日本における漢字
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朝鮮半島から日本への渡来人は、いわば第二派だったという説が、現在、かなり有力になっています」と指摘している[6]

やがて、漢字の草体を元に平安時代初期に平仮名が、漢字の一部を元に片仮名が作られたとされる。

なお、仮名に対して漢字を真名(まな)と呼ぶ[7]
読み

日本語においては、一つの漢字に多くの異なる発音があることが多い。また、同じ発音を持つ漢字が多数あることも珍しくない。

読み方は「音読み」と「訓読み」の2種類に大別される[8][9]
音読み

音読みは、中国語起源の読み方である。呉音漢音唐音慣用音がある。

呉音は、5-6世紀頃に伝わった漢字音である。通説では、中国の六朝時代南部の呉地方から直接あるいは朝鮮半島を経由して日本に伝わったとされるが、これを実証できる証拠はない。実際には、仏典などに基づく漢音以前の伝統的な読み方が、時代・地域などを考慮せずに纏めて呉音とされてきた経緯がある。漢音は、奈良時代から平安時代にかけて盛んに送られた遣唐使(主な渡航先は西北部の長安)や留学僧が、の首都の長安で学んだ読み方が輸入された。更に鎌倉時代から室町時代にかけて、禅僧の留学や関連書の伝来、民間貿易により「唐音」と呼ばれる読み方が伝わった。このうち最も体系的なのは漢音で@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}『広韻』や『集韻』と対応関係が見られる[要出典]。慣用音は間違って定着したと分かったものや体系に合わないものなどを大正時代以降こう呼んでいる。
音読みと中国語

日本漢字音の特徴は、中国語で全て1音節であるものが2音節化されるものが少なくないことである。また語末の閉鎖音[p][t][k](入声)は日本語では「フ・ツ・チ・ク・キ」となった。このうち[p]に当たる「フ」は日本語のハ行転呼現象と相まって「ウ」に変化し(「集」シフ→シュウ)、あるいは促音「ッ」や「ツ」として定着したものもある(「圧」アフ→アツ)。語末の軟口蓋鼻音[ŋ]は母音化され「ウ・イ」となった(唐音では「ン」)。また古代中国語には清音無声音)・濁音有声音)の対立とともに有気音無気音の対立があったが、日本語にはこの対立がないため字音に反映されていない。また声調も基本的に保持されていない。これらのことにより、同音異義語が多くなっている。
訓読み榊原撃剣会絵図。魁斎芳年筆。日本人の氏名は、基本的に漢字で記されることが多い。

訓読みは、個々の漢字が表す意味を既に存在していた日本語と関連づけることであり、日本語の表記にも用いた。この際の漢字の読み方が、現在の訓読みの起源となっている。

」とは、中国においては難解な語をわかりやすい語で説明したり、古語を現代語で置き換えたり、方言を共通語で説明するものであるが、日本では中国語は外国語であるため日本語に翻訳することを意味する。漢字は外国語(中国語)を表す文字であるため日本語の語彙と一対一対応するべくもなく、一つの漢字に多くの字訓が作られたが、やがて漢文を訓読で素読する習慣と相まって、日本語の一語では説明できない微妙な意味合いは切り捨て、一つの漢字につけられる訓はできるだけ少数の訓読みに限定するように固定化していった。このように日本では漢字に訓読みが定着し、漢字によって日本語を表記する技術を発展させていった。

例えばを「たこ」、椿を「つばき」、沖を「おき」と読むが、中国語では全く違った意味である。このように日本だけで通じる訓読みを「国訓」という。動植物、特に魚の名前(「鮭」=本来は「さけ」でなく「ふぐ」の意、「鮎」=本来は「あゆ」でなく「なまず」の意など)には国訓が多い。
重箱読み・湯桶読み

