさせようと考えた[47]。しかし、国民の第一の関心は当面の生活の安定にあり、憲法問題に対する関心はほとんどなかった[47][16]

選挙を終えた4月17日、政府は、正式に条文化した「憲法改正草案」を公表し、枢密院に諮詢した[22]。枢密院の本会議は、「憲法草案」を美濃部達吉の強い反対の中、賛成多数で可決した[22]

これを受けて政府は6月20日、大日本帝国憲法の改正手続に従い、帝国憲法改正案[117]を帝国議会衆議院に提出した[22]。なお、大日本帝国憲法の改正手続には次のようなものがある[118]。第七十三条 将来此ノ憲法ノ条項ヲ改正スルノ必要アルトキハ勅命ヲ以テ議案ヲ帝国議会ノ議ニ付スヘシ

2 此ノ場合ニ於テ両議院ハ各々其ノ総員三分ノニ以上出席スルニ非サレハ議事ヲ開クコトヲ得ス出席議員三分ノ二以上ノ多数ヲ得ルニ非サレハ改正ノ議決ヲ為スコトヲ得

第七十四条(略)

2 皇室典範ヲ以テ此ノ憲法ノ条規ヲ変更スルコトヲ得ス第七十五条 憲法及皇室典範ハ摂政ヲ置クノ間之ヲ変更スルコトヲ得ス

衆議院は6月25日から審議を開始し、憲法改正特別委員会小委員会を置いて、若干の修正を行った[22]。しかし、貴族院を含む議会審議では、日本側による修正には全てGHQの承認が必要だった[27]。さらに、議会審議中にもGHQによる修正命令が続けられ、それに逆らうことはできず、GHQの意向の範囲内でのみ修正が行われた[27]。例えば、政府案の前文の「ここに国民の総意が至高なものであることを宣言し」は、審議中、そのまま承認されるはずであったが、国民主権を明記せよというGHQの指示により「ここに主権が国民に存することを宣言し」と修正された[16][22][26][50]。このとき、笠井委員は次のように述べた[119]。笠井委員 私ハマダ刷リ物ガ御渡シシテアリマセヌカラ、一寸説明サセテ戴キマス、是ハ聞イテ見マスト、相当英文ト云フモノガ重要ナ部分トシテ残ルト思ヒマス、「マッカーサー」ノ方デモ、此ノ前文ニハ相当筆ヲ下シテ居ルト云フコトヲ聞イテ居リマス...ドウカ宜シク御願ヒ致シマス

さらに、他の前文の修正などについて北(れい)委員と笠井委員は次のように述べている[119]。北(れい)委員 実ハ貴族院ノ有志ト語リ合ツタ時モサウ云フ希望デアリマシタシ、社会党ノ諸君モサウ云フ希望ヲ持ツテ居ラレルヤウデアリマス、ソレカラ協同民主党ナドモサウ云フ御意見ノヤウデス、私共モ其ノ希望ニハ共鳴スル所ガ多イノデスガ、社会党ノ諸君ノニ、三ノ意見ヲ聴クト、戦争抛棄ノ如キハ彼処ニ入レルノハマヅイカラ、国民ノ権利義務ノ所ニ入レルト言フ、是モ非常ニ御尤モデス、私共ノ考ヘデハ、戦争抛棄ノ章ノ如キハ、寧ロ前文ニ平和国家建設、世界平和ヲ希フ、ト云フコトヲ入レタ方ガ体裁ガ好イト云フ意見、是モ御尤モデアリマスガ、前文ヲ書直スト云フコトニナルト、各自希望ガ区々ニナツテ中々一致点ガ見出シニクイ、此ノ前文ノ日本文ハ出来ガ悪イケレドモ、英文ハ相当ノ出来デアルカラ、成ベク日本人ノ耳ニ親シミ易イヤウナ言葉ニ変ヘテ、皆サンガ御相談ノ結果、共同提案トシテ承認シテ戴クト云フコトニシタラドウカト考ヘテ居リマス笠井委員 併シ事実ニ於テハ既ニ「マッカーサー」ノ方デ筆ヲ入レ、練ツタモノデスカラ、之ヲ無視スルコトハ出来ナイト云フコトガ最近段々分ツテ参リマシタガ、私ハ北君ノ説ニ賛成ヲ致シマス、英文ハ相当ニ力ヲ入レテ作ツタ文章デスカラ、日本人的性格ヲ入レタ文章ニ変ヘルコトハ至難デハナイト思ヒマス、今仰シヤルヤウニ、成程之ヲ読ンデ見ルト、如何ニモダラダラシテ冗漫デスガ、是ハ用語ヲ変ヘレバ出来ルト思ヒマスカラ……

