日本の鉄道事故_(1949年以前)
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注釈^ 大森停車場に於ては平均一日の乗降人員凡三百五十人にして列車の同駅に停止する往復併て廿四回なり。茲に本月十二日は池上本門寺会式にて例年乗客多数に付新橋大森間は通常列車の外、別に拾回の臨時列車を運転せしめ猶急行車も大森へ停車せしむるの計画なりし。然るに本年は非常の乗客にて臨時列車予定の外更に二回を増し運転せしが、最後十一時列車に於ても乗余りし人員無慮六七百名も有之、不得止深更なれども同夜十二時四十分新橋より猶一回の臨時列車を為さゝるを不得に至れり。右の如く同駅の発着頻々として其度数都合五拾六回乗降人員総計弐万五千人の多きに及べり。加ふるに同停車場内は素より狭隘なれば殆と立錐の地なく其雑還名伏すべからず。且前陳の如く当日は多数の列車続々運転致候事故同所に於て乗客の出入列車入換等は尤急速に為さゝれば必す発着の時限を誤るの恐あるを以て、係員は皆非常に勉励し就中車長に於ては専ら其措置を誤らざる様注意すると雖とも、奈何せん群集の乗客皆狂顛の有様にて先きを争ひ乗降を競ひ或は酔体のものもありて列車の発着に際しては恰も潮の湧か如く殆と是を制するに術なきの景況に有之候(「工部省記録 鉄道之部」 巻38; 原文カタカナ、旧字体)
^ 1934年(昭和9年)6月1日に大阪駅の東海道本線・城東線ホームは高架化されたが、その時点では西成線は地上に残っていた。
^ 8月27日から28日にかけて北海道に台風が上陸、北海道全域で家屋浸水3,800戸などの被害が出た[26]。この台風被害による死者は、本件鉄道事故による7名の他、銭函で家屋流失などによる23名[26]釧路で漁船遭難による14名[26]札幌豊平川堤防決壊による死者3名[27]などとなっている。当時は目名駅と上目名駅間の区間は現在とはルートが異なっており、目名駅の南で目名川を渡らず、国道5号を横切り、目名川右岸を迂回していた[25]。事故が起きたのは目名川支流の郡界沢川に架けられていた鉄橋である[25]。なお北海道庁・蘭越町の記録では、この事故による死者7名、負傷者は62名[26][25]上目名駅の開業は事故の1ヶ月後の9月21日[25]
^ 『鉄道省年報 大正9年度』では粟原となっているが粟津の誤記と思われる。
^ 一部の資料では1両。
^ 死傷者数は『続・事故の鉄道史』による。『東京朝日新聞』1931年1月13日付夕刊では「肝腎の機関手が絶命して原因取調に支障」とあるが誤報で、実際は重傷を負いながらも生存している。
^ なお、これがきっかけで笠間稲荷神社を信仰するようになったとされる。
^ 会社側資料による。当時の新聞発表では死者45名および重軽傷者56名。
^ この事故で肩を骨折し、入院治療を受けた人物に後の宝塚歌劇団俳優・政治家の扇千景がいた[156]
^ 朝日新聞の記事には"阪急、阪神へ不意打乗入れ"とも書かれている。

出典^ 鉄道大臣官房文書課 1921a, p. 81、国立国会図書館デジタルコレクション
^ 佐々木 & 網谷 1993, pp. 1?18.
^ a b c d 「大田区史下巻」 平成8年3月15日大田区発行 大田区史編さん委員会編集 p52
^ 久保田博「鉄道の安全はどのようにして守られてきたか 鉄道保安要史その1」『鉄道ファン』No.2951985年11月号、交友社、1985年、[要ページ番号]。 
^ 日本国有鉄道 1969, p. 717.
^ 静岡新聞社 1981, pp. 47?50.
^ 鐵道作業局 1898, pp. 115?116、国立国会図書館デジタルコレクション。
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