日本勧業銀行
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宝くじ業務の関係や、大正時代の農工銀行からの事業譲受、農工銀行の吸収合併に伴う受け皿支店の開設などの理由により、全国都道府県庁所在地に必ず一店舗は存在した[注釈 6]。かつてあった都市銀行の出店規制[注釈 7]についても、他の都市銀行とは異なり都道府県庁所在地名の支店は廃止の対象にならず、むしろ他の都市銀行の地方支店の廃止の際には受け皿となったケースさえあった[注釈 8]

勧銀末期の出店分布は、上記経緯から地方部の店舗数が多かった反面、首都圏での出店は全体の4割弱と在京行としては手薄であり、当時の関西系上位行とほぼ同等の店舗数に留まっていたことが、旧五大銀行でありながら中位行に甘んじていた第一銀行との合併の誘因となった。

初代勧銀本店の「建物」は1926年に京成電気軌道(現京成電鉄)に売却・移築され、「谷津遊園楽天府」として阪東妻三郎プロダクションが使用した。その後千葉市に移管、千葉市役所庁舎を経て、現在は千葉トヨペット本社となり登録有形文化財でもある。また、内幸町の本店も、第一勧銀発足後の10年間を除き、引き継がれ2度の建て直しを経て、みずほ銀行内幸町本部ビルとなっていたが、「内幸町一丁目街区開発プロジェクト」に伴う再開発の為に閉鎖され、2022年より解体工事が行われている。
沿革

1897年(明治30年)7月 - 株式会社日本勧業銀行設立。日本勧業銀行法(勧銀法)による特殊銀行として開業。

1899年(明治32年) - 妻木頼黄武田五一設計による新社屋落成。

1921年(大正10年)9月 - 山梨・佐賀県両農工銀行を合併。以降全国各地の農工銀行を統合(1944年(昭和19年)完了)。

1950年(昭和25年)5月 - 勧銀法廃止に伴い、民間の普通銀行に転換。

1952年(昭和27年)11月 - 金融債の発行を停止し預金主体の都市銀行に転換。

1971年(昭和46年)10月 - 株式会社第一銀行1873年創業)と合併し、株式会社第一勧業銀行に商号変更。

歴代総裁
河島醇:1897年6月14日 - 1899年4月11日

高橋新吉:1899年10月24日 - 1909年10月23日

山本達雄:1909年11月29日 - 1911年8月30日

志村源太郎:1911年12月27日 - 1922年10月7日

梶原仲治:1922年10月7日 - 1927年10月6日

馬場^一:1927年10月7日 - 1936年3月9日

石井光雄:1936年3月12日 - 1941年3月11日

西野元:1941年3月12日 - 1946年3月11日

西田太郎:1946年3月12日 - 1950年3月31日

出身者詳細は「Category:みずほフィナンシャルグループの人物」を参照
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 東証に吸収。
^ 東証に吸収。
^ 戦後は台湾に進駐した中国国民党が接収し、台湾土地銀行となった。
^ この時、興銀との合併話(興勧合同)が取り沙汰されるが、引き続き長期金融を中心とした銀行を志向した興銀と、短期金融を中心とした都市銀行への鞍替えを志向した勧銀とで方向性が合わず、立ち消えになる。
^ この時、同じ特殊銀行だった興銀は長期信用銀行の道を選択。また勧銀と拓銀の長期信用銀行部門は日本長期信用銀行に引き継がれた。
^ ただし、農工銀行に相当する業務を行っていた北海道拓殖銀行の本店があった札幌市の場合は、まったく別の理由で設置されている。
^ 新規に出店する場合それとほぼ同数の支店を廃止しなければならない
^ 1960年代後半の旧富士銀行秋田福井鳥取松江支店など。逆に、日本勧業銀の釧路帯広旭川函館旧第一勧銀函館支店は第一銀行を前身とする。各支店等を富士銀行に営業譲渡していた。その後富士銀行とは、2002年みずほ銀行として合流することとなる。

出典^ 第一勧業銀行発足後の昭和42年4月1日付で住居表示実施により、現在の内幸町一丁目1番の街区に相当。
^ 『写真集 明治大正昭和 甲府』ふるさとの想い出 10、飯田文弥・坂本徳一著、図書刊行会、昭和53年、国立国会図書館蔵書、2019年3月22日閲覧

関連項目

勧業銀行旧廈(旧台北支店。現国立台湾博物館土地銀行展示室)

旧日本勧業銀行台南支店(台南市の古蹟。現台湾土地銀行台南支店)

第一勧業信用組合(当行職員を対象とした職域信用組合として設立。現在も東京都内に営業基盤を持つ中堅の地域信用組合として現存)

外部リンク

旧日本勧業銀行の建造物

旧日本勧業銀行(初代)本店(現・千葉トヨペット本社)
[1]

旧日本勧業銀行松本支店

旧日本勧業銀行松本支店 その2

旧大分農工銀行→旧日本勧業銀行大分支店(現・みずほ銀行大分支店)

旧宮崎農工銀行→旧日本勧業銀行宮崎支店(現・宮崎県庁舎第二別館・宮崎県観光協会) - ウェイバックマシン(2008年2月7日アーカイブ分)

旧日本勧業銀行台北支店(現・台湾土地銀行本店旧館/国立台湾博物館土地銀行史料館)

旧日本勧業銀行台北支店 その2 - ウェイバックマシン(2019年3月31日アーカイブ分)

旧日本勧業銀行台南支店(現・台湾土地銀行台南分行)

旧日本勧業銀行台南支店 その2



國立臺灣博物館 土地銀行史料館(日本語)

土地銀行史料館関連 - ウェイバックマシン

土地銀行史料館関連 その2 - ウェイバックマシン

土地銀行史料館関連 その3

土地銀行史料館関連 その4










1970年頃の都市銀行
現・みずほ銀行

富士銀行 - 第一銀行 - 日本勧業銀行
現・三井住友銀行

住友銀行 - 三井銀行 - 神戸銀行 - 太陽銀行
現・三菱UFJ銀行

三和銀行 - 三菱銀行 - 東海銀行 - 東京銀行
現・りそな銀行埼玉りそな銀行

大和銀行 - 協和銀行 - 埼玉銀行
破綻

北海道拓殖銀行(1997年破綻)










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