日本アカデミー賞
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おもいッきりDON!』は2010年4月6日放送の「きょうは何の日」で本賞を取り上げ、「映画の未来を憂い、奮い立った岡田がアメリカのアカデミー賞に並ぶ権威ある賞を日本でも創設することを考え、電通の入江雄三[32]と共に創設を尽力した」と紹介している[33]。岡田は「歌謡界のような大きなイベントが映画界にも必要」と考え[11][34][35]、電通に話を持ち掛けていた[11][33][34][36]

1977年11月15日、電通からと見られる「日本アカデミー賞」創設原案が映連に到着する[37]。1977年11月24日、映連の定例理事会において、かねてより立案であった「日本映画芸術科学アカデミー(仮称)」の設立について協議し、設立の趣旨について、満場一致で賛成があり[38][39]、アメリカ映画界の一大イベントと同様の「日本アカデミー賞」を設け、日本映画界の年中最大行事として実施しようという申し合わせがあった[38][39]。一億円近くかかるであろうと見られた運営費は、本来アメリカのアカデミー同様、協会会員の会費で賄わなければならなかった、準備不足で会員が何人いるのか、会費がいくらならいいのか等、把握仕切れず、第1回はアメリカ式は無理で、色々なスポンサーに頼ろうと考えていたら、電通が運営費を負担することになった[34]。実施方法や時期などの具体的な問題は、準備委員長に大谷隆三、副委員長に岡田茂、映連加盟の東宝松竹東映日活より製作・宣伝部門からおのおの一名づつの委員を選出し、早急に準備委員会を設立し検討を始めると決定した[38][39]。1977年12月1日に準備委員会が会合を開き、1978年春に「第一回アカデミー賞」を実施する方向で問題を討議した[40]

1977年12月15日、映連の定例理事会において、1978年3月下旬の第1回開催を目標に諸準備を進めていると報告があり[41]、1978年1月16日、映画関係団体、日本映画監督協会日本シナリオ作家協会日本映画テレビプロデューサー協会、映画テレビ技術協会、日本映画撮影監督協会日本映画照明技術者協会、映画俳優協会、日本映画美術監督協会、独立映画協会、外国映画輸入配給協会の10団体の代表に協力要請を行った[41]。公式サイトの「公式パンフレットで振り返る授賞式」の第一回協会概要に、日本アカデミー賞協会立ち上げ時の役員とノミネート委員の記載があり[1]、メンバーは映連加盟4社の幹部、上記映画関係団体10社の幹部がほとんどであるため[1][5]、この後、準備委員会を日本アカデミー賞協会に発展改組し、このメンバーが役員、ノミネート委員に名を連ねたものと見られる。

1978年2月8日、帝国ホテルで設立発表会見が行われ[8][42][43]、1978年4月6日に「第一回アカデミー賞」の発表授賞式を帝国劇場で行い、その後帝国ホテルで記念晩餐会を開くと発表された[8]。合わせて、この日、全10部門のノミネート(優秀賞)が発表され[43]、最優秀賞の最終選考は全協会会員による記名投票で、1978年3月20日から27日までの郵送により第三者機関が集計保管し当日発表する、授賞式は日本テレビ系全国ネット生中継され、各部門でノミネートを受けた授賞対象者は4月6日の発表授賞式に全員出席を予定[43]、授賞式にはカーク・ダグラスがアカデミー賞協会のメッセージを持って出席し[11][44]ロック・ハドソンに変更)[1][45]、映画界に携わる人々の親睦の機会を作ると、授賞式は関係者席を除き映画ファンにも有料で開放し、入場前売り券を都内の主要プレイガイドなどで発売する等、実施要項、運営方式の説明があった[8][11][42][44]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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