日本人
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また、アイヌ人は本土人との混血の度合いの差により個体間のばらつきがきわめて大きいが、遺伝的な多様性自体は本土人や沖縄人よりも低かった[注 8][151]。また、主成分分析およびfrappe分析から、アイヌ人個体の3分の1以上に本土日本人との遺伝子交流が認められた[149]。さらに、東アジアの他の30の人類集団のデータと日本列島人の比較調査が行われた。30集団のうちほとんどの集団が近縁のグループを形成したのに対し、本土日本人、沖縄人、アイヌ、韓国人、ウイグル人ヤクート人のみが大きく乖離していた。このうち日本列島の三集団はアイヌ、沖縄人、本土人の順に同傾向の乖離を示し、縄文人の影響を受けていることが確かめられた形となった[注 9]。このことは、現代日本列島には旧石器時代から日本列島に住む縄文人の系統と弥生系渡来人の系統が共存するという、二重構造説を強く支持する[152]

アイヌ人と琉球人は、東ユーラシア人の系統樹においてクラスターを形成しており、ブートストラップ確率(推定系統樹の信頼度)は100%であった。さらにこのクラスターは、系統樹上で、本土日本人とのクラスターを形成していた[153]

また、アイヌ人を縄文人に見立て、他の日本列島人と比較すると、本土日本人には14‐20%[154]、沖縄人には27‐30%[155]の縄文人の血が伝わっていると推定された。

また、日本を七地域に分けてその遺伝的距離を測った研究では、沖縄と他の本土日本人との距離はその他の地域同士の距離よりも大きく離れていた[注 10]。沖縄人と個々の地域集団との関連でいえば、比較的地理的に近い九州だけではなく、東北の集団とも比較的共通性がみられることがわかった[156]。さらに別の調査では、出雲地域の集団[157]や南薩摩の集団[158]が東北の集団と遺伝的に近いことが判明した。またこれら沖縄、東北、出雲、南薩摩の集団は、関東の集団と比べて大陸の集団との遺伝距離が遠いという結果になった。これは、北九州、畿内、中部、関東などの政治文化の中心地には弥生時代の渡来人やその後も断続的に続いた流入民が集まりやすく、逆に沖縄・東北・出雲・南薩摩などの周縁部は弥生以降の渡来人の影響が少なかったことが影響しているのではないかと推測されている[159]

また、斎藤はアイヌと本土日本人との遺伝的距離、そして本土日本人における遺伝的地域性を鑑みて、縄文人の後に大陸から渡来した人々は遺伝的に二つの集団に分かれると主張した[160]

2005年の疾病管理本部国立保健研究院のチョ・インホ博士研究チームは、韓国人、日本人、中国人の間に存在する遺伝的差異の中で、現在の韓国人と近隣諸国との遺伝的差異は中国人(10.4%)、日本人(5.9%)であり、韓国人と日本人の遺伝子が最も似ているとしている[161]
古代核DNA解析による研究

国立遺伝学研究所によると、下記のミトコンドリアDNA(母系)やY染色体ハプログループ(父系)ではなく、核ゲノム配列に基づく調査を行った結果、福島県三貫地貝塚から出土した縄文時代人に基づくものとして、縄文人は人類がアフリカから東ユーラシアに移り住んだ内でもっとも早く分岐した古い系統であること、現代の本土日本人に伝えられた縄文人ゲノムの割合は15%程であるとしている[162]

2019年、覚張隆史等のグループは愛知県伊川津貝塚から出土した特定の縄文人骨をIK002と名づけゲノム配列の解析を行った[163][164]。その結果、アフリカ大陸からヒマラヤ山脈以南を通り、ユーラシア大陸東端に到達した最も古い系統の1つであるとしている。また、本州縄文人の個体の一つであるIK002であるが、アイヌのクラスターに含まれると同時に[注 11]台湾原住民の中の一部や、8千年前のラオスの人骨との親和性が高いことから縄文人は南ルートを通った可能性を主張している[163][164]。一方で、IK002という1個体の解析であり、他の地域、他の時代の縄文人も同様に南ルートを示唆できるかについては不明とし、今後調査する個体を増やすとしている[163][164]

Boer et al. (2020) による全ゲノム研究では、いくつかの縄文人の標本を分析し、それらが現代のアジア人と遺伝的に異なり、シベリアを通って日本に移動した可能性が高いことを発見し、南ルート仮説を支持しない結果となった[165][166]a. 時間的・空間的に配置された古代ゲノム。 b. 本研究で得られた20の主要な古代集団のQpAdm近接混血モデリング。x軸はy軸の対象集団の祖先比率の推定値。赤はJalainurに代表されるアムール川系統。緑は仰韶文化(Yangshao)に代表される黄河系統。茶色は紅山文化(Hongshan)の系統。黄土色は夏家店上層文化(Upper XiaJiaDian)の系統。青色は縄文人(Rokutsuに代表される)の系統である。紅山文化系統と夏家店上層文化系統はいずれも遼河文明の地域に属し、アムール川系統と黄河系統の混血である[167]

マルティン・ロベーツによると、古代北東アジアの古代DNAからは、遼河文明の地にあたる遼河流域の遼西地域のキビ農耕民では、時代が進むとともにアムール川系統の遺伝子が多数派であったものが、黄河系統の遺伝子が増える傾向が見られ、それは前4000BPから前3500BPの夏家店下層文化まで続くが、前1100BPから前500BP頃の夏家店上層文化(Upper XiaJiaDian)では再びアムール川系統が増加している。一方で朝鮮半島では、新石器時代の南岸では、ばらつきは大きいものの0?95%で縄文人系統の遺伝子と、100?5%で遼河文明紅山文化の遺伝子との混血であるとモデリングできた。一方青銅器時代の朝鮮半島西部では100%夏家店上層文化系統であった。日本においては青銅器時代(弥生時代)の渡来系弥生人縄文人系統10?20%弱、夏家店上層文化系統の混血としてモデリングできた。形質的には縄文人の特徴が強いとされる西北九州弥生人では45%縄文人系統、55%夏家店上層文化系統であった。


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