「日本脚本家連盟」とは異なります。
協同組合日本シナリオ作家協会Japan Writers Guild[1]
略称シナリオ作協
シナ協
設立1965年
種類中小企業等協同組合
法人番号3010405002174
協同組合日本シナリオ作家協会(にほんシナリオさっかきょうかい、英: Japan Writers Guild)は、日本の脚本家の組織する事業協同組合である。略称シナリオ作協、シナ協。
理事長はハセベバクシンオー(2023年 - )。
これとは別団体として「一般社団法人シナリオ作家協会」があり、教育・出版を行なう。略歴を参照の事。 組合員の作品の使用に関する斡旋、原稿用紙など消耗品の共同購買、経済的地位改善のための団体協約の締結、事業に関する経営および技術の改善向上、または組合事業に関する知識の普及を図るための教育・情報の提供、文芸美術国民健康保険・団体生命保険等の福利厚生に関する事業を行い、シナリオ作家から公衆送信権・上映権 映像作品のシナリオライターの団体である点で日本脚本家連盟と類似し、実際双方に加入する会員も多いが、入会資格として「映画化された劇場用映画シナリオ1本以上、又は放映されたテレビドラマのシナリオ合計2時間以上」の執筆経験を要求し、構成作家専業者の入会を認めていないことが、シナリオ作協の一つの特色となっている。
略歴
1936年(昭和11年)11月11日、関東地区で任意団体「シャッポーの会」を設立する。
1937年(昭和12年)1月15日、関西地区で任意団体「関西シナリオ作家クラブ」設立する。同年8月5日、両団体が合流し、全国組織の任意団体「日本映画作家協会」を設立する。
1949年(昭和24年)月刊「シナリオ」誌を同年10月号より同協会の機関誌とする。
1950年(昭和25年)12月14日、文部省の認可を得て社団法人となり、「社団法人シナリオ作家協会」を設立する。
1965年(昭和40年)6月26日、通商産業省の認可を得て協同組合となり、「協同組合日本シナリオ作家協会」を設立する。社団法人は教育・出版を行なう団体として存続。
事業内容
1957年(昭和32年)に「シナリオ研究所」を開設。学生運動による閉鎖を経て、1983年(昭和58年)より「シナリオ講座」を開講し、脚本家の育成を行っている。
1949年度(昭和24年度)よりその年度を代表するシナリオとして10作品を「年鑑代表シナリオ」として選定している。第21回(1969年度)までは回数を表示しているが、1970年度以降は年度表記のみで回数を表記していない。
会員資格
組織
本部
所在地:東京都中央区日本橋人形町2-34-5 シナリオ会館2F
役員構成
理事長、副理事長、専務理事、常務理事、理事、監事[2]。
歴代理事長
八住利雄(1965年 - 1968年)
橋本忍(1968年 - 1970年)
片岡薫
新藤兼人(1972年 - 1982年)
八住利雄(1982年 - 1991年)
山内久(1991年 - 1997年)
新藤兼人(1997年 - 2001年)
山内久(2001年 - 2005年)
西岡琢也(2005年 - 2015年)
加藤正人(2015年 - 2019年)
佐伯俊道(2019年 - 2023年)
ハセベバクシンオー(2023年 - )
委員会
著作権部会(著作権委員会)
教育文化部会(人材育成委員会、出版委員会、総務委員会、組織強化委員会)
声明・主張
2009年、映画『アマルフィ 女神の報酬』の脚本クレジットを無記名で公開した事に対し、製作したフジテレビに「脚本家軽視の疑いがあり、これは前代未聞の異常事態」として声明を発表、抗議を申し入れた[3](その後、日本放送作家協会からも同様の声明が発表された[4])。一応フジテレビ映画事業局長の亀山千広名義で回答はあったが、不審な点があり、製作者を招いた対談の形で、事の経緯を問いただされた[5]。