日本人
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倭、倭人に関する記載は、もっとも古い文献では紀元前2世紀に中国の『山海経』と『論衡』にて登場するが、これらの記載は中国南東部の倭人のことを指しているとする説と日本列島の倭人のことを指しているとする説[49]があり、日本列島住民との関わりは不明である[50]。少数意見として、約7300年前の鬼界カルデラの噴火に伴う日本列島からの難民が倭人の源流になったとする説がある。
「日本民族」の形成

古墳時代、朝廷権力の拡大とともに「日本」という枠組みの原型が作られ、その後、文化的・政治的意味での日本民族が徐々に形作られていくとされる。

「日本人」「日本民族」という認識(民族国家「日本」の成員としてのアイデンティティ、同胞意識)が形成され浸透していく経緯については諸説あり、ヤマト王権の支配が広い地域に及ぶ以前の弥生時代から倭人として一定の民族的統合があったとする説、また律令制を導入し国家祭祀体制を確立させた7世紀後期の天武持統期(飛鳥時代後期)にその起源を置く説、13世紀元寇鎌倉時代中期)が国内各層に「日本」、「日本人」意識を浸透させていく契機となったとする見解などがある。

大和盆地大王を中心とした連合政権国家または中央集権国家であるヤマト王権(大和朝廷)が成立すると、本州四国九州の住民の大半は大和民族として統合された。東北の蝦夷や南九州の熊襲および隼人と呼ばれた諸部族は大和朝廷に服属せず抵抗したが、軍事的な征服事業や懐柔政策により、隼人は8世紀ごろ、蝦夷は10世紀?11世紀ごろまでには完全に大和朝廷の下に統合されていった(隼人の反乱日本の古代東北経営)。朝廷の支配が揺らいだ平安時代の東日本では、平将門の将門政権や奥州藤原氏の平泉政権など半独立政権が築かれたものの、東日本と西日本の民族的統合は保たれ、後に関東地方を基盤とした武家政権が全国を支配することとなった。
国民国家の認識朝鮮台湾を領有した戦前日本の領土

近代に入り、日本がネーションステート(国民 / 民族国家)として朝鮮半島台湾島を領有していた時代には、日本人という語は、公式には、朝鮮人、台湾人など日本国籍を付与された民族を含む国籍的概念であった。これらの地域には日本本土と同じ法令(現行の刑法など)が施行された事実上の併合であった。朝鮮人からは数千名の貴族が叙爵(侯爵・伯爵・子爵・男爵)され東京の帝国議会貴族院に議席を有した。また、朝鮮高等法院などの裁判所の裁判例は、東京や大阪の下級審を拘束した(現在の東京地方裁判所も、朝鮮高等法院の裁判例に違反した場合、控訴理由になる)。以上から、日本本土は内地それ以外の地域は外地と呼ばれていたのは地理的概念である。

事実上の内地であった南樺太では、ロシア人ポーランド人ウクライナ人ドイツ人、朝鮮人、ウィルタニヴフの中には日本国籍を持っていた者もいた。そのため、第二次世界大戦後、ソ連によって日本人として北海道に強制送還、ないしは自ら進んで移住した朝鮮人、ウィルタ、ニヴフがいた。また、反ソ分子として抑留された者もいた。ポーランド系日本国民の多くはポーランド国籍を取得しポーランドに移住した。

沖縄については「琉球民族および琉球処分」を参照
遺伝子本土日本人 (Mainland Japanese)、琉球人 (Ryukyuan)、アイヌ人 (Ainu)と他のアジア民族集団の系統樹。本土日本人は集団としては韓国人と同じクラスターに属した[51][52]

以下、人類学的観点から、日本人の系統または起源に関する諸説について記述する。

形質人類学的観点から日本人は、過去の縄文人弥生人や現在の日本国内に古くから住む住民がモンゴロイドに属する。「モンゴロイド」には朝鮮人やモンゴリア人などの東ユーラシア人全体が包括され、イヌイットアメリカ先住民が含まれる。

だが遺伝子の研究が進むにつれ、便宜的に使用される分類名称としての各人種も、推定される起源地(原初の居住地)の地理的名称を基準とすることが多い。

なお、日本人の元となった集団を仮定する際、その集団(もしくはその集団と遺伝的に近い集団)が「どこで発生したか」、「どこを通って日本にやってきたか」、そして「現在の集団においてどの集団と近縁か」は分けて考える必要がある。
分子人類学による解析

分子人類学の進展により、日本人に関してもDNAからルーツをたどる研究が行われるようになった。最初に発達したのが、母系をたどるミトコンドリアDNAハプログループの研究だった。しかし、ミトコンドリアDNAハプログループは人間を構成しているDNAの中で非常に少ない部分に過ぎず、すべての遺伝子を表すものではない。また、ミトコンドリアDNAのハプログループはアフリカで誕生した人類がどのように女系を通じて子孫へDNAを継承したかを示すのみであり、女系の継承と民族の移動は一致せず、女性は婚姻を通じて各方面へ移動し民族情報を持たない(民族固有の特徴を解析できない)ことが明らかとなった[53]。その結果、ミトコンドリアDNAの解析は下火となり、世界的には男系を追跡することの可能なY染色体ハプログループの研究に主役の座を奪われた。にもかかわらず、日本のアカデミズムにおいてはY染色体の研究は微々たるもので、ミトコンドリアDNAの研究が依然として続けられた。その理由の一つにはミトコンドリアDNAは染色体にある核の外部構造で、情報量はY染色体と比べ非常に少ないが、それゆえに研究者本人が低予算で簡便に解析ができたからである[54]


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