また、芦田委員長はGHQの承諾を得られる内容を3日や一週間で書くことの難しさについて次のように述べた[119]。芦田委員長 森戸君ノ御意見モ、私モ個人トシテハ、サウ云フ風ニ簡潔ニ日本人ニ本当ニピント来ルヤウニシタイト思フケレドモ、併シ之ヲ日本人ノ手デ、而モ進駐軍本部ノ承諾ヲ得ラレルヤウナ思想ノ内容ヲ持ツタモノヲ書クト云フコトニナルト、中々三日ヤ一週間デハ出来ナイ仕事ダト思ヒマス、本当ノ大事業ダト思ヒマス、ソレデ誰ニソレヲ頼ンダラ宜イカト云ツテモ、是ハ個人的ノ印象ヲ申上ゲテ甚ダ恐縮デスガ、アノ人ニ頼ンダラ出来ルダラウト云フ人ヲ見付ケルコトサヘモ出来ナイ、ドウシテモ之ヲサウ云フ風ニシヨウトスルナラバ、社会党ナリ無所属倶楽部アタリカラ、斯ウ云フモノガ宜イダラウト云フ具体的ナ案ヲ御持チヲ願ヘバ、是ハ討議ノ基礎トシテ有力ナモノダト思フノデス、サウデナイト、今誰ニ頼ンダラサウ云フモノガ出来ルカ……

この後、第13回までの審議を経て、小委員会の審議が終わった[120]。小委員会の審議は秘密会として開かれ、議事録も1995年まで秘密にされた[51][52]。8月24日、衆議院本会議の審議のさいに、日本共産党志賀義雄は反対討論の中で第9条について次のように述べ、日本国憲法に反対した[121]。更󠄁に當草案は戰爭一般の抛棄を規定して居ります、之に對して共?黨は他國との戰爭の抛棄のみを規定することを要󠄁求しました、更󠄁に他國󠄁の戰爭に?對に參加しないことを明󠄁記することも要󠄁求しましたが、是等の要󠄁求は否定されました、此の問題は我が國と民族の將來に取つて極めて重要󠄁な問題であります、殊に現在の如き國際的󠄁不安定の?態の下に於て特に重要󠄁である、芦田委員長及󠄁び其の他の委員は、日本が國際平󠄁和の爲に積極的󠄁に寄與することを要󠄁望󠄂されましたが、勿論是は宜いことであります、?し現在の日本に取つて是は一個の空󠄁文󠄁に過󠄁ぎない、政治的󠄁に經濟的󠄁に殆ど無力に近󠄁い日本が、國際平󠄁和の爲に何が一體出來やうか、此のやうな日本を世界の何處の國が相手にするであらうか、我々は此のやうな平󠄁和主󠄁義の空󠄁文󠄁を弄する代りに、今日の日本に取つて相應しい、又實質的󠄁な態度を執るべきであると考へるのであります、それはどう云ふことかと言へば、如何なる國際紛󠄁爭にも日本は?對に參加しないと云ふ立場を堅持することである、之に付ては自由黨の北君も本會議の劈頭に於て申されました、中立を?對に守ると云ふこと、?ち我が政府は一國に偏󠄁して他國を拜すると云ふが如き態度を執らず、總ての善隣󠄂國と平󠄁等に親善關係を結ぶと云ふことであります、若し政府が誤󠄁つて一方の國に偏󠄁するならば、是は?ち日本を國際紛󠄁爭の中に卷込󠄁むこととなり、結局は日本の獨立を失ふこととなるに違󠄂ひないのであります、我々は我が民族の獨立を飽󠄁くまで維持しなければならない、日本共?黨は一切を犧牲にして、我が民族の獨立と繁󠄁榮の爲に奮鬪する決意󠄁を持つて居るのであります、要󠄁するに當憲󠄁法第二章は、我が國の自衞權を抛棄して民族の獨立を危󠄁くする危󠄁險がある、それ故に我が黨は民族獨立の爲に此の憲󠄁法に反對しなければならない、是が我々の反對する第四の理由であります以上が我が共?黨の當憲󠄁法草案に反對する重要󠄁な理由であります、要󠄁するに當憲󠄁法は、我が國民と世界の人民の要󠄁望󠄂するやうな徹底した完全󠄁な民主󠄁主󠄁義の憲󠄁法ではない、是は羊頭狗肉の憲󠄁法である、財?權を擁護して、勤󠄁勞人民の權利を徹底的󠄁に保障しない憲󠄁法である、我が民族の獨立を保障しない憲󠄁法である、天皇の特權である參議院の存在は、明󠄁かに官僚や保守反動勢力の要󠄁塞となると共に、禍󠄀を將來に貽す憲󠄁法である、我々は我が國の將來と我が子孫の爲に、我が國の民主󠄁主󠄁義と平󠄁和を?對に保障するやうな憲󠄁法を作り、將來保守反動勢力が彼等の足場に是等を利用するやうな、特權的󠄁機關と危󠄁險を此の憲󠄁法の中に貽すことは出來ない、それ故に我々は此の草案が當議會を通󠄁過󠄁することに反對しなければならない

この後、日本共産党の柄沢とし子、志賀義雄、高倉輝、徳田球一、中西伊之助、野坂参三、新政会の穂積七郎、無所属クラブの細迫兼光の8名が反対する中、反対8票、賛成421票で日本国憲法は採択された[22]。続いて貴族院の審議でも、若干の修正が行われた[22]。しかし、衆議院と同様に、日本側による修正には全てGHQの承認が必要であり、議会審議中にもGHQによる修正命令が続けられ、それに逆らうことはできず、GHQの意向の範囲内でのみ修正が行われた[27]。こうした状況下で貴族院帝国憲法改正案特別委員小委員会での審議のさいに、極東委員会はGHQを通して文民条項の追加を指示し、その通りに修正することで芦田修正案が承認された[22][53][54][55]。第六十六条 内閣は、法律の定めるところにより、その首長たる内閣総理大臣及びその他の国務大臣でこれを組織する。


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