日本在住の外国人を含んだ宗教の信者数は、2018年(平成30年)時点の日本の宗教法人に対する文化庁の宗教統計調査では、神道系が約8,721万人、仏教系が約8,433万人、キリスト教系が約192万人、その他約785万人、合計1億8,131万人と日本の人口の約1.5倍になっている[35]。いっぽう、読売新聞が2008年(平成20年)に行った全国有権者へのアンケート調査では、「何らかの宗教を信じている」と答えた人の割合は26.1%、「何らかの宗教を信じていない」と答えた人の割合は71.9%という結果だった[36]。河合隼雄は『対話する生と死』の中で、「日本人は宗教を毛嫌いしたり無宗教であることを公言する人が他国に比較し多いことを指摘し、キリスト教やイスラム教信者の信仰心は日本人の想像を超えるものである」と述べている。また、「日本では戦時中に宗教が国家権力と結びつき悪用されたことやもともと日本人は日常生活の中に、宗教性を入れ込んで生きる姿勢を保持していたため、特定の宗教を他の一神教の信者らが『信じる』ような態度で信仰しなかった」と指摘している[37]。詳細は「日本の宗教」を参照 以下、民族的分類による日本人について概説する。 皮膚の色はやや赤みがかった薄い黄色(いわゆる肌色[38])、頭髪は黒色か茶色で直毛もくせ毛もあり、瞼は一重・奥二重のものも二重のものもあり[39]、身長は中位、また幼児期に蒙古斑が現れる[40]。平均身長は1940年代末ごろから伸び、男性は171.7cmになっている。成人女性は通例として、成人男性より平均身長がほぼ8%低い[41]。平均身長は男性女性ともに1978?1979年生まれ以降、低くなっている。 主要に日本人を形成したのは、「ウルム氷期の狩猟民」と「弥生時代の農耕民」とが渡来したことだった[42]。「ウルム氷期にアジア大陸から日本列島に移った後期旧石器時代人は、縄文人の根幹をなした」という[42]。「ウルム氷期直後の厳しい自然環境」が改善され生活が安定化していくと、「日本列島全域の縄文人の骨格は頑丈」となり、独自の身体形質を得ていった[42]。そして縄文時代終末から弥生時代にかけて、「再びアジア大陸から新石器時代人が西日本の一角に渡来」した[42]。その地域では急激に新石器時代的身体形質が生じたが、彼らが直接及ばなかった地域は縄文人的形質をとどめ、その後「徐々に均一化」されていった[42]。「地理的に隔離された北海道や南西諸島の人びとは、文化の変革による身体形質の変化はあっても、現在なお縄文人的な形態をとどめている」とされる[42]。 近年、埴原和郎や尾本恵市などが、W・W・ハウエルズの分類による「モンゴロイドの2型」を用いている[42]。すなわち「古モンゴロイド」と、寒冷に適応した「新モンゴロイド」である[42]。「初め日本列島に渡来した後期旧石器時代人ないし縄文人は古モンゴロイド」であり、「縄文時代終末から弥生時代に渡来した弥生人を新モンゴロイド」と呼ぶ[42]。弥生人は主に米作を伝え、それに従事していたとされる。米作の普及が遅れ「新モンゴロイドの影響が及びにくかったアイヌや東北、山陰、九州および南西諸島の住民は、古モンゴロイド的特徴を今もなお残している」と解されている[43]。縄文人・アイヌは東ユーラシア系統から少なくとも30000年前に分岐しており恐らくモンゴロイドの成立前であるためそもそもモンゴロイドではない可能性もある[4]。 かつては約3万年前に大陸から渡来して先土器時代・縄文時代の文化を築いた先住民を、大陸から渡来した今の日本人の祖先が駆逐したとする説があったが、現在は分子人類学の進展により置換説は否定され、混血説が主流となっている[44]。 以下、民族的分類による日本人について概説する。なお、近年の科学的研究の進展により従来の見方は大きく見直しが進んでおり、先史時代の日本人の形成については流動的な状況にあることに留意されたい。 石器時代の日本列島には下記の人々が活動した記録がある。 従来までの説としては、縄文時代から始まる縄文文化を持ち狩猟採集生活をしていた先住民の縄文人に続き、半島からの渡来してきた弥生文化を持つ弥生人が稲作をもたらすなどしながら混血していったという1991年に東大名誉教授だった埴原和郎が唱えた「二重構造モデル」が長らく定説であった。しかし最新のゲノム分析からこの説は覆えりつつある。 金沢大、鳥取大、アイルランド・ダブリン大などの教授、研究員らで構成される国際共同研究グループの最新のゲノム解析では、旧石器時代に大陸から渡ってきた千人ほどの小さな集団が日本列島に適応して縄文人となり、弥生時代までに北東アジアを起源とする弥生人が渡来し、続いて古墳時代までに東アジアを起源とする古墳人が渡来し、以後、混血融和しながら現在の日本人を形成していったとする「三重構造モデル」である[45]。考古遺跡から発見されている人骨から採取された『縄文人』『弥生人』『古墳人』のDNAは『現代日本人』に直接受け継がれている[45]。現代日本人では古墳人のゲノムが7割近くを占める[45]。縄文人のゲノムは本土日本人、琉球列島集団、現代のアイヌのゲノムのそれぞれ約1割、3割、 7割を構成しているとされる[46]。
自然人類学的特徴
身体的特徴
日本人の形質変化
歴史的に日本人の形質が大きく変化してきたことは人類学者・鈴木尚らの研究によって明らかになっている。近代以降は下肢が伸びて身長が高くなる、顎が縮小して面長になるなどの変化(小進化)が著しい。歯の縮小と永久歯の減少が進んでおり、親知らずが生えない日本人が増えているが、それ以上に顎の退化が進み、歯並びが悪い日本人が増えている。歴史的には同様の現象は徳川将軍家を始めとする江戸時代の大名家にも顕著にみられ、柔らかい食べ物を好むようになったことが、原因と考えられている。
成立
民族としての形成「民族」および「大和民族」を参照
石器時代の日本人
種子島の横峯遺跡の約3万年以上前の土層(地層)からは、日本国内最古の調理場跡が発見されている。なお、南九州の土層は火山灰による時代の確認が容易である。
愛媛県の太平洋側である上黒岩岩陰遺跡では、放射性炭素年代測定により14,500年前と測定された人骨が発掘されており、この地域が日本人のルーツといわれている。
縄文人と弥生人と古墳人
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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