1966年4月1日にNNN(Nippon News Network)を、また1972年6月14日にNNS(Nippon television Network System)を形成し、各系列局とネットワークを結んでいる。現在NNN加盟局は30局、NNS加盟局は29局。日本テレビの報道取材地域には関東広域圏の他に沖縄県が含まれる(沖縄県にNNN系列局がないため)。 開局以来長年「(第)4チャンネル」、「AX」、「NTV」などを略称として使用してきたが、1995年前後よりキャンペーンコピーに「日テレ」[注釈 1][5]を使用し始めた。後述の正式な略称・愛称採用以前には1996年8月から4年間放送されたCSチャンネルの名称を「CS★日テレ」、2000年12月には、開局した系列のBS日本のチャンネル名称を「BS日テレ」とした。 2003年の放送開始50周年と汐留移転を契機にコーポレートロゴを「日テレ」とするなど、正式な略称・愛称として「日テレ」が採用された。なお、新聞・テレビ情報誌の番組表での表示は従来通り「日本テレビ」のままだが、デイリースポーツ東京版では「日テレ」(以前は「NTV」)、一部番組の動画配信や関連商品の版権表記では「NTV」として表記されている。 業界ではコールサインを由来とするCX(フジテレビ)、EX(テレビ朝日)[注釈 2]、TX(テレビ東京)に合わせ「AX」(エーエックス、アックス)と呼ぶこともある。これにちなんで、かつてはSHIBUYA-AX(シブヤ-アックス、2014年5月31日営業終了)というライブスペースを運営していた時期があり、『AX MUSIC-FACTORY』、『AX MUSIC-TV』という番組も放送していた。また、2010年には日本テレビタワーにミニライブハウス「汐留AX」(SHIODOME-AX)を設立した。グループ内の番組制作会社『日テレアックスオン』(略称:『AXON』)の社名にも「AX」が使われている。 商号の読みは「にほんテレビほうそうもう」ではなく「にっぽんテレビほうそうもう」が正しく、これは日本放送協会(にっぽんほうそうきょうかい、NHK)やテレビ西日本(テレビにしにっぽん、TNC)の場合と同様に、英字表記する場合や局ロゴなどの表記では"NIPPON TVとしている。ただしこの2局[注釈 3]とは異なりコールネームの方は逆に「にほんテレビ(デジタルテレビジョン)」が正しいために局名告知でも全て「にほんテレビ」で統一されており、アナウンサーも「にほんテレビ」と読むことが多い[注釈 4]。更には国税庁の法人番号公表サイトでも商号の読み仮名が「ニホンテレビホウソウモウ」とされている[6][注釈 5]。
呼称
沿革
1950年代
1951年
08月13日、カール・ムント米上院議員が「日本全土に総合通信網を民間資本で建設する」と発表[注釈 6][7][8][9]。
09月04日、読売新聞社の正力松太郎、日本テレビ放送網設立構想を発表[10][注釈 6]。
10月02日、日本テレビ放送網、テレビ放送免許を申請[10]。
1952年
07月31日、NHKに先んじて、日本で最初のテレビ放送予備免許を取得[11]。
08月05日、千代田区二番町14番地の社屋建設用地(約2100坪)の購入契約を締結。当地は南満州鉄道の社長であった早川千吉郎邸があった土地で、1952年当時は大谷米太郎(大谷重工業社長、ホテルニューオータニ創業者)が所有していた[12]。
09月10日、テレビ放送に必要な主要機器(送信機、カメラ、アンテナ等)を、米RCA社に発注する[12]。
10月15日、創立総会を開催し、正力松太郎を社長に選出[12]。
10月28日、(旧)日本テレビ放送網株式会社(現・日本テレビホールディングス)として会社設立(資本金2億5千万円)。設立資金は正力からの要請を受けた池田勇人大蔵大臣が、財界人に声をかけ資金を調達した[12][13][14][15]。
1953年
02月18日、麹町のテレビ塔(アンテナ以外)完成。アンテナを含めた高さは154m。高さ55mと74m地点に展望台を設置した[16]。
04月15日、資本金を5億円に増資[16]。
04月、社屋本館、大道具室、機械室が完成[16]。
07月03日、本館スタジオ(第1?3)完成[17]。
08月03日、テレビ塔にアンテナ取付完了[17]。
08月17日、名古屋と大阪にテレビ局の免許を申請(後に却下)[17]。
08月18日、街頭テレビ受像機を関東一円(都内29か所、周辺部13か所)に設置。
08月20日、試験電波を発射[17]。
08月22?26日、テレビ放送施設新設の検査を受ける[17]。
08月27日、テレビ放送本免許を取得[17]。
08月28日、午前10時から「テストパターン」を流し[18]、午前11時20分、『鳩の休日』の映像と共に民放初のテレビ局(地上アナログ)として本放送を開始(この日が開局記念日であり、開局時の出力は、映像10kw、音声5kwだった)。開局第一声担当は、結城雅子アナウンサーが務めた。日本初のテレビ局としての開局を目指していたが、多くの放送機材を米国からの輸入に頼っていたため納入が間に合わず、機材をほぼ国産品で揃えたNHKに先行された。日本で初めてとなるテレビCM(精工舎提供)を放送。また、正午のCMが裏返しになるという日本で初めての放送事故 テレビCM(精工舎提供)が発生した[19]。
08月29日、プロ野球巨人 - 阪神戦(後楽園球場)を民放テレビ局として初中継[19][20]。