音読み訓読みが1語の中で混用されることがある。音読み+訓読みの順であるものを重箱読み(ジュウ+ばこ)、訓読み+音読みの順であるものを湯桶読み(ゆ+トウ)という。
同綴異義語

日本語では漢字の読みが複数あるが、場合によっては、漢字のみからなるある特定の語に複数の読み方がある場合がある。例えば「仮名」という語には、「仮の名前を意味する(カメイ)」という読みと、「ひらがなとカタカナを総称する文字の分類語である(カナ)」という読みとがある。詳細は「同綴異義語」を参照
送りがな

日本語の用言(動詞形容詞形容動詞)には活用があるので、その活用する部分だけを平仮名表記して漢字の後に加える事が行われる。詳細は「送りがな」を参照
振り仮名(ふりがな)

日本語は仮名と漢字を多用する言語であり、(場面によっては他にラテン文字アルファベットなども用いられる)仮名は基本的に表音文字、漢字は表意文字(正確には表語文字)である。そこで、漢字の発音が必ずしも分かりやすくない場合などに、漢字の発音を仮名によって併記することがしばしば行われる。これを「読みがな」「振り仮名(ふりがな)」「ルビ」などと呼ぶ。詳細は「振り仮名」を参照
国字

日本で作られた漢字を国字と言う(国字には他の意味、あるいは日本・中国以外の国で作られた国字も存在するが、ここでは述べない)。国字には峠(とうげ)・畑(はたけ)・辻(つじ)などが挙げられる。主として音読みが無いのが特徴である。ただし働(ドウ)・腺(セン)のように音読みを持つ少数の例外もある。また中国語に取り入れられた国字も少数ながら存在する(「腺」など)。詳細は「和製漢字」を参照
新字体・漢字制限「漢字廃止論」も参照

江戸時代中期における国学の勃興以来、日本語の文字の改革について議論があり、漢字の廃止や制限などが議論されていた。1923年(大正12年)に選定された常用漢字表を皮切りとして、1940年日本陸軍が「兵器名称用制限漢字表」を決定し、兵器の名に使える漢字を1235字に制限した。1942年には国語審議会が、各省庁および一般社会で使用する漢字の標準を示した合計2528字の「標準漢字表」を答申している[10]

GHQの占領下の1946年(昭和21年)、占領方針として漢字の廃止が政府決定され、廃止までの当面使用する漢字である1850字の当用漢字を定めた当用漢字表が告示された。1949年(昭和24年)に告示された当用漢字字体表によって俗字、略字、筆写体を多く採用した新字体が使われるようになった。ただし、新字体は俗字や略字の採用であり、体系的な字体の簡略化ではないとして、漢字の体系を破壊した、と批判されることがある。例えば、「竜(龍)」と「襲(襲)」と「滝(瀧)」、「仮(假)」と「暇(暇)」、「独(獨)」と「触(觸)」と「濁(濁)」などは、本来は同じ構成要素を持つにもかかわらず、字体の変更により別の構成要素に見えてしまうものである。また、1948年に当用漢字のうち義務教育で教える881字を選んだ当用漢字別表が告示された。これは教育漢字と呼ばれ、1958年、この881字について便宜上統一した筆順文部省から刊行された。1981年内閣告示常用漢字表(1945字)からは漢字表は漢字制限を目指すものではなく目安となった。さらに2010年改定の常用漢字表には2136字が定められている。そのうち教育漢字は1026字となった。詳細は「国語国字問題」を参照
漢字の研究

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日本で編纂された最古の漢字字典平安時代初期、空海が編纂したという『篆隷万象名義』であるといわれる。次に昌住によって『新撰字鏡』といった漢和辞典が編まれた。院政期には『類聚名義抄』が作られている。これらは漢字を字形によって分類した字書『玉篇』の影響を受けているという。室町時代には『倭玉篇』(和玉篇)という漢和辞典が編まれ、室町江戸時代を通じて流行し、「倭玉篇」が漢和辞典を指す代名詞であったという。


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