日本の漫画
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[20][21] 2023年4月、経済同友会が、日本の経済成長をさらに促進するために、主にアニメ、マンガ、ビデオゲームといったコンテンツ産業を海外でさらにプロモーションするための提案を発表した。海外の業界の専門家を日本に招待し、特定のマンガ作品に関連する国内の場所を訪れる外国人マンガやアニメのファンを観光産業と連携させることを目指している。経済同友会は、今後10年間で海外市場での日本のコンテンツの売上を4倍にすることを目指している。[22][23]
概要“Manga”的キャラクターの例、ウィキペたん

日本漫画がほぼ全てが右開きで、2014年以降の『ファミ通』のように左開きの雑誌でも右開きで掲載される。

出版科学研究所の発表によると、日本国内2006年に出版された漫画の単行本は10965点、漫画雑誌は305点存在する(廉価版が1450点含まれる)。また漫画と漫画雑誌の販売部数は、2006年に販売された出版物全体の36.7%に及ぶ。[24]

現在では日本の漫画および日本風の漫画を指す “manga”[25] や、“tank?bon”(単行本)といった語は欧米にも輸出されている。日本の漫画はアメリカン・コミックスや、フランス語圏のバンド・デシネなどの各国の漫画と比べて、モノクロ表現や独特のディフォルメ、ストーリー性などの異なる特徴を持っている。以前は『AKIRA』国際版の様にアメコミ形式に再構成や彩色が行われる事が多かったが、近年はむしろ日本漫画の特徴を押し出して原書に近い形で出版されている。一方で翻訳は日本独自の文化や擬態語などのために苦労が見られる。[注 1]

外来語である「アニメーション」(アニメ)という言葉が1970年代後半から一般化し始めるまでは、テレビアニメアニメ映画などのアニメーション作品及び児童向けドラマ特撮作品を含む)も「漫画」「まんが」「マンガ」と呼ばれていた(例 『東映まんがまつり』『まんが日本昔ばなし』など)。このため当時の世代を中心にアニメや特撮作品が漫画、テレビ漫画、漫画映画と呼称されることもある。また1960年代、1970年代のアニメ作品の主題歌集CDなどでは現在でも「懐かしのテレビマンガ」などの表記が使われることもある。

出版社などビジネス業界では、漫画絵のことをしばしば「ポンチ絵」と呼ぶ。これは、イギリスの風刺漫画雑誌『パンチ』をもとに日本国内で在留中のイギリス人によって創刊された日本最初の漫画雑誌『ジャパン・パンチ』を語源とする。「ポンチ絵」は書籍業界に限らず、建築業やIT業などの製造業界では「製品イメージがわかりやすく伝わる簡単なスケッチ」という製品概念・構想図を意味する製図用語としても使われている。

版権関係の問題もあり、たとえば1960年代に漫画化された加山雄三の「若大将シリーズ」や東宝特撮映画、『ウルトラマン』などは2016年時点では復刻不可能であった。『ウルトラマン』や『ウルトラセブン』は復刻されるケースもあり、関連本にも収録されている。また、河合じゅんじいしいひさいちやくみつるじょうさゆりの作品など、実在のスポーツ選手、芸能人、政治家などを題材にした漫画も存在する。

日本の漫画家は、地方ながら北海道新潟県出身者が多く、前者は土地が貧しく漫画自体も貧しい文化で、芸術の原典に触れる機会もあまりなくテレビや雑誌を通して同じく創作しようと引き寄せられ、作品もよくある日本の漫画から離れたハイセンス、批評的な者が多く[26]、後者は雪国であり冬になると外に出ずに金もかけずにできることは漫画を描く程度だからとする説や[27]、県ゆかりの赤塚不二夫水島新司の存在で自分も目指そうとする者が後に続いたことが挙げられる[28]

ウィキペたんが登場する『いけいけ!百科事典娘』の1ページ目。

ウィキペたんが登場する『いけいけ!百科事典娘』の2ページ目。

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歴史
語源葛飾北斎『北斎漫画』

現代的な意味での日常語として「漫画」という言葉が使われ始めたのは少なくとも明治時代中期ないし大正時代にかけてのことで、それまで、滑稽な要素と物語性を持つ絵画作品は「戯画」「狂画」「草画」「滑稽画」「鳥羽絵」「戯絵(ざれえ)」「かち絵」「ポンチ絵」などと呼ばれていた(これらのいくつかは絵画形式の名称や、批評上のカテゴリでもある)[29]

「漫画」という熟語は、本来の字義的には「気の向くままに(絵を)描く」「漫然と描かれた絵」という意味であり、日本で生まれた和製漢語である[30]。1798年に発行された山東京伝による絵本『四時交加』の序文にその初見が見られる[31][32][33]。「漫画」という語について、中国から伝わった「気の向くままに(文章を)書く」、つまり随筆を意味する漢語「漫筆」から、日本で「漫筆画」を経て「漫画」になったとする説[34]や、中国語名で「漫画(マンカク)」というヘラサギの一種が雑食で水をくちばしでかき回して何でも乱雑に食べることから、日本で当初「漫画」が「種々の事物を漁る」「様々な事柄を扱う本」を指す意味になった、とする説もある。清水勲は著書『日本近代漫画の誕生』において、「マンカク」が戯画の意味を持たないことを指摘し前者を支持しているが、『四時交加』、そして後述する『北斎漫画』といった由来を示す文献に、これらの説を裏付ける要素があるわけではない[32][35]

戯画風のスケッチを指す意味の言葉としての「漫画」は、葛飾北斎による絵手本(スケッチ画)集『北斎漫画』(1814年)が始まりとされる[35]。この作品集には戯画や風刺画が載っており、現代的な意味での「漫画」と重なりをなしてはいるものの、まったく同じ意味とはみなせない。なお、『北斎漫画』の影響を受け、尾形光琳の『光琳漫画』(1817年)、明治期の月岡芳年『芳年漫画』(1885年)[36]など、戯画調の絵を載せたいくつもの書籍が「 - 漫画」というタイトルになった[37]

幕末期、欧米からカリカチュアやコミックの技術が伝来すると、それらの呼称として「ポンチ絵」「ポンチ」「西洋ポンチ」などが定着した[38]

現代的な意味で「漫画」という語を使い始めた最初の人物は明治時代の今泉一瓢である。一瓢は1895年10月31日、風刺画を中心とする『一瓢漫画集初編』を出版、明治期に日本に入ってきた caricature または cartoon の訳語として「漫画」を用いた。また一瓢は『一瓢雑話』において、「漫画というものは、一口にいえば滑稽書であって、その内に風刺的なものを含んだのもある、また含まないのもある。日本に昔からあるものは俗に鳥羽書、あるいは北斎漫画のやうな類の書であって、この他にはオドケ書と云う」と論じ、旧来の漫画的な作品と自身の漫画との違いを強調した[39]

今泉一瓢に対し、「漫画」という言葉を cartoon および comic の訳語として使用したのは、明治後期にデビューした北澤楽天である[40]。楽天はオーストラリア人に欧米流の漫画技法を学んで新聞『時事新報』の専属となり、従来のポンチとは異なる新機軸の画風であることを示すために「漫画」の呼称を前面に出すことを編集側に自ら提言し[41]、1902年1月、彼の作品発表のために同紙で漫画を特集した『時事漫画』欄が設けられ、1921年2月に別刷りの日曜版別冊として独立した。以後、この意味での「漫画」が現代における日常語として定着するようになった[42]

やがて、日本漫画の国際化にともない、「漫画」という語は外国にも通じる日本語の一つになった。


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