日本コロムビア
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桃中軒雲右衛門事件(三光堂が録音したレコードの無断複製盤販売)で訴えられる[13]

1926年(大正15年) - 英国のコロムビア・レコードと契約[12]

1927年(昭和2年) - 米コロムビア・レコードと契約、コロムビア・レコードの発売を開始する。

1928年(昭和3年) - 商号を「日本コロムビア株式会社」(初代法人、Nippon Columbia Co., Ltd.)に変更。

1931年(昭和6年) - 米コロムビアから商標権を譲り受け、シンボルを音符マークに統一。

1942年(昭和17年) - 商号を「日蓄工業株式会社」(Nitchiku Kogyo K.K.、通称「ニッチク」)に変更。これは戦時下での外来語敵性語)禁止に伴うもので、レーベルもコロムビアからニッチクへと改められた。

1946年(昭和21年) - 商号を「日本コロムビア株式会社」(二代目法人、Nippon Columbia Co., Ltd.)に再変更。日本電気音響株式会社(現:ディーアンドエムホールディングス)を買収[12]

1949年(昭和24年) - 東証1部へ上場開始。

レコードとレコードプレーヤーを造って来たので、放送機器等の製造も行われるようになっており、拡声器のトランペットスピーカーの製造販売,屋内用の壁掛け箱形スピーカーやタイマーチャイムを組み込んだ、屋内放送システムも造られ、学校等の校内放送用の装置も充実していた。

1951年(昭和26年) - 日本初のLPレコードを発売。第1号は米コロムビア原盤による、ブルーノ・ワルター指揮ニューヨーク・フィルによるベートーヴェン交響曲第9番(2枚組)[注釈 7]

1958年(昭和33年)9月1日 - 国内では、日本ビクターに次いでステレオLPレコードを発売(米コロムビア原盤による。第1号は、セルゲイ・プロコフィエフ作曲、交響曲第5番 (RS-101) )[注釈 8][注釈 9]

1959年(昭和34年) - 自社独自のステレオ録音を開始する。

1962年(昭和37年)

国内で最後にSP盤のプレス、発売を終了する。

英EMIが東芝音楽工業と正式に発売契約を結んだため、英EMI原盤によるコロムビア・レーベルの発売が東芝に移行。これに伴い、同原盤の発売を終了する[注釈 10]


1963年(昭和38年) - 日本電気音響株式会社を合併。
1960年代初めごろに発売されたCOLUMBIAブランドのオープンリール・テープレコーダー
「7L-10」

1964年(昭和39年) - 電子ピアノ「エレピアン」発売。デノン(現:デノンコンシューマーマーケティング)に分社化された後もしばらく製造された。

1965年(昭和40年) - 東京都港区赤坂に本社ビルを建設、同年2月1日より業務を開始。ほぼ同じ頃、同社内にCJ(CBS JAPANの略)事業部が作られ、日本国内において「CBS」レーベル(別称:CBSコロムビア)での邦楽ポップス(≒邦楽流行歌)の制作が開始される[注釈 11]

1967年(昭和42年)6月30日 - 米コロムビア・レコードとの契約を解消[14]

1968年(昭和43年)8月21日 - 日本国内における米コロムビア原盤の発売権がCBS・ソニーレコード(後のソニー・ミュージックエンタテインメント)に移管されたため、同原盤による発売を終了する[注釈 12]。また、EPICレーベルを含めた自社の洋楽部門からCBSレーベルでリリースしていた邦楽歌手やスタッフの一部もCBS・ソニーに移籍した。

1969年(昭和44年) - 日立製作所との資本提携を締結。

1970年(昭和45年) - レコード再生に於けるトレーシング歪を解消する技術、「ノン・ディストーション・カッティング・システム」を開発、運用開始[15]

1970年(昭和45年)9月14日 - NHK放送技術研究所PCM録音機の試作機を借りて、世界初のPCM方式によるデジタル録音を行う[15][注釈 13]

1972年(昭和47年) - 自社製のPCM方式によるデジタル録音機第1号機[注釈 14]を作り、本格的なPCM録音によるレコード製作を開始する[注釈 15]
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