日本の捕鯨
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28隻の捕鯨船が日本近海で操業したが、鯨の成長が遅いこともあって資源の枯渇が早く[注 5]、1908年11月、岡は大日本水産会会長の牧朴真と合名で「ノルウェー式捕鯨合同に関する意見」を発表し、鯨類保護のための企業合同を提唱した[15]1909年(明治42年)3月、東洋漁業と長崎捕鯨、大日本捕鯨、帝国水産の大手四社が合併し、17隻の捕鯨船を擁する東洋捕鯨が設立された[16]。同年、政府も過当競争防止ために鯨漁取締規則(農商務省省令)を公布し、全国の捕鯨船を30隻以下に制限した。捕獲対象はナガスクジラとマッコウクジラ、イワシクジラが中心となり、資源の減少したセミクジラやザトウクジラに替わって捕獲された。

大正に入っても捕鯨業者の合同は続き、1916年(大正5年)時点で東洋捕鯨のほかに残った捕鯨業者は、土佐捕鯨など高知県の3社と、マッコウクジラ専門の2社だけだった[16]

昭和期になると母船式遠距離捕鯨が開始され、1934年(昭和9年)日本捕鯨(後の日本水産、現在のニッスイ)がノルウェーの捕鯨母船アンタークチック(ノルウェー語版)を購入し図南丸と改名、初めて南極海でのシロナガスクジラ捕鯨を行った[17]1936年(昭和11年)には国産捕鯨母船日新丸を建造した林兼商店(後の大洋捕鯨、現在のマルハニチロ[18]1938年(昭和13年)に極洋捕鯨(現在の極洋)も参入し[19]1941年(昭和16年)まで3社6船団が南氷洋での捕鯨を行った。南極海での母船式捕鯨は、輸出用の鯨油生産が主目的で、資源の乏しい日本にとっては外貨獲得源として重視された[注 6]。既存の沿岸漁業との競合防止[注 7]のため製品の持ち帰りが制限されており、日本では冷凍輸送が未発達であったこともあって鯨肉の利用は極めて限定的だった。また、鯨油タンクや船団への補給用燃料タンクを持つ捕鯨母船は、タンカーとしての運用が可能なため、軍事上の観点からも政府の支援が行われた[20]1946年12月2日、国際捕鯨取締条約が採択された

第二次世界大戦太平洋戦争大東亜戦争)の際には捕鯨船の多くが海軍に徴用された。特に捕鯨母船は、タンカーや運送船として徴用されて6隻総てが失われた[21]。かくて母船式捕鯨は一旦中断したものの、終戦直後の食料不足に対する捕鯨の期待は大きく、1945年(昭和20年)には大洋捕鯨が元海軍の第一号型輸送艦を用いた小笠原諸島付近での捕鯨を計画し、1946年(昭和21年)3月に出漁した[22]1946年(昭和21年)には大洋捕鯨が第一日新丸で、日本水産が橋立丸で南氷洋捕鯨を再開[23]したほか、1952年(昭和27年)には極洋捕鯨も北洋捕鯨で母船方式の捕鯨を再開した[24]。沿岸での捕鯨も再建され、食肉供給源および鯨油輸出による外貨獲得源として重要産業となった。

1950年代になると、コーン油オリーブ油ヤシ油ヒマワリ油などの植物性油脂や牛脂などの動物性油脂との競合に鯨油は立ち行かなくなり、欧州各国の捕鯨事業の縮小や撤退が相次いだ[25]。これに対し、鯨肉の需要があった[26][27][注 8]日本は、捕鯨母船の新造に加えて売却された各国の捕鯨船を船団ごと購入することで急速に拡充し、1957年(昭和32年)には戦前と同じ6船団に[28]1960年(昭和35年)には南氷洋捕鯨の最優秀船だったバリーナ(ノルウェー語版)を極洋捕鯨が購入して最大7船団に達し[29]1959年(昭和34年)には捕獲頭数で一貫して世界1位だったノルウェーを追い抜き世界最大の捕鯨国となった[28]

捕鯨船団の構成はさまざまであった。最盛期の代表例として日新丸船団の場合は次の通りであり、数万トンに達する大船団であった。

捕鯨母船日新丸(16,811トン) - 捕獲したクジラの解体作業を行う。

付属捕鯨船12隻 - 600?700トン級。うち探鯨船1隻、曳鯨船2隻で残りはキャッチャーボート

鯨肉冷凍工船3隻 - 計2万総トン

冷凍鯨肉運搬船6隻 - いずれも1000トン級

タンカー(13,155トン) - 船団への給油船と、鯨油運搬船を兼ねる。

日本の捕鯨産業は欧州と異なり鯨肉の需要があり、南半球が冬となる夏季には北洋地域で捕鯨を行うことができるなど、設備や人材のロスが少なく、効率の良い操業が可能だった[30]。技術的発展としては、1951年(昭和26年)に先端が平らで水中での直進性に優れ、浅い角度で命中した時の跳弾も少ない「平頭銛」[注 9]が開発されたことや、1955年(昭和30年)に極洋捕鯨が初めて導入した探鯨機(魚群探知機)が2年で各社の船団に完備されたこと、水を吸わず耐久性が高いナイロン製のロープを他国に先んじて導入するなど新技術を続々と導入したほか、シドニーウェリントンケルゲレン諸島から送られてくる気象情報や水温分布の解析し、鯨類の群れや日本のみならず各国の捕鯨船団の動きを正確に把握し、漁場を逃さないノウハウを各社で蓄積した[31]

戦前は国際的な捕鯨管理枠組みには参加していなかった日本だったが[注 10]、戦後に国際捕鯨委員会(IWC)が設置されるとこれに加盟した。


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