夏服(6月1日から9月30日まで着用)は、水色の制式シャツ(肩章とエンブレムが付く)、あい色のズボン。シャツは半袖と長袖があり、長袖着用時は腕まくりも認められている。夏服のみ第一ボタンがなく、ネクタイも着用しない。 階級章は巡査から警視監まで同じ型で、左胸に付ける。金色の部分が多いほど階級が上になる(警視総監の階級章および警察庁長官の長官章のみ、1968年当時から変わらず肩章。これは両方とも一人しかいないため)。 2002年10月、続発した警察不祥事への対策の為、IDを示す半月状の識別章(書式は英字2字に3桁の数字。英字が所属警察本部または警察署、数字が個人番号を表す。裏側には警察本部名だけが書かれていて、従事する個人を特定されると支障が生じる強制捜索の場合など、必要に応じて反転させられる構造)が取り付けられるようになった[注釈 6]。色は巡査部長まで全て銀色、警部補以上は縁が金色になる。 巡査部長は冬服・合服の袖に銀のライン、警部補・警部は金のライン、警視以上は金に加え紺のライン一条または二条が入る。また、制帽の帯章には警部補は紺、警部以上は金のラインが入る。 大戦前には、特殊帽や防火・防弾具については地方長官が内務大臣の認可を得て制定することとされており、府県ごとに相違していたと思われるが、1941年には内務省警保局長通牒により防空警備に従事する警察官の特殊制帽の様式が示され、これにより各府県警察部は防空警備時には軍用品に類似の略帽および鉄帽(いずれも徽章は旭日章)を使用できることとなった。鉄帽については当初白色と指定されていたが、大戦末期の鉄帽着用警察官の写真ではいずれも暗い色調となっている。 現在では、服制改正以降、薄型の防刃衣が導入され、外勤警察官の多くが着用するようになった。また、この頃から、銃器による犯罪の捜査現場や暴力団抗争事件の現場警備などで、突入捜査班・機動隊など以外の警察官も自衛隊の88式鉄帽類似の戦闘用ヘルメットやセラミックプレート入り防弾衣(旧型の金属板入りタイプも残存)を着用して捜査・警戒にあたる姿が報道などを通じてみられるようになっている。また交通機動隊の白バイ隊員は夜光チョッキと一体化した防護衣を着装している。
階級章
防弾・防護具
東京大空襲空襲警報発令中の警視庁正面玄関。鉄帽を被っている
突入型防弾衣を着用し、ベレッタ92の射撃訓練を行う熊本県警察の人質立てこもり部隊
警視庁ERT。鉄帽および特殊防弾衣を着用している
埼玉県警察RATS。独特の防弾衣を着用している
制服・装備品年表
1871年(明治4年) - ら(邏)卒(巡査の前身)制度発足。
1877年(明治10年) - 近代警察制度発足。二等巡査以下はサーベルを帯刀できず。
1883年(明治16年) - 巡査を含む全ての警察官がサーベルを帯刀する。
1896年(明治29年) - 立襟5つボタン。
1908年(明治41年) - 立襟5つボタン。新たに肩章が付く。
1923年(大正12年) - 10月22日、警察官及消防官服制改正公布(勅令)、必要なとき警察官の拳銃使用を認める。
1935年(昭和10年) - 立襟5つボタン。ポケットや肩章に変更がある。
1946年(昭和21年)
7月30日 - GHQの指導により「警察官及び消防官服制」(昭和21年勅令367号)公布。内容は下記の通り。
冬服は詰襟から濃紺色開襟式4つボタン背バンド付きに変更。常時ワイシャツ・ネクタイを着用。