日曜日
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キリスト教では、福音書のとおり、イエスはユダヤ人の安息日の翌日に復活したと信じられるが、後に、これを記念するとして、毎週日曜日に教会で礼拝が行われるようになっていった。2世紀以降、ローマ教会は毎年の過越聖餐をせず、土曜日が終わるまで断食し、日曜日に聖餐をするようになった。その後4世紀になって、ローマ帝国では日曜日を休日とし、休業するように皇帝が命じた。皇帝はキリスト教などの全ての宗教を公認したが、国教は定めなかった。
休日としての普及

キリスト教圏では一般にこの日は休日であるほか、現在ではキリスト教圏以外でも日曜日を休日とする習慣が広がっている。

イギリスで1802年に世界初の「工場法」ができ、以後、20世紀にかけて世界各地では労働運動を背景として、雇用主は労働者に週1日の休みを与えるよう法制化された。国・地域によっては、労働者の権利として認められるのは遅く、たとえば、ポルトガルが週6日労働を法制化したのは1911年であり、1918年南米コロンビアでは、農園労働者が週6日労働などを要求して長期のストライキを闘ったが敗北に終わったことがある。日本では明治時代に七曜が導入され、神武天皇即位の日が日曜日であるという理由から休日となった。戦後1947年に日本国憲法にともなって労働基準法ができ、1週間に1日または4週間に4日の休日を与えることが定められた。一方、農村では「生活改善運動」が組織され、農家の働く女性の休日を実現するため、住民自治により月2回の定休日を設けたことがあるにとどまっていたが、高度成長期における人口移動を通じて都市部の勤労者が多数となったことから、社会人が日曜日に休む習慣が日本でも普及した。

黎明期のメジャーリーグベースボールでは、日曜日は安息日という理由から、試合開催はタブー視されていた。しかしアメリカン・アソシエーションは日曜日にも試合開催を積極的に行い、観客動員数増加に貢献した。
休日とする法律


安息日への冒涜(英語版) - ユダヤ教の安息日など、宗教的に休みとする日を冒涜して労働する事に対する罪。

ブルー・ロー(英語版)(Sunday laws) - キリスト教世界では、特に日曜日に礼拝へ行かせるため、あらゆる勤労を制限する法律が課された。

コンスタンティヌス1世 - 西暦321年3月7日の日曜は、キリスト教では復活祭の日曜日、ローマ帝国の太陽神ソル・インウィクトゥスの祝日であるため、農業以外で働くことを禁じた。またテオドシウス法典2,8,1として、西暦321年3月3日に日曜日を週の休みとした。

日本における日曜日

日本では文明開化の中で導入され、紀元前660年2月11日(神武天皇の即位の日)が日曜日であったことから休日となり、市町村役場、初等学校などを通じて地方に普及した。ちなみに導入以前は官庁は5日周期の休日(一六日)としていたため、日曜日を休日とすることで、かえって労働時間は増加した。

全国共通して日曜日を官庁の休日と定める法律は「国会に置かれる機関の休日に関する法律」「裁判所の休日に関する法律」「行政機関の休日に関する法律」があり、行政機関・裁判所などの当該機関の休日を日曜日(および土曜日・祝日・指定された日)と定めている。しかし、民間企業にも適用される労働基準法において休日に関する具体的な曜日は指定されていない。祝日法の振替休日の規定は民間企業には適用されないが、日曜日を休日であるという前提に基づいているため、事実上、日曜日が休日であると一般的に認識はされている。

官庁では1876年の日曜日導入まで五十日(ごとおび)の翌日と朔(ついたち:月の初日)を公休日としていた(一六日)。しかし、人口の大多数を占めた農家には農作業を休む日として毎月定例の「市」が立つ日、「」の集まりがあるほかは、毎週の定休日は無く、むしろ、農繁期には家業を手伝わせるため学校も休校した。1945年以前、ところにより月1回の一斉休業日が設けられるにとどまる。

日時が決まっているイベントや風習によっては、当日が日曜日に当たった場合は翌日もしくは直前の金曜日などに変更される場合がある。
振替休日詳細は「振替休日」を参照

現在では休日となることが多いが、行事の都合で出校日にする学校や、業務内容の関係で休日としない会社もある。この場合、その日に一番近い平日振替休日または通常の休日とする。消費者に相対する小売業をはじめ第三次産業に従事する人口の比率が高まっており、日曜日を定休日としない事業所は多い。製造業の代表的な職場では、祝日法に定める振替休日は無視されている(トヨタカレンダー参照)。

これとは別に、日本では1973年より日曜日と祝日が重複した場合は振替休日が設けられるようになった。
交通状況「休日#交通機関における休日」も参照

鉄道においては平日とは異なり、朝や夜間の利用者は少なく、日中の利用者は若干多い[2]。そのため、終電が繰り上げになる路線があったり、鶴見線名鉄築港線和田岬線のように工場への通勤が主体となる鉄道路線では平日よりも本数が極端に減少する路線もある。

路線バスにおいても通学利用が主体となる路線(特に地方)では日曜日(または休日)が運休となる路線もある。

道路交通においては観光地や商業施設周辺などでは日中は道路が混み合うこともあるが、物流業界にとっては休業日であるため、実際は交通量が最も少ない曜日である[3][4][5]
休業とする業種

銀行役所・役場郵便局の多くは日曜日の業務を休業している。これは法律によって定められたものであるが、現在は実情に合わせて柔軟な対応ができるよう改正がされており、日曜日に業務を行うところも現れている[6]

公立図書館美術館博物館の多くは月曜日を定休日(休館日)としているが、国立国会図書館は日曜日が休館日である[7]

医療機関の多くは日曜日を休診としている。休診日の設定に明確な決まりや制限はないものの、他のサービスやスタッフとの連携に問題があるためとされている[8]。「医療機関#休診日」も参照
サンデーショック

私立中学校のいわゆる名門校は、地域によってある一定の日時(東京都においては2月1日)に入試を行うことによって併願を制限している。しかし、その日が日曜日にあたる場合、一部のキリスト教系私立中学校では入試が実施されず、翌日に設定されることがある。従ってその年度の受験生は通常併願できない組み合わせの学校同士を受験できることとなり、入学のチャンスが増える。一方で、例年とは異なる受験者層が受験することにより当該学校のみならず地域全体の学校の難易度に変化が生じ、合否の予測が困難となることもある。一部ではサンデーショックと呼ばれる。
日曜日に発生した歴史的事件

歴史上、日曜日に発生した騒乱・虐殺事件について、血の日曜日事件 (Bloody Sunday) と呼ぶ事がある。この名前で呼ばれる事件はいくつかあるが、その中でも代表的なのは以下の物である。

1905年1月22日グレゴリオ暦、ロシア旧暦(ユリウス暦)では1月9日) - ロシア帝国の首都サンクトペテルブルクで発生した血の日曜日事件。労働者を中心とした皇帝ニコライ2世への誓願デモに警察が発砲し、1000人以上の死者を出し、ロシア第一革命の引き金となった。

1972年1月30日 - イギリス北アイルランドロンドンデリー市で発生した血の日曜日事件。公民権を求めたカトリック系市民にイギリス軍が発砲して13人の死者を出し、北アイルランド紛争を悪化させた。この事件に関し、同年にジョン・レノンが「血まみれの日曜日」、1983年U2が「ブラディ・サンデー」を発表した。

「日曜日」を語源とする文物

オランダ語の Zondag が
博多どんたくの「どんたく」の語源になった。

スバル・ドミンゴ 富士重工業が以前生産・販売していたワンボックスタイプの乗用車(スペイン語から)。


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