日本コロムビア
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一方で米国コロムビア・レコード1967年(昭和42年)6月30日付を以って提携解消、その翌年6月30日を以って輸入発売権、および一部の邦楽におけるCBSレーベルの使用権に伴う猶予期間もそれぞれ失効したため(#「コロムビア」の商標についてを参照)、洋楽ロックバンドポップスなど)のラインナップは大幅に減少し、現在では自社プロデュース或いは発売権取得によるクラシック音楽ジャズ演奏を中心とした少数派に留まっている。2002年平成14年)10月のコロムビアミュージックエンタテインメントへの社名変更以来、1990年代中ごろより不採算部門と言われたJ-POPへ力を入れている。

昭和期には、美空ひばり石川さゆり島倉千代子都はるみ藤山一郎舟木一夫らの演歌・歌謡曲の大御所が多数所属し、ビクター音楽産業東芝EMIテイチクエンタテインメントと市場を二分する程の勢いがあった。一方、J-POP部門はそれらレコード会社やソニー・ミュージックポニーキャニオンエイベックスなど新興勢とは相反して、ゴダイゴ中村雅俊榊原郁恵松山千春ザ・コレクターズ、平成期以降はthee michelle gun elephantピチカート・ファイヴ毛皮のマリーズ04 Limited Sazabysなど、ファン層が比較的限定されたアーティストで占められていた。

1947年(昭和22年)に傘下となった日本電気音響(DENON)は、1963年(昭和38年)に放送局向けに開発・供給していたMC(ムービング・コイル)型カートリッジ「DL-103」を1964年(昭和39年)ごろに一般オーディオ市場に流通させたことをきっかけとして、以後デンオン(デノン)ブランドによるコンポーネント機器を発売した。また、カラー本放送開始と同じ1960年にはカラーテレビを発売し、冷蔵庫も手掛けるなど、総合家電メーカーへの指向を示した一時期もあった。1972年(昭和47年)ごろには、NHK技研との共同開発による世界初の実用PCMデジタルレコーダー(DENON「DN023R」)によるデジタル録音・LP盤発売を実施するなど、ソフトとハードを兼ね備えていたメーカーとしての顔も見せていた。しかし後述の経営再建策により、2001年(平成13年)にデノン(後のデノン コンシューマー マーケティング)として分社化され、その後の日本マランツとの経営統合により、高級志向に特化したオーディオ機器メーカーとして事業を行っている。

1992年(平成4年)ごろに、ANIMEXレーベル内の特撮音楽(旧ブラジルレコード)とアニメソング一部作品の制作・発売元を株式会社フォルテ・ミュージックエンタテインメント(Forte Music Enterprise、FME)に分社化し[注釈 2]、ディレクターが独立。しかし、1996年(平成8年)ごろに債務超過に陥り会社が清算されたため、コロムビアが同社の音源を買い上げるかたちで収束している。

旧来は日立製作所が筆頭株主である日立グループの一社で、第一勧銀グループの社長会である三金会でも旧財閥に属さぬ「勧銀15社」で、民族(国内)資本の名門レコード会社であった。後述の2001年(平成13年)に実施された経営再建に伴うグループ外企業からの出資・経営支援により、みずほグループや日立グループの系列から脱退[注釈 3]している。2012年(平成24年)現在の主要取引銀行は三井住友信託銀行である。フェイスグループ入り以前は三菱東京UFJ銀行であった[注釈 4]

かつて関係があった米コロムビア・レコードハリウッドの大手映画スタジオであるコロンビア ピクチャーズは、英語では同一表記であるが、両社間は元々関わりがなかった。しかし、ソニーによる買収により1990年(平成2年)以降はソニーグループに属している。
経営母体の変遷
リップルウッドによる買収

平成期に入ると、小室ブームの牽引により売上シェアが急激に拡大したエイベックスの様にミリオンセラーを誇るキラーアーティストの不在に加え、他社と比べて積極的ではなかったJ-POP部門で、THE YELLOW MONKEY( → ファンハウスへの移籍を経てその後の再結成と同時に古巣のコロムビアに一旦回帰、2022年現在はワーナーミュージック・ジャパンに在籍中)・HOUND DOG( → R and C)・観月ありさ( → avex tune)ら、当時のオリコンチャートに入る複数の有力アーティストが1997年(平成9年)前後に所属事務所側の意向によって他社へ移籍すると、代わりの新人アーティスト発掘に出遅れたこと、演歌・歌謡曲部門では、2000年(平成12年)デビューの氷川きよしを除いてヒット曲に恵まれなかったこと等による売り上げ減少が続き次第に経営不振に陥った。

このため、経営再建のスキームとして2001年(平成13年)5月に日立製作所と主力取引銀行(第一勧銀三和銀など)の意向により、経営権を企業再生ファンドであるリップルウッド(RH)の手に委ねた。

これと前後して、J-POP部門を1998年(平成10年)に分社化した株式会社ヒートウェーブ(HEAT WAVE)が2001年(平成13年)3月に債務超過に陥り、清算後にコロムビアに吸収されている。同年8月にはレコーディングスタジオを兼ねた赤坂4丁目の本社屋の不動産を売却し、六本木移転まで賃借する形式をとった[注釈 5]

そして同年10月1日に、先ず音響機器部門をデノンとして分社化(日本コロムビア完全子会社)。即座にリップルウッド中間持株会社の「ニューデノン」(98%・59億円出資)と日立(2%・1億円出資)に、デノン持株分を日本コロムビアが売却することで60億円を調達。さらに事業分割後の日本コロムビアは、同日に第三者割当増資によって65円の優先株を9230.8万株発行し、匿名組合出資ファンド「リップルウッドニッポンコロムビアパートナーズ」(リップルウッドが8割、第一興商三菱商事が残りの1割ずつ出資)に対して83%、日立製作所に13%を割り当て、投資ファンドが筆頭株主(全体の41.66%出資)となる。この時点で日立製作所の持株比率が全体の2割強となり、外資主導の資本構成となる。なお、日立へ累積債務の引換として41億円相当の普通株が割り当てられた[5]

100億円規模の資金調達が実現した結果、財務状態は健全化。当時の株価が200円前後で推移したため、普通株に転換できればこの時点でリップルウッドに含み益が発生しているが、2002年(平成14年)7月にも、リップルウッドを主な引受先とする68億円分の普通株発行により資本を増強している。

リップルウッドは、2002年(平成14年)にデノン日本マランツ株式移転(経営統合)によって設立したディーアンドエムホールディングスの株式保有を続け、2008年(平成20年)にベインキャピタルへ売却したことにより、126億円という莫大な譲渡益(キャピタルゲイン)を得ることになった。
経営改革の成果と業績の低迷

RHの方策により、アメリカのBMGエンタテインメントで会長職を歴任したストラウス・ゼルニックが代表取締役会長に内定し、ソニー・ミュージックプロデューサーBMGファンハウス(現:ソニー・ミュージックレーベルズ)副社長を歴任した元サディスティック・ミカ・バンドのメンバーであった松村克己(ジャック松村)と、ビーイングでプロデューサーをしていた中島正雄取締役として招致した。


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