日本テレビ放送網
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02月27日、第27回衆議院議員総選挙、日本テレビとして初の選挙開票速報を実施[25][注釈 8][26]。
04月01日、資本金を7億5000万円に増資[26]。
05月30日、プロボクシング世界選手権白井義男 - パスカル・ペレス戦を中継。視聴率96.1パーセントを記録。
11月28日、清水与七郎が社長に就任[27]。
1956年
07月24日、開局時の局舎の裏側に増築した第4スタジオ(後の旧Gスタジオ、120坪)運用開始[28]。
08月19日、午前6時30分、日本初のテレビ早朝放送を開始。画面に初めて時分テロップを入れる[28]。
12月01日、中部日本放送(CBC、現在のCBCテレビ)、大阪テレビ放送(OTV、現在の朝日放送テレビ〈ABCテレビ〉)が開局し、両社とネットワークを形成[29]。
12月31日、精工舎(現・セイコーホールディングス)提供、同局をはじめ民放4社による共同制作の『ゆく年くる年』を放送[30]。
1957年
02月03日、来るカラーテレビ放送に備え、米RCA社から、スリービディコンカラーフィルムカメラを購入する[30]。
03月17日、『ミユキ野球教室』放送開始(1990年3月終了)。
04月01日、カラーテレビ放送開始に備え、5ヵ所の街頭テレビに、RCA社製21インチカラーテレビ受像機を設置する[30]。
04月18日、カラーテレビ放送実験局の免許を申請[31]。
10月24日、- 10月27日、日本初のプロゴルフトーナメント試合テレビ実況生中継を行う。(カナダ・カップ 於:霞ヶ関カンツリー倶楽部)[32]
12月27日、カラーテレビ実験局本免許を取得(コールサイン:JOAX-TVX)[33]。
12月28日、カラーテレビ実験局開局(民放初)。初のカラーフィルムによる実験放送を開始 [34]。
1958年
04月09日、資本金を10億円に増資[35]。
07月14日、この日のカラーテレビ実験放送枠内にて、日本初のカラーアニメーション映画「もぐらのアバンチュール」を放送(同年10月15日に同枠内にて再放送)[36][37]。
08月28日、開局5周年。番組編成を日本テレビ主体に置いた系列局として、讀賣テレビ放送(YTV)、テレビ西日本(TNC)が開局。先に開局した西日本放送(RNC)も含め、日本テレビの全国ネットワーク体制のさきがけとなる[38]。
09月12日、カラー放送の為の実写用のカラースタジオカメラ(米RCA社製 TK-41)を購入[39]。
10月01日、(株)レクリエーション・センターを合併し、資本金が12億円に[39]。
10月14日、テレビ番組のキネスコープを使ったフィルムでの記録を開始する[39]。
12月12日、初のスタジオカラーカメラによる実験放送番組『手品教室』が始まる[39]。
12月18日、米アンペックス社製の放送用の2インチVTR(VR-1000 モノクロ仕様)を購入[39]。
12月25日
東海テレビ放送(THK)が開局。中部日本放送から番組ネットワークを引き継ぐ[40]。
初のVTR番組ドラマ「雑草の歌」“聞えない葦”放送[40]。
1959年
01月24日、カラーテレビ中継車が完成する[40]。
03月28日、ネットワークニュース番組『日本テレニュース』スタート。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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