日本列島
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その後、中新世になると今度は日本列島が大陸から引き裂かれる地殻変動が発生し、大陸に低地が出来始めた[注釈 8]。2100万 - 1100万年前にはさらに断裂は大きくなり、西南日本長崎県対馬南西部付近を中心に時計回りに40 - 50度回転し、同時に東北日本は北海道知床半島沖付近を中心に、こちらは反時計回りに40 - 50度回転したとされる。これにより今の日本列島の関東以北は南北に、中部以西は東西に延びる形になった。いわゆる「観音開きモデル説」である。そして、およそ1500万年前には日本海となる大きな窪みが形成され、海が侵入してきて、現在の日本海の大きさまで拡大した[注釈 9]

1600万年前から1100万年前までは、西南日本(今の中部地方以西)のかなり広い範囲は陸地であった。東北日本(今の東北地方)は、広く海に覆われ、多島海の状況であった。その後東北日本は、太平洋プレートなどによる東西からの圧縮により隆起して陸地となり、現在の奥羽山脈・出羽丘陵が形成されるにいたった[8]

北海道はもともと東北日本の続き(今の西北海道)と樺太から続く南北性の地塊(中央北海道)および千島弧(東北海道)という三つの地塊が接合して形成されたものである。南西諸島は日本島弧の中でも最も新しく成立した島弧で、600万年前以前は大陸の一部であったが、大陸の縁で開裂が起こり完全に大陸から切り離され、サンゴ礁を持った島弧となったのは150万年前以降である[9]

西南日本と東北日本の間は浅い海であったが、この時代以降の堆積物火山噴出物で次第に満たされながら、東北日本が東から圧縮されることで隆起し中央高地日本アルプスとなった。西南日本と東北日本の間の新しい地層をフォッサマグナといい、西縁は糸魚川静岡構造線、東縁は新発田小出構造線柏崎千葉構造線で、この構造線の両側では全く異なる時代の地層が接している。

こうして、不完全ながらも今日の弧状列島の形として現れたのは、第三紀鮮新世の初め頃であった。その後も、特に氷期の時などには海水準が低下するなどして、大陸と陸続きになることがしばしばあった。例えば、間宮海峡は浅いため、外満洲・樺太・北海道はしばしば陸橋で連絡があった。津軽・対馬両海峡は130 - 140メートルと深いため、陸橋になった時期は限られていた。また、南西諸島ではトカラ海峡(鹿児島以南)、ケラマ海峡(沖縄島以南)のともに1000メートルを超す水深であり、第四紀後半に陸橋になった可能性はまず考えられない。南西諸島の生物相が固有種が多く、種の数が少ないなどの離島の特徴を示すことは、大陸から離れた時代がきわめて古いためと考えられている。陸橋問題では、津軽海峡は鮮新世末まで開いており、対馬海峡は日本海塊開裂時代には開いていたが、その後の中新世末から鮮新世には閉じたと考えられている[10]

最後の氷期が終わり、マイナス約60mの宗谷海峡が海水面下に没したのは、更新世の終末から完新世の初頭、すなわち約1万3,000年から1万2,000年前である。現在の日本列島の地形と海底地形図

現在の日本列島は、地形的には、

樺太、北海道、本州、四国とその周辺島からなる日本列島主弧

九州、南西諸島などからなる九州・琉球弧

北海道東部(千島弧の一部)

伊豆半島(伊豆・小笠原・マリアナ弧の一部)

などからなる。

いずれも、島孤の東側あるいは南側は狭い大陸棚があってその沖は沈み込み帯海溝トラフ)であり、海溝型地震が頻繁に発生する。この沈み込み帯に対して全体的には平行に山脈や火山帯が連なっている。その山脈の間や海沿いに細長く盆地や平野が点在している。日本最大の平野である関東平野は例外的に広く、その形成理由は詳しくは解明されていないが、基盤岩の深度が深いフォッサマグナに位置する事や、3枚のプレートが重なっている事などが挙げられる。全般的に地震の発生が多く、起伏の激しい地形が多い。
気候

およそ200万年前に始まる更新世は氷河時代とも呼ばれ、現在よりも寒冷な時期(氷期)と温暖な時期(間氷期)とが交互に繰り返し訪れた。厳しい気候変化の時代でもあった。それに伴う地形の変化や火山の爆発などで起こる地殻の変動も激しかった。氷期の最盛期には、気温年平均で摂氏7から8度も低下した。その影響で、南北両極に氷河が発達したのは当然ながら、北半球の高山や広い範囲に氷河が発達し、海水が少なくなって海水面が低下した。その低下量は、現海水面から約140mも下がった。ところが、最終の氷期を越えると世界的に気候は温暖化の時期を迎え、厚く堆積していた氷河が溶け始め、海水面は次第に上昇してきた。

地質年代区分の説明

第三紀は、約6,500万年前から約170万年前の間であり、さらに暁新世、始新世、漸新世、中新世、鮮新世と区分される。鮮新世は、510万年前から170万年前までを指す。

第四紀は、170万年前から現在までであり、更新世・完新世とに分けられ、人類の時代又は人類紀とも呼ばれる。更新世は氷期として知られ、完新世は後氷期として知られている。日本では更新世を洪積世、完新世を沖積世と呼ぶこともある。

完新世では、温帯温潤モンスーン気候に属するが、南部では亜熱帯気候、北部では冷温帯気候の影響下にある[11]
人類

4000万年前まで日本海が存在せず、日本列島は大陸の一部であった。約7万年前に、北方からはマンモスヘラジカトナカイヒグマナキウサギキタキツネなど、南方からはナウマンゾウオオツノシカカモシカニホンジカツキノワグマニホンザルなどが移り住んでいた。動物たちと同じく、それらを追って大陸の旧石器時代人も大陸から移り住んできたと推定される。その後、日本列島が大陸より切り離されることにより、それら動物や人類も独自の進化を遂げることになる。
斧形石器による推定

1973年昭和48年)、東京都府中市武蔵台武蔵台遺跡千葉県の三里塚55地点遺跡で刃部を研磨した磨製の斧形石器が発掘された。


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