日本テレビ放送網
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画面に初めて時分テロップを入れる[27]。
12月01日、中部日本放送(CBC、現在のCBCテレビ)、大阪テレビ放送(OTV、現在の朝日放送テレビ〈ABCテレビ〉)が開局し、両社とネットワークを形成[28]。
12月31日、精工舎(現・セイコーホールディングス)提供、同局をはじめ民放4社による共同制作の『ゆく年くる年』を放送[29]。
1957年
02月03日、来るカラーテレビ放送に備え、米RCA社から、スリービディコンカラーフィルムカメラを購入する[29]。
03月17日、『ミユキ野球教室』放送開始(1990年3月終了)。
04月01日、カラーテレビ放送開始に備え、5ヵ所の街頭テレビに、RCA社製21インチカラーテレビ受像機を設置する[29]。
04月18日、カラーテレビ放送実験局の免許を申請[30]。
10月24日、- 10月27日、日本初のプロゴルフトーナメント試合テレビ実況生中継を行う。(カナダ・カップ 於:霞ヶ関カンツリー倶楽部)[31]
12月27日、カラーテレビ実験局本免許を取得(コールサイン:JOAX-TVX)[32]。
12月28日、カラーテレビ実験局開局(民放初)。初のカラーフィルムによる実験放送を開始 [33]。
1958年
04月09日、資本金を10億円に増資[34]。
07月14日、この日のカラーテレビ実験放送枠内にて、日本初のカラーアニメーション映画「もぐらのアバンチュール」を放送(同年10月15日に同枠内にて再放送)[35][36]。
08月28日、開局5周年。番組編成を日本テレビ主体に置いた系列局として、讀賣テレビ放送(YTV)、テレビ西日本(TNC)が開局。先に開局した西日本放送(RNC)も含め、日本テレビの全国ネットワーク体制のさきがけとなる[37]。
09月12日、カラー放送の為の実写用のカラースタジオカメラ(米RCA社製 TK-41)を購入[38]。
10月01日、(株)レクリエーション・センターを合併し、資本金が12億円に[38]。
10月14日、テレビ番組のキネスコープを使ったフィルムでの記録を開始する[38]。
12月12日、初のスタジオカラーカメラによる実験放送番組『手品教室』が始まる[38]。
12月18日、米アンペックス社製の放送用の2インチVTR(VR-1000 モノクロ仕様)を購入[38]。
12月25日
東海テレビ放送(THK)が開局。中部日本放送から番組ネットワークを引き継ぐ[39]。
初のVTR番組ドラマ「雑草の歌」“聞えない葦”放送[39]。
1959年
01月24日、カラーテレビ中継車が完成する[39]。
03月28日、ネットワークニュース番組『日本テレニュース』スタート。
04月08日、郵政省から、カラー実験放送に於いて、カラーCMの放映が認可される[40]。
04月10日、皇太子明仁親王結婚(成婚)。この日、39台のカメラを駆使してテレビ史上に語り継がれる大規模生中継を行う。その後、成婚当日の模様を同局でテレビカメラとは別に35mmカラーフィルムで撮影した物を、20時から特番『このよき日』でカラーで放送した[41]。この番組の中では、日本初のカラーCMも放送された[40]。
04月14日、プロボクシングのカラー初中継を、当時の後楽園ジムから行う[42]。
04月15日、スタジオドラマでは日本初のカラー放送による、『ヤシカゴールデン劇場・赤い陣羽織』を、この日の20時より1時間生放送[42][43]。
04月17日、プロレスリングのカラー初中継を行う[42]。
06月、カラーテレビセンター棟1階の第9スタジオ(後のHスタジオ、130坪)運用開始。
07月、カラーテレビセンター棟3階の第10スタジオ(後のJスタジオ、130坪)運用開始。
07月02日、プロ野球初のカラー中継がナイターで放送される(巨人対大洋戦)[42]。
09月10日、番組「ビクター 歌のパレード」内にて、日本で初めてカラークロマキーを実用化する[44]。
09月15日、同局の株式がマスコミ業界としては初めて東京証券取引所に上場する[44]。
10月23日、米RCA社から、日本で初めて2インチの放送用カラーVTRが納入される[注釈 9][44][45]。
10月24日、毎日放送(MBS)[注釈 10]と日本シリーズ中継を共同制作する。
11月21日、戦艦陸奥より海中中継(桂島)を行う[44]。
12月03日、
日本初のカラーVTR放送『ペリー・コモ・ショー』(Perry Como's Kraft Music Hall)(米NBCからダビングされたカラービデオテープを再生)放映[46][45]。
局内のスタジオにて、日本初のカラーVTRを使った収録を開始。
12月05日、2日前に、日本国内のスタジオにおける初のカラーVTR収録を行ったドキュメンタリードラマ番組『シャープクライマックス 人生はドラマだ』第9回「ダニエル建・井上」放送[46][45]。
1960年代
1960年
03月12日、出力が映像50kw、音声12.5kwに増強[47]。
06月10日、テレビ視聴率調査にニールセン方式を採用[48]。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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