日本エアコミューター
[Wikipedia|▼Menu]
人口減少社会で利用者の減少が進み、2017年には国土交通省の「持続可能な地域航空のあり方に関する研究会(座長竹内健蔵東京女子大学教授)」で機体の共同保有や、将来の経営統合などを内容とする報告書が出された[5][6]。2018年3月27日に「持続可能な地域航空のあり方に関する研究会 最終とりまとめ(案) 」として提出され「同年末までに具体的な組織形態について一定の結論を得ること を目指すべき」とされた。同年12月18日には大手航空2社(日本航空全日本空輸)及び地域航空3社(日本エアコミューター、天草エアラインオリエンタルエアブリッジ)を構成員とする有限責任事業組合を設立することを目指し、経営改善効果の試算や運営ルールづくりを開始することに合意した[7]。これら議論を経て2019年10月25日にAMX、ORC、JACとANA、JALを組合員とする「地域航空サービスアライアンス 有限責任事業組合」(英語表記:Essential Air Service Alliance LLP、略記:EAS LLP)を設立した。3年を経過した時点で取組状況を検証し、以降の対応を協議することとした[8]。約3年が経過した2022年10月30日より、グループの垣根を越え、JAC運航の離島発着便について、一部便を除きANAとのコードシェアを開始する[9]
沿革

1983年昭和58年)

7月1日:設立(本社は旧奄美空港内)。

11月2日: 不定期航空運送事業免許を取得。

12月10日ドルニエ 228により運航開始(奄美 - 喜界島徳之島沖永良部島与論島)。


1988年(昭和63年)

6月15日:本社を鹿児島空港内へ移転。

7月6日:定期航空運送事業免許を取得。

7月19日:YS-11定期運航開始(鹿児島 - 沖永良部)。


1992年平成4年)12月1日:SAAB 340B運航開始。

1994年(平成6年)5月18日:離島路線以外での運航を開始(大阪 (伊丹) - 但馬)。

1997年(平成9年)7月14日:初の国際チャーター 鹿児島?釜山線をSAAB 340Bで運航。

2003年(平成15年)2月1日:DHC-8-Q400運航開始(大阪/伊丹 - 鹿児島、大阪/伊丹 - 出雲)。

2006年(平成18年)9月30日:沖永良部 - 鹿児島間の臨時便を最後にYS-11が定期路線での運航を終える。日本のエアラインにおけるYS-11の最終運航でもあった。

2007年(平成19年)10月1日:松本 - 新千歳線運航開始。北海道に進出したが2010年5月撤退。2010年6月以降はフジドリームエアラインズがJALとのコードシェア運航を行っている。

2009年(平成21年)9月1日:大阪/伊丹 - 屋久島直行便を就航。

2011年(平成23年)3月27日:福岡 - 屋久島、奄美直行便就航。

2015年(平成27年)6月15日:パリ・国際航空ショーにて、ATR 42-600を更新機材として発注発表[10]

2017年(平成29年)

4月26日:ATR 42-600運航開始(鹿児島/屋久島/鹿児島/沖永良部/鹿児島)。

8月:一部路線を同じJALグループのJ-AIRへ移管開始。


2018年(平成30年)

7月:徳之島 - 沖永良部 - 沖縄/那覇(「奄美群島アイランドホッピングルート」)開設[11]

11月30日:この日を最後にDHC-8-Q400が定期便としての運航を終了。最後まで残ったのはJA844CとJA851Cだった(JAC3808(沖永良部鹿児島行き)が最終運航)[12]

12月:ATR 72-600運航開始(鹿児島/沖永良部/鹿児島/与論/鹿児島/屋久島/鹿児島)[13]


2019年令和元年)

10月25日:AMX、ORC、JACとANA、JALを組合員とする「地域航空サービスアライアンス 有限責任事業組合」を設立[14]

12月20日:喜界発鹿児島行きJAC3784便を最後にSAAB 340Bが定期便としての運航を終了。


2020年(令和2年)10月25日:運送の共同引受開始により全便JAL便としての運航開始(初便は鹿児島徳之島行きJAL3791便)[15][4]。同時に国際航空連合(アライアンス)「ワンワールド」に加盟[3]
次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:122 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef