日本の運転免許
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道路交通法上で使われる『自動車』という用語には自動二輪や大型・小型特殊自動車も含まれる。これは自動車を「原動機で動く車両」と定義しているためである。なお、『車両』とは、「自動車、原動機付自転車、軽車両及びトロリーバス」である。明確に原動機で動く車両と定義されているため、「移動式ピクニックテーブル」(原動機で動く車両の十分条件である。)を公道で走行させた場合、議論の余地はなく明確に検挙できる(オーストラリアでは明確に自動車と区分されないため、警察は「危険だから乗らないように」と案内するにとどまっている。[2])。

道路交通法が適用される道路において、自動車や原動機付自転車は免許を受けていない者は「運転してはならない乗り物」となっている(道路交通法第64条、無免許運転の禁止)。この条文では運転免許を受けた者に関する言及はされてない。ただし解釈としては運転免許を受けた者は「特別に運転することを許された者」という立場である。ゆえに運転免許は、行政法概念上でいう「許可」にあたる。

以降、本項においては断りない限り「運転免許」は単に「免許」と記載することがある[注 1][注 2][注 3]
歴史
初の免許制度

日本で初めて自動車が走ったのは1898年明治31年)とされているが、その5年後の1903年日露戦争の前年)に、愛知県で日本初の自動車免許制度である「乗合自動車営業取締規則」が制定された[3]。この制度が対象としたのは、個人の自家用自動車ではなく、当時「乗合自動車(のりあいじどうしゃ)」と呼ばれた乗り物つまり現在のバスのようなものであった[3]。だが当時は一般庶民が「乗り合い自動車」に乗ることはなく、そもそも自動車を一度も見たことがない人々が大勢いて、当時都市部で乗り物に乗せてもらう場合は人力車が一般的で[3]、人力以外の乗り物としては(馬車があり、その他には)路面電車が走っているような状況だった[3]
東京における運転免許制度の開始

1907年(明治40年)には警視庁(つまり東京府の警察)が「自動車取締規則」を施行し、東京で自家用車を運転できるのは運転免許取得者だけになった[3]。日本における自家用車のための運転免許制度としては、この東京の制度が最初のものである[3]。ただし、自家用車の運転者の制度といっても、実際にこの運転免許の対象となった人の数は非常に限られ、しかも会社の運転手車掌など、仕事で運転する者に限られていて、たとえばこの運転免許の取得者の第1号は、三井財閥三井家に馬車の御者(ぎょしゃ)(つまり馬車の運転手)として雇われていた渡辺守貞という人物であった[3]。警視庁における自動車登録台数は、初年度にもかかわらず、わずか16台だったとされている[3]。免許証は木製のものが交付された[3]
日本全国の運転免許制度の開始

運転免許制度が全国的になったのは1919年大正8年)であり、この年に全国統一の交通法規「自動車取締令」が施行された[3]。世界中で大ヒットしたフォード・モデルTなどの大量生産車が日本にも輸入されて普及し、それに応じてこの「自動車取締令」が施行されたのである[3]。1919年ころに500台ほどだった自動車の台数は、1924年(大正13年)までに2万台を超え、乗合自動車・タクシー・自家用車が道路を走るようになり県境を越えた運転が増えたことも全国統一の交通法規が求められることにつながったのである[3]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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