また同研究では、北海道縄文時代人は北東アジア由来かもしれないという仮説、縄文時代人の祖先は東南アジア・中国南部のみならず広くオーストラリアまでも含めた地域の後期更新世人類の中から探さなければならないという指摘、後期更新世の沖縄港川人はアジア大陸の南方起源である可能性が高いが、北海道 - 九州地方の縄文時代人とは下顎形態に多数の相違点が見出され、両者の間の系譜的連続性を認める従来の仮説は見直される必要があるという主張もなされた[198][出典無効]。
名称
美称
日本男児、大和男子(やまとおのこ)
やまとなでしこ(大和撫子)
前者は日本男性、後者は日本女性を指す。武士道、武芸、日本的道徳、教養、芸術、和裁、日本料理の技能などを備えていることの誉め言葉としてよく使われる。国際スポーツ大会で活躍した日本チーム・選手は、20世紀末からは「サムライ○○」と呼ばれるようになった。(例)サムライブルー、サムライジャパン。
他の言語
アイヌ語で、アイヌ人以外の日本人を、「自分のそば」「隣人」という意味のシサムという。それ以外の言語では、おおむね「漢語の日本の現地発音、ジパングに類似した固有名詞」+「国民、住民を表す接頭語、接尾語」で表現される。 ヤマト王権(朝廷)が日本列島の大部分を統治するようになった後は、王の徳を慕って日本に渡来した帰化人があった。彼らは技能を持って王権に仕えることで、地位を保証された。呉の国から機織りの技術や、百済からは天文・暦学の知識が体系化された状態で日本へ伝えられたが、これらはヤマト王権が諸外国の知識を取り入れて安定した基盤を築くことに貢献している。帰化人は各地の倭人との同化が進み、日本人(大和民族)が形成された。大和民族は、歴史や人類学で使う呼称であり、法令では使われていない。反対に日本政府は、日本人の中にアイヌのみを別個の民族としており、かつて蝦夷地と呼ばれ日本の本土への統合の度合いが低かった日本北部の一部地域の先住民族と定めている(アイヌ施策推進法)。アイヌの人々は日本の一民族であるため外国系日本人には含まれない。 一方で、近現代の国籍法に定める帰化によって、様々な外国人が日本国籍を取得することができた。日本の帰化は、本人の志望と法務大臣の許可とを要する。明治の国籍法制定の時から1988年(昭和63年)までの帰化者の総数は20万人弱であるが、その大多数は戦後の新国籍法(昭和22年公布)の下で行われた。さらに、平成になった1989年から2021年(令和3年)までの帰化者の総数は約40万人に上っている。もっとも、帰化者の生存・子孫ならびに混血の動向に関する統計が存在しないため、ハーフ等の混血者を含まない純然たる外国系日本人の現人口を推計することは困難である[注 15]。 帰化に関する2020年(令和2年)の統計によると、同年末までに韓国・朝鮮籍から日本に帰化した累積者数は383,991人[199]、中国・台湾からの帰化(中国籍からの帰化)は累計149,948人[199]である。いっぽう、韓国・朝鮮・中国以外の籍からの帰化は、少数ながらも近年増加しつつある。2020年末現在のその累積者数は43,382人[199][200]に上り、帰化前の国籍には、ブラジル、アメリカ、ロシア、モンゴル、ベトナム、フィリピン、ペルーなどがある。帰化者は元の国籍を離脱する原則があるため、通常であれば帰化者は日本国籍のみを有する日本人である。 また、アメリカ系日本人のような呼称は、帰化者に限らず海外ルーツの日本人を全般的に指すことがある。もっとも、これらの呼称は多義的である。当人のルーツが専ら海外にある、もしくは海外と日本の両方にあるという属性のみを言う場合がある一方で、海外ルーツのない日本人との様々な隔たりを強調し、一般日本人と切り離されたマイノリティー集団への帰属が含意されている場合もある。しかし、それらの捉え方は各本人の習慣の実態や帰属意識(民族的アイデンティティまたは国民的アイデンティティ)と合致していると限らないので、注意を要する呼称である。
外国系日本人・帰化
その他
祖先の調査
DNA分析によるルーツ(祖先)調査は、ナショナルジオグラフィック協会とIBMによるジェノグラフィック・プロジェクト[201]や、ローカス[202]などで検査可能である。
東京都健康長寿医療センター(旧・東京都老人総合研究所)の健康長寿ゲノム探索研究チームでも「健康長寿を可能にする遺伝的素因の解明」という主題のもとにDNA系統分析が行われている[203][204]。