日本のこころ_(政党)
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党首については、分党を決定する以前の日本維新の会で橋下への不満が高まったことから、綱領で両院議員総会において所属国会議員の3分の2以上の賛成があれば党首をリコールできる規定を盛り込んだ[22]
平沼赳夫党首時代

7月31日、日本維新の会が大阪府選挙管理委員会を通じて正式に総務省に解党届を提出した。同日、次世代の党は両院議員総会を行い、平沼を正式に党首に選出した。翌8月1日、橋下系が日本維新の会(前日解散の旧党とは同名の別組織)、石原系が次世代の党[PR 1][PR 8]をそれぞれ政党として総務省に提出、これにより政党助成法上の政党の分割の届け出が認められ[PR 9]、従来の日本維新の会に交付される予定であった政党交付金の残金は所属議員数に応じて維新・次世代の両党に分配された[PR 10]。同日、両院議員総会で役員人事を決定し、石原は最高顧問に就いた[23]

9月16日、都内で結党大会を開いた[24]

12月14日実施の第47回衆議院議員総選挙を控え、11月22日に政策集を発表。争点とされるアベノミクスについて「基本的方向性は是とするが、軌道修正が必要」という評価を行った。消費税については、現時点の増税には反対するとともに、中長期的な増税は選択の余地のない課題だとした[PR 11]。また、幹事長の山田と最高顧問の石原の間で比例東京ブロックの名簿順位に関する取引が行われた結果、石原は「若い議員の議席獲得のため」という名目で名簿最下位で立候補する運びとなった[25]。さらに、元航空幕僚長田母神俊雄東京12区に擁立するなど積極的に比例票の掘り起こしを図り選挙戦に臨んだ。しかし、結果は党首の平沼と園田博之が選挙区で当選したのみに留まり、幹事長の山田を含めた他の候補者全員が比例復活もならず落選する惨敗に終わった。これにより衆議院の議席数は改選前の19から2にまで激減した。比例東京ブロック名簿最下位で出馬し落選した石原は、そのまま政界を引退することとなった。党はこの結果を受けて、改選前より大幅に議席を減らしたことを支持者に謝罪した上で、党の再建・再生を誓うコメントを発表している[PR 12]

2015年(平成27年)4月の第18回統一地方選挙でも党勢を拡大できなかった。前半戦では、41の道府県議会選挙に計6人を擁立したが全員落選、17の政令指定都市議会議員選挙でも当選1名に留まった[26]。党はこの前半戦の結果を受けて「大変厳しい状況だと受け止めている」という談話を発表している[PR 13]。後半戦では689の市区町村議会に計33名を擁立し、改選前議席を維持する8名が当選した[PR 14]。前回の第17回統一地方選挙たちあがれ日本から当選を果たした議員は今回も全員が当選を果たしている。5月1日付で法規上存続していた太陽の党を吸収合併した[27]
中山恭子代表時代

8月28日、平沼の後任を決める党首選を告示し、中山恭子が無投票当選した(任期は10月1日から)。松沢成文も当初立候補する意向だったが、「中山が自民党との連携を最重視している」として路線対立を理由に離党した[28]。松沢の後任幹事長は和田政宗政調会長が兼務した[28]。国政政党の女性党首は、2013年に辞任した福島瑞穂社民党党首以来である。なお、平沼時代は肩書きが「党首」だったが、中山の就任後は「代表」となる。

9月25日、自民党への復党を目指し平沼と園田が離党した[29][30]。中山が代表に就任する10月1日までは、和田が幹事長と党首代行を兼務[31]。11月16日、幹事長が和田から中野正志へ交代した。

12月21日、党名を「日本のこころを大切にする党」に変更したが、[32]、この党名変更に強く反発した江口克彦が離党した[33]。政党要件の一つである「所属国会議員が5人以上」を失ったが、直近の国政選挙(第47回衆議院議員総選挙)で比例代表での全国得票率が2%以上であるため、次回総選挙までは引き続き政党として存続できる。2016年(平成28年)3月12日、党名変更後としては初の党大会を東京都内で開催した。党大会後の懇親会には、菅義偉内閣官房長官(自民党)も出席した。

4月13日、浜田和幸が「一身上の都合」を理由に離党[34]、25日におおさか維新の会に入党した[PR 15]

4月24日実施の衆院補選では、京都3区には自公連立政権が公認候補者を擁立しなかったことを受け、派遣社員の小野由紀子を公認候補として擁立した[35]が、民進党公認の現職・泉健太に大差で敗れ落選した[36]北海道5区では自民党の公認候補・和田義明を公明党とともに支援し[37]、無所属の野党統一候補に辛勝した[38]

7月10日実施の第24回参議院議員通常選挙において、比例代表に5人、選挙区では北海道埼玉千葉東京神奈川愛知大阪兵庫広島福岡に候補者を擁立したが[PR 16][39]、当選には遠く及ばず全員が落選。中山は惨敗の責任を取る形で、12日に辞表を提出した[40]がのちに慰留を受けて撤回[41]

7月31日実施の東京都知事選挙では自公与党増田寛也を共同推薦した[42]が、党議拘束をかけなかったため[PR 17]、多くの党員は自民党を割って出馬した小池百合子を支援した[PR 18][PR 19]。結果、小池が増田らに100万票以上の差をつけて圧勝した[43]

8月31日、党名を短縮し「日本のこころ」へと変更することを発表。理由としては、参院選においての敗因の一つに、党名が長すぎたことが挙げられたとし「(有権者は)名前が覚えにくく、認知度が低かった。認知度を高める手段を講じたい」と説明した[44]。9月21日に参議院の会派名を[45]、翌年2月7日の議員総会で党名をそれぞれ変更した[12]


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