明治維新により国家体制が一新した日本だが、国旗の変更は行われずそのまま使用が継続された。
商船規則(明治3年太政官布告第57号)に「御國旗」として規定され、上述の幕府による「御国総標」を継承して日本船の目印として採用された。規格は現行とは若干異なり、縦横比は7対10、日章は旗の中心から旗竿側に横の長さの100分の1ずれた位置とされていた。この日を記念して国旗協会は国旗制定記念日を制定し、国旗掲揚の日としている。
陸軍御国旗陸軍御国旗の意匠
日本陸軍において、1870年6月13日(明治3年5月15日)制定の陸軍国旗章並諸旗章及兵部省幕提灯ノ印ヲ定ム(明治3年太政官布告第355号)に「陸軍御国旗(陸軍御國旗)」として旭日旗が定められた。 日本海軍については、1870年10月27日(明治3年10月3日)制定の太政官布告「海軍御旗章国旗章並諸旗章ヲ定ム」(明治3年太政官布告第651号)において、各種の旗章の一つとして艦尾に掲揚する海軍御国旗として白布紅日章が定められ、幕末から使用されていた日の丸が引き続き使用された。規格は現行と同じく、縦横比は2対3、日章は旗の中心とされていた。また、幕末には「国印」と呼ばれるようになっていた日の丸は、同布告のとおり、国際法にもとづいて「国旗」と呼ばれるようになった[13]。 以後、日章旗は国旗として扱われるようになったが、「国旗」としての法的な裏付けは太政官布告のままであり、法律としては存在しなかった。1931年(昭和6年)2月、第59回帝国議会において全11条及び附則からなる「大日本帝国国旗法案 1936年(昭和11年)のベルリンオリンピックにおいては、大日本帝国外地の朝鮮出身の孫基禎が日本代表選手として男子マラソンに出場し優勝した際に、日本統治下の京城(現在のソウル)で創刊された東亜日報は日章旗を抹消した写真を掲載してそれを報じ、11か月の停刊処分を受けた(日章旗抹消事件)。 1945年(昭和20年)、連合国軍総司令部(GHQ/SCAP)の指令により日章旗の掲揚が原則禁止された。この間、商船旗としては国際信号旗のE旗に基づいた旗が代用された。祝日に限定した特例としての日章旗掲揚許可を経て、1949年(昭和24年)1月1日にダグラス・マッカーサーは日本の国旗の使用を自由とする旨の声明を発表。
海軍御国旗
国旗としての使用と法律制定の検討.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .tmulti .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .tmulti .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .tmulti .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .tmulti .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .tmulti .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .tmulti .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow>.thumbcaption{text-align:center}}日の丸を抹消した1936年8月25日付夕刊の東亜日報
日章旗抹消事件
占領下における日章旗の掲揚禁止