日本の終戦
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^ 『暗闘(上)』 p.198
^ 『暗闘(上) 』 pp.290 - 212、218 - 220
^ 『満洲国―「民族協和」の実像』塚瀬進 吉川弘文館 p.147
^ 『暗闘(上)』 p.226
^ 『暗闘(上)』 pp.248 - 250
^ a b 寺崎英成著 『昭和天皇独白録』 136ページによれば、「私が今迄聞いてゐた所では、海岸地方の防備が悪いといふ事であつたが、報告に依ると、海岸のみならず、決戦師団さへ、武器が満足に行き渡つてゐないと云ふ事だつた。敵の落した爆弾の鉄を利用して「シャベル」を作るのだと云ふ、これでは戦争は不可能と云ふ事を確認した。木戸は米内にも東郷にも鈴木にも意見を聞いたが、皆講和したいと云ふ、然し誰も進んで云ひ出さない。それで私は最高指導会議の者を呼んで、速かに講和の手筈を進める様に云つた。「ソビエト」を経てやれと云つたかどうかは記憶して居らぬ。この時鈴木その他から先づ「ソビエト」の肝を探らうと、云ひ出した、私はそれは良い事と思ふが、現状に於ては速かに事を処理する必要があると云つた。これですつかり講和の決意が出来て安心した、但し講和の条件に付ては、皆各と意見があつた。之と前后して、鈴木は詔書を出して国民を激励して頂きたいと云つて釆たが、前述の理由で、絶対に反対だと云つたら、鈴木は御尤もだと云つて帰つた。どうも政府も軍人も二股かける傾向があるのはよろしくない。この場合鈴木だから、隔意なく思ふ事が云へたのだ。・・・然しソ連は誠意ある国とは思へないので、先づ探りを入れる必要がある、それでもし石油を輸入して呉れるなら南樺太も、満洲も与へてよいといふ内容の広田「マリク」会談を進める事にした。しかし、「スターリン」は会議から帰つた后も、返事を寄越さず、その中に、不幸にして「ソビエト」の宣戦布告となつた。こうなつては最早無条件降伏の外はない。」とある
^ NHKスペシャル「終戦 なぜ早く決められなかったのか」(2012年8月15日放映)[1]。当番組では連合国に傍受解読された駐在武官発の電報(ロンドンに保存)が紹介された。
^ NHK取材班 『太平洋戦争 日本の敗因6 外交なき戦争の終末』 角川文庫、1995年、pp.204 - 208
^ 昭和天皇実録より
^ a b c 『大日本帝国の興亡5』ジョン・トーランド著 早川書房 p.264
^ 昭和天皇実録 iza14090905120002 2/3
^ 衣奈多喜男『最後の特派員』朝日ソノラマ 1988年7月、ISBN 978-4-257-17205-5
^ a b c 『大日本帝国の興亡5』ジョン・トーランド著 早川書房 p.267
^ 『大日本帝国の興亡5』ジョン・トーランド著 早川書房 p.265
^ "… the authority of the Emperor and the Japanese Government to rule the state shall be subject to the Supreme Commander …"
^ The ultimate form of government of Japan... government は無冠詞である(プログレッシブ英和中辞典(第4版) government)。
^ “The Decision to Use the Atomic Bomb” by Henry Stimson
^ August 10, 1945 Truman Diary
^ 山下祐志 1998, pp. 6.
^ 新城道彦, 2015 & Kindle版、位置No.全266中 219 / 85%.
^ 戦史叢書93大本営海軍部・聯合艦隊(7)戦争最終期 471頁
^ 戦史叢書93大本営海軍部・聯合艦隊(7)戦争最終期 473頁
^ 山下祐志 1998, pp. 7.
^ 『大日本帝国の興亡5』ジョン・トーランド著 早川書房 p.274
^ 新人物往来社 1995, p. 166.
^ a b 岩田重則『「玉音」放送の歴史学: 八月一五日をめぐる権威と権力』青土社、2026年6月26日、143-,170頁。 
^ 角田房子 1980, p. Kindle5159.
^ 半藤一利 2006, p. 66.
^ 阿部牧郎 2003, p. 461.
^ 半藤一利 2006, p. 68.
^ 伊藤正徳・5 1961, p. 284.
^ 『大日本帝国の興亡5』ジョン・トーランド著 早川書房 p.275
^ 『大日本帝国の興亡5』ジョン・トーランド著 早川書房 pp.277-278
^ 半藤一利 2003, p. 520.
^ a b c “命 (終戦に関する書類)、官報(号外)”. 国立公文書館アジア歴史資料センター. 2023年7月13日閲覧。
^ 井 澗 裕. “占守島・1945年8月”. 北海道大学 スラブ・ユーラシア研究センター. 2023年7月24日閲覧。
^ 叢書九八432a
^ a b “命 巻21 3部の内2号 (4)”. 国立公文書館 アジア歴史資料センター. 2023年7月25日閲覧。
^ 山田朗「日本の敗戦と大本営命令」『駿台史學』第94巻、明治大学史学地理学会、1995年3月、132-168頁、CRID 1050845762305962624、hdl:10291/1641、ISSN 0562-5955、NAID 120001439091。 
^ “指 巻14 第2525号?2556号”. 国立公文書館 アジア歴史資料センター. 2023年7月25日閲覧。
^ NHKスペシャル取材班 編『樺太地上戦 終戦後7日間の悲劇』(株)KADOKAWA、2019年10月25日。 
^ Dollinger, Hans. The Decline and Fall of Nazi Germany and Imperial Japan, Library of Congress Catalogue Card # 67-27047, p.239
^ “「スターリンの野望」北海道占領を阻止した男 : 読売新聞”. 読売新聞. 2023年7月13日閲覧。
^ 『占領下の津京』佐藤洋一 p.25(河出書房新社)2006年
^ 「厚木でマッカーサーを出迎えた「太平洋戦争きっての名作戦家」2021年9月6日」 - 2021年9月6日 譚?美 JBpress
^ 『占領下の東京』佐藤洋一 p.24(河出書房新社)2006年
^ 外務省
^ 『占領下の東京』佐藤洋一 p.84(河出書房新社)2006年
^ 「大日本帝国の興亡5」ジョン・ト―ランド著 早川書房 P.328
^杉田一次の回想?2?杉田一次著『情報なきミズリー号艦上の降伏調印 映像で見る占領期の日本?占領軍撮影フィルムを見る? 永井和京都大学教授
^ 「大日本帝国の興亡5」ジョン・ト―ランド著 早川書房 P.318
^ 「私を通り過ぎたスパイたち」佐々淳行著 文藝春秋 P.178
^ 石川真澄 『戦後政治史 新版』(2004年)岩波新書、6ページ

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