日本三大都市
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江戸時代の三大都市は、大坂江戸であり、総じて「三都」と呼ばれていた。それぞれの都を表して『大坂の食い倒れ』『京の着倒れ』『江戸の呑み倒れ』という言葉がある。

1590年天正18年)に徳川家康江戸城を居城としてから江戸の発展が始まるが、それでも江戸幕府が置かれた当時の人口順では京・大坂・江戸だった(江戸の人口#江戸時代初期の人口参照)。山城国の京、および、摂津国の大坂(現代の大阪市は摂津国と河内国にまたがる)はいずれも畿内にあり、合わせて「上方」と呼ばれた(下り物参照)。

大坂の陣1614年/1615年)により、人口順は京・江戸・大坂に変化した。

大坂は近世日本における物流の中心地(天下の台所)、京は日本最大の工業都市として発展し、江戸は出来たばかりだったが、日本最大の知行地(700万とも言われる)を持つ幕府の在所であるのみならず、当初は自発的だった参勤交代1635年寛永12年)の「武家諸法度」によって制度化されると、各大名と従者が隔年で集住するため、当時の日本で最も富裕層が集まる都市となり、大消費地となった。

17世紀中頃になると、江戸の人口が京の人口を抜いた。さらに元禄年間の1700年頃には大坂の人口が京の人口を抜き、以降幕末まで人口順では江戸・大坂・京となった。

江戸の人口増の背景として、大消費地を支える商業従事者の増加のほか、飢饉貧困で営農放棄した農民の流入も言われている。また、火事(大火)が発生し易い気候の土地に造られた都市であったため建設業が発達し、大工や細工師などの工人を多く吸引したとも言われる。

また、駿府政権時代の駿府(現在の静岡市葵区)は駿府九十六ヶ町と呼ばれる街区が整備され、江戸(人口15万人)に次ぐ人口12万人を擁し、世界屈指の大都市として機能していた。そのため三都を江戸・上方(京・大坂)・駿府とする場合もある[6][7]
三市(開国 - 明治中期)「市制特例」も参照

開国以降、「開港5港」と呼ばれる国際貿易港のある都市の人口が急増した。また、明治時代に入って富国強兵が推進されると、近代工業都市、が置かれた都市、鉄道流通の拠点都市などの人口も増加した。しかし、明治期においてはまだ三都が人口の上位を占めていた。1889年(明治22年)4月1日の市制施行後の三大都市は、東京市・大阪市・京都市であり、「三市」と呼ばれた。

なお、京都のほかに東京にも皇居が設けられたこと、また、事実上天皇が東京に居を移したこともあり、当時の法律において三市を記載する順は「東京市・京都市・大阪市」であった。
世界的な視点

アメリカ経営コンサルティング会社A.T.カーニー2020年に発表したグローバル都市指標のレポートでは、ビジネス活動・人的資本・情報流通・文化的経験・政治的関与といった総合的な観点で世界都市を順位付けし、東京は4位、大阪は35位、名古屋は78位と評価された[8]

アメリカの総合不動産大手JLL2018年に発表した世界都市ランキングにおいて、不動産の観点で東京は世界最上位の都市の1つとして位置づけられ、国内都市では次いで京都が「新たな世界都市」「インフルエンサー」に、続いて大阪と名古屋が「国内成長エンジン」に分類されている[9]

イギリスシンクタンクZ/Yenグループが2021年に発表した世界金融センター指標によると、東京は世界7位(アジア5位)、大阪は世界32位(アジア9位)の金融センターと評価された[10]

また、日本のシンクタンクの森記念財団都市戦略研究所(森ビル)が2019年に発表した「世界の都市総合力ランキング」(GPCI)においては、評価対象になった都市の中で東京は3位、大阪は29位、福岡は42位と位置付けられた[11]。ただし森記念財団の調査には正確性と客観性について国外から疑問の声もある[12]。なお、名古屋は2012年の指標において低い評価が点いたが[13]2013年以降は評価対象外となっている。
六大都市の人口の変遷

以下三大都市を含む、明治以降の六大都市の行政域内人口の変遷をまとめる。なお1918年1920年の間で都市人口が大幅に減少したように見えるが、これは人口統計の基礎が戸籍による現住人口から国勢調査による現在人口へと変更されたからであり、実際の人口は減少していない。現住人口は本籍人口に対して出入寄留者などを加除することで計算されるが、入寄留者が出寄留者を大幅に上回ることとなった寄留届の不備などにより、年々実際の人口と現住人口の解離が増すこととなった。参考までに1908年と1913年に関しては警察署が各管轄内で把握していた警察署調査現住人口を別途掲載するが、これらは内務省調査の現住人口よりも実際の人口に近いと考えられている。

六大都市の人口遷移西暦(元号)資料人口統計東京大阪京都名古屋横浜神戸
1873年(明治6年)1月1日日本地誌提要本籍/現住人口595,905272,992238,663125,19364,60240,900
郡区町村制施行東京十五区大阪四区京都二区名古屋区横浜区神戸区
1879年(明治12年)1月1日日本全国郡区分人口表本籍人口671,335291,565232,683111,78346,18744,368
1880年(明治13年)1月1日日本全国人口表本籍人口672,331287,988234,532114,89841,55647,429
1881年(明治14年)1月1日日本全国人口表本籍人口687,893291,086236,038117,41946,45648,786
1882年(明治15年)1月1日日本全国戸口表本籍人口693,193293,589238,069119,00950,35050,718
1883年(明治16年)1月1日日本全国戸口表本籍人口698,377297,358239,566121,34452,59752,415
1884年(明治17年)1月1日日本全国戸口表本籍人口714,223300,662242,040123,05654,47954,421
1885年(明治18年)1月1日日本全国戸口表本籍人口729,401306,041243,120123,90356,94157,723
1886年(明治19年)1月1日日本全国民籍戸口表現住人口989,826385,987249,331130,55790,43078,274
1886年(明治19年)12月31日日本帝国民籍戸口表現住人口1,121,883361,694245,675131,49289,54580,446
1887年(明治20年)12月31日日本帝国民籍戸口表現住人口1,165,048432,005264,559149,756115,012103,969
1888年(明治21年)12月31日日本帝国民籍戸口表現住人口1,313,299442,658275,780154,981118,947115,954
市制施行東京市大阪市京都市名古屋市横浜市神戸市
1889年(明治22年)12月31日日本帝国民籍戸口表現住人口1,389,684476,271279,792162,767121,985135,639
1890年(明治23年)12月31日日本帝国民籍戸口表現住人口1,155,290473,541289,588170,433127,987136,968
1891年(明治24年)12月31日日本帝国民籍戸口表現住人口1,161,800483,609297,527179,174132,627142,965
1892年(明治25年)12月31日日本帝国民籍戸口表現住人口1,180,569479,546308,266185,776143,754148,625
1893年(明治26年)12月31日日本帝国民籍戸口表現住人口1,214,113482,961317,270194,796152,451153,382
1894年(明治27年)12月31日日本帝国民籍戸口表現住人口1,242,224488,937328,411206,742160,439158,993
1895年(明治28年)12月31日日本帝国民籍戸口表現住人口1,268,930487,184340,101215,083170,252161,130
1896年(明治29年)12月31日日本帝国民籍戸口表現住人口1,299,941503,690341,101242,085179,502184,194
1897年(明治30年)12月31日日本帝国民籍戸口表現住人口1,333,256753,375332,374252,699188,455194,598
1898年(明治31年)12月31日日本帝国人口統計現住人口1,440,121821,235353,139244,145193,762215,780
1903年(明治36年)12月31日日本帝国人口静態統計現住人口1,818,655995,945380,568288,639326,035285,002
1908年(明治41年)12月31日日本帝国人口静態統計現住人口2,186,0791,226,647442,462378,231394,303378,197
警察署調査現住人口1,488,245993,003378,966295,897245,307327,555
1913年(大正2年)12月31日日本帝国人口静態統計現住人口2,050,1261,395,823509,380452,043397,574442,167
警察署調査現住人口1,650,5731,054,840414,838351,120288,697362,844
1918年(大正7年)12月31日日本帝国人口静態統計現住人口2,347,4421,641,580670,357436,609447,423592,726
1920年(大正9年)10月1日国勢調査現在人口2,173,2011,252,983591,323429,997422,938608,644
1925年(大正14年)10月1日国勢調査現在人口1,995,5672,114,804679,963768,558405,888644,212
1930年(昭和5年)10月1日国勢調査現在人口2,070,9132,453,573765,142907,404620,306787,616
1935年(昭和10年)10月1日国勢調査現在人口5,875,6672,989,8741,080,5931,082,816704,290912,179
1940年(昭和15年)10月1日国勢調査現在人口6,778,8043,252,3401,089,7261,328,084968,091967,234
東京都制施行特別区部大阪市京都市名古屋市横浜市神戸市
1944年(昭和19年)2月22日人口調査現在人口6,558,1612,833,344964,4661,344,1001,019,466918,032
1945年(昭和20年)11月1日人口調査現在人口2,777,0101,102,959866,153597,941624,994379,166
1946年(昭和21年)4月26日人口調査現在人口3,442,1061,293,501914,655719,382706,557443,344
1947年(昭和22年)10月1日臨時国勢調査現在人口4,177,5481,559,310999,660853,085814,379607,079
1948年(昭和23年)8月1日常住人口調査常住人口4,555,5651,690,0721,040,127915,725859,324644,217
1950年(昭和25年)10月1日国勢調査常住人口5,385,0711,956,1361,101,8541,030,635951,189765,435
1955年(昭和30年)10月1日国勢調査常住人口6,969,1042,547,3161,204,0841,336,7801,143,687979,305
1960年(昭和35年)10月1日国勢調査常住人口8,310,0273,011,5631,284,8181,591,9351,375,7101,113,977
1965年(昭和40年)10月1日国勢調査常住人口8,893,0943,156,2221,365,0071,935,4301,788,9151,216,666
1970年(昭和45年)10月1日国勢調査常住人口8,840,9422,980,4871,419,1652,036,0532,238,2641,288,937
1975年(昭和50年)10月1日国勢調査常住人口8,646,5202,778,9871,461,0592,079,7402,621,7711,360,605
1980年(昭和55年)10月1日国勢調査常住人口8,351,8932,648,1801,473,0652,087,9022,773,6741,367,390
1985年(昭和60年)10月1日国勢調査常住人口8,354,6152,636,2491,479,2182,116,3812,992,9261,410,834


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