当時、日本国外の状況から地上放送波のデジタル化については各放送業界内でも考えられてはいたが慎重なものであり、いわゆる「ワイドクリアビジョン」の整備などが進められていた。こういった状況の中、放送事業者にとっては「寝耳に水」で、その内容もまだ明瞭さを欠いていたため、当初NHK・民間放送局ともに騒然となった。様々な思惑が交錯、混乱を招いたが、間もなく「その免許はデジタル化終了まで既存のアナログテレビジョン放送を行っている放送事業者のみに与える」という決定がなされ、各放送事業者は「国策」を受け入れた。
しかしこの「既得権」と抱き合わせるかたちで従前よりある「あまねく条項」、すなわち既存のサービスエリアの視聴者にあまねく放送サービスを提供する、すなわちデジタル波についてもあまねく提供することが求められ(後にやや緩和されたが、逆にいえばこれはテレビの映らなくなる地域を容認したことでもある)各放送事業者は巨額の設備投資を求められることになる。民放労連などは、これが多くの放送局の経営を圧迫している、VHF帯が空いても用途がないと批判した[6][7][8]。
移行の経緯詳細は「2011年問題 (日本のテレビジョン放送)」を参照
山村や離島など、中継局の未整備などにより受信が不可能な地域も多くあったため(ケーブルテレビで受信できる場合はあるが、携帯電話・スマートフォンなどのワンセグでは受信できない地域も多い)、停波予定日までにすべての地域で受信可能にすることを目標に各地で送信所・中継局の整備が進められ、整備が追い付かない一部の地域向けにはケーブルテレビ・通信衛星による送信やIP放送といった代替手段を利用することも検討された。
終了時期については、普及状況などによっては変更される可能性もあったが、日本経済新聞の2007年(平成19年)7月10日付朝刊は、総務省が地上アナログ放送を地域によって段階的に停止することを「地上デジタル放送推進に関する検討委員会」の答申案に盛り込むと報じた。しかし、総務省は2008年(平成20年)3月に「概ね2010年末までに従来のアナログ放送と同等のエリアを確保すること」との具体的指針を官報で告示し、関係する基本計画を変更した。最終的に、これまで放送されていた地上アナログテレビジョン放送は、2011年(平成23年)7月24日までに放送を終了し停波することになった。停波予定とされていた「2011年7月24日まで」の根拠は、電波法が[9]、2001年(平成13年)7月25日に改正施行された際に地上アナログ放送の周波数を使用できる期間を「施行から10年を超えない期間」と定めたことによる。なお、2008年(平成20年)10月末に放送局の無線局免許状再免許の際、アナログテレビ放送無線局免許状の有効期限は2011年(平成23年)7月24日となった。
総務省はアンテナ工事の集中や機器の品切れを防ぐために対応機器の普及率の高い(=人口の多い)地域から前倒しでアナログ放送を終了する方向に傾きつつあった[10]。しかし、2009年(平成21年)1月7日には景況悪化を受け、前倒し方針を転換し、2011年(平成23年)7月24日以降もケーブルテレビ網を介してアナログ放送が視聴可能になる措置を取る、いわゆる「デジアナ変換」が検討された[11]。この施策は地上アナログ停波の後の2015年(平成27年)3月31日まで続けられた。なお、日本より一足早くデジタル化されたアメリカ合衆国でも、連邦通信委員会(FCC)が3年間はアナログ変換された再送信を継続するよう指示したことで、普及度の高いケーブルテレビを通じて混乱を少なくする策が講じられていた[12][注 4]。
アナログ終了を目前に控えた2011年3月11日、東日本大震災が発生。この影響を受けて、東日本大震災に伴う地上デジタル放送に係る電波法の特例に関する法律が成立し、被災地域の岩手県、宮城県、福島県のみ2012年(平成24年)3月31日に移行が延期されることとなった(2011年問題 (日本のテレビジョン放送)#東日本大震災による被災3県での移行延期とその問題も参照)。
2011年7月23日、電子番組表の普及に伴い、新聞及びTVガイド雑誌ラテ欄へのGコード掲載は2011年7月23日付を最後に終了した(岩手・宮城・福島3県で販売分も含む)。
2011年7月24日、NHK総合・日本テレビ・フジテレビ・テレビ東京などがアナログ放送終了記念特番を放送[注 5](フジテレビ以外の局は岩手・宮城・福島3県へは非ネット[注 6])。TBSとテレビ朝日は当該時間帯(7月24日正午近く)に放送のレギュラー生ワイド番組(TBSは『アッコにおまかせ!』、テレビ朝日は『サンデーフロントライン』[注 7])内でアナログ放送終了特集を組んだ。