書で名高い大師ということで、空海の書を祖とした書流を大師流と称し、多くの人が空海の書を尊重した。例えば、後宇多天皇は、空海の熱狂的な崇拝者であり、その皇子後醍醐天皇も父の感化で空海の書に関心を寄せている。またその書を求めようとする人々もたくさんおり、豊臣秀次が『風信帖』の1通を所望して切り取ったり、後水尾天皇も『狸毛筆奉献表』の3行(41字)[2][3]を切り取り宮中に留め置いたことなどがある[4]。
大師流について述べた『弘法大師書流系図』というものがあり、これによれば、空海が渡唐の際、韓方明から後漢の蔡?以来の書法を授かり、帰朝ののち、嵯峨天皇等にこれを伝え[5]、そして賀茂県主藤木敦直(1582年(天正10年) - 1649年(慶安2年))からその子孫に伝来したのだという。しかし、これはかなり意図的な流れで、賀茂一流の人々が自分の書を権威あるものに見せるため、創作したものであることは疑いない。しかし現実に大師流は存在する。そして事実上の祖、藤木敦直が甲斐守を称するので、甲斐流ともいわれ、また賀茂神社の県主でもあるため、賀茂流ともいわれる。藤木敦直の師は、先の『弘法大師書流系図』などから、飯河秋共、伯父の賀茂成定であることが知られ、敦直は、後水尾天皇から書博士の称号を賜った[4]。
その他の大師流の書き手といわれるのは、岡本宣就(1575年(天正3年) - 1657年(明暦3年))、狩野探幽、春深(高野山の僧で探幽の師)、寺田無禅(生年不詳 - 1691年(元禄4年))、荒木素白(1600年(慶長5年) - 1675年(延宝3年))、北向雲竹(1632年(寛永9年) - 1703年(元禄16年))、鳥山巽甫(生年不詳 - 1685年(貞享2年))、佐々木志津磨(1623年(元和9年) - 1695年(元禄8年))などがいる。そして江戸時代には大師流はかなりの流行を見せた。大師流は結局、空海の書に基礎を置いているが、そのうちでも、『崔子玉座右銘』、『七祖像賛』、『益田池碑銘』など、装飾性の強い書をさらに強調する特色がある[4]。
その他の書流一覧書流開祖系列時期
大師流空海晋・唐の書平安初期から
有栖川流職仁親王霊元天皇江戸後期から
脚注[脚注の使い方]^ “売り家と唐様で書く三代目(ウリイエトカラヨウデカクサンダイメ)とは”. コトバンク. 2020年6月13日閲覧。
^ 村上翠亭 P.16
^ 藤原 P.211
^ a b c 渡部清 PP..229 - 232
^ 「書道辞典」PP..83 - 84
参考文献
木村卜堂 『日本と中国の書史』(日本書作家協会、1971年)
鈴木翠軒・伊東参州 『新説和漢書道史』(日本習字普及協会、1996年11月)ISBN 978-4-8195-0145-3
名児耶明 『日本書道史年表』(二玄社、1999年2月)ISBN 4-544-01242-2
名児耶明監修 『決定版 日本書道史』 芸術新聞社 2009年5月、ISBN 4-87586-166-4
「図説日本書道史」(『墨スペシャル』第12号 芸術新聞社、1992年7月)
西川寧ほか 「書道辞典」(『書道講座』第8巻 二玄社、1969年7月)
渡部清 『影印 日本の書流』(柏書房、1982年3月)
魚住和晃 『「書」と漢字 和様生成の道程』(講談社選書メチエ 1996年)
村上翠亭 『日本書道ものがたり』(芸術新聞社、2008年4月)ISBN 978-4-87586-145-4
東京大学史料編纂所 『古文書時代鑑』(2冊+別冊解説、東京大学出版会 1977年)
湯山賢一ほか編 国立文化財機構監修、『日本の美術』シリーズ:至文堂、2007?08年
<500天皇の書・501公家の書・502僧侶の書・503武人の書・504文人の書>
藤原鶴来 『和漢書道史』(二玄社、2005年8月)ISBN 4-544-01008-X
関連項目
日本の書道史 - 日本の書論
中国の書道史
典拠管理データベース: 国立図書館
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