懇談会は、施設中心の再利用計画を採用せず、これからの都市化によってますます進むであろう自然破壊に歯止めをかけ、さらに失われた自然を復元、再生することによって、都市住民が、自然に接する機会をつくり、自然保護の思想を普及することを主旨とする報告書を、1970年12月に発表した。
1971年には、日本万国博覧会記念協会法が第56回国会で成立し、同年6月1日に公布、7月1日から施行された。9月1日に、財団法人日本万国博覧会記念協会が設立された。
協会は、設立後ただちに公園の基本計画策定に着手し、高山が顧問を務めていた鞄s市計画設計研究所に作成を委託した。高山と研究所より提出された基本計画報告書に基づいて、次のような基本計画を定めた。基本方針では、「記念公園は、人間と自然が触れ合うことのできるすぐれた『緑』の環境を実現し、自然の中で市民が積極的、能動的に参加し、体験することができる芸術、学術およびスポーツ・レクリエーション等の文化的活動の場を提供するものとする」とされた。
全体で264ヘクタール(ha)ある万博公園の敷地は、大きく分けて、自然文化園地区130ha、スポーツ・レクリエーション地区91ha、管理サービス地区43haと決まった。
公園整備事業では、次の3期に分けて長期的な展望に立った整備プログラムが決まった。
創成期(1972?83年):「跡地」から「公園」への転換
育成期(1984?99年):「緑」に包まれた記念公園の完成
熟成期(2000年):記念公園の充実
高橋理喜男・大阪府立大学教授は、造園家の吉村元男に対して、パビリオンの跡地100haに自然を回復し、公園的利用と良立させる基本設計業務を依頼した。1971年から2001年までの30年間で、100haの土地に多様な生態系の森林を再生するというコンセプトだった[8]。 日本さくら名所100選に選ばれている。
自然文化施設
自然文化園各パビリオンを撤去した跡に作られた広大な芝生の広場や桜、アジサイなど季節の花がある。太陽の塔もこの園内にある。
日本庭園 - 万国博覧会出展のために作庭された約26ヘクタールの池泉回遊式庭園である。設計及び施工指導は田治六郎。上代・中世・近世・現代の4庭園で構成され、各時代の様式を一堂に見ることができる「庭園博物館的な機能」を兼ね備える。
自然観察学習館 - 愛称は「moricara(モリカラ)」。自然のおもしろさや大切さを知ってもらうため、自然を紹介する展示、自然に直接ふれる実習活動(観察、工作)などを行っている。[9]
ソラード - 森の空中観察路。森の木の高さと同じ高さ(3?10メートル)に作られた観察道。森の集音器、展望台などもある[10]。
平和のバラ園 - 世界9ヵ国から寄贈された希少な品種などのバラ約140品種・約5600株があり、カナダ政府からモントリオール万国博覧会で寄贈されたカエデの木が植えられている。
文化施設
国立民族学博物館 - 博物館を併設した研究施設。
大阪日本民藝館 - 万国博覧会開催当時のパビリオンのひとつ。
EXPO'70パビリオン - 万博開催当時のパビリオンであった「鉄鋼館」を利用して2010年3月13日に開設された。万博の映像・写真などを展示している。
もみじ川芝生広場 - 自然文化園の中にある。野外コンサートが開かれ、FM802が主催するMEET THE WORLD BEATも1990年から毎年開催されている。
スポーツ施設
万博記念競技場
万博記念公園野球場
エキスポフラッシュフィールド
市立吹田サッカースタジアム(Panasonic スタジアム吹田=ガンバ大阪本拠地)
万博テニスガーデン
万博フットサルクラブ
少年球技場
少年野球場
スポーツ広場
軟式野球場4面
ソフトボール場1面
サッカー場2面(天然芝、人工芝)
総合スポーツ広場
ガンバ大阪練習場(トップチームが主として使用する天然芝サッカー場2面)
人工芝サッカー場1面
多目的グラウンド1面
運動場
400mトラック6コースなど(万博記念競技場補助グラウンド)
弓道場
サイクリングコース他
レジャー施設万博記念公園周辺の空中写真。
1985年撮影の9枚を合成作成。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス
源気温泉万博おゆば(日帰り入浴施設)
EXPOCITY
主な残存施設大屋根の一部
太陽の塔
EXPO'70 パビリオン(2010年3月13日開館、旧鉄鋼館)
お祭り広場に残るシンボルゾーンの大屋根の一部
日本庭園
迎賓館
大阪日本民藝館
万博記念ビル(旧日本万国博覧会記念協会本部ビル)