日暮里駅
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常磐線(快速):列車はすべて東北本線上の専用線路を介して上野駅まで乗り入れるほか、一部列車が品川駅まで運転される。駅番号はJJ 02[報道 1]

当駅は、特定都区市内における「東京都区内」および「東京山手線内」に属する。事務管コードは、▲441005となっている[2][注釈 2]

当駅からの京成電鉄の列車の一部は、新東京国際空港(成田空港)方面と結び芝山鉄道芝山鉄道線との直通運転を行なっているほか、京成千葉線やその先の京成千原線と往来する便もある[3]
歴史日暮里駅周辺の白黒空中写真(1963年6月26日撮影)
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

1905年明治38年)4月1日日本鉄道三河島駅 - 日暮里駅間が開通し、現在のルートが完成時に開業[4]

1906年(明治39年)11月1日:日本鉄道の国有化に伴い、当駅も国有とされる[4]

1909年(明治42年)10月12日:線路名称制定により東北本線の所属となる。

1928年昭和3年)頃:現在地より北寄りにあった駅を現在地に移転。

1931年(昭和6年)12月19日:京成電気軌道(現・京成電鉄)の駅が開業。

1952年(昭和27年)6月18日:日暮里駅構内乗客転落事故国鉄の南側跨線橋(1928年建設)[5]の10番線に面した羽目板が破れて乗客が落下したところに電車が進入し、8人が死亡。

1954年(昭和29年)8月13日:乗客転落事故を受け、国鉄が混雑解消のため谷中墓地下の崖を削り取り、11・12番線ホームの新設工事を開始[6]

1955年(昭和30年)5月5日:国鉄が11・12番線ホームの使用を開始[新聞 1]

1956年(昭和31年)9月11日:国鉄が中央連絡通路の使用を開始[新聞 2][新聞 3]

1969年(昭和44年)12月27日:翌1月1日の間、常磐線通勤列車の上野駅乗り入れを中止し、日暮里駅で折り返し運転を行う。上野駅の長距離列車発着ホームを行き先別に整理するための措置[7]

1974年(昭和49年):「日暮里駅改良工事」を開始。最初に始まったのは、東北本線・高崎線の在来線ホーム2本を撤去して新幹線の路線を構内に確保するための在来線軌道移設切り替え工事。

1977年(昭和52年):東北本線・高崎線の在来線ホーム2本が撤去される。5 - 8番線が欠番となる。

1979年(昭和54年)12月:新幹線の上野乗り入れが発表され、構内工事が始まる。また南側に各ホームを連絡する狭隘な地下通路があったが廃止された。

1985年(昭和60年)3月14日:国鉄の荷物扱い廃止[1]

1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、国鉄の駅は東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅となる[4]

1988年(昭和63年)3月13日:京浜東北線の快速運転開始に伴い、日中は京浜東北線が通過するようになる[8]

1989年平成元年)7月7日:JR東日本の駅に南口および南改札口を開設[新聞 4]

1990年(平成2年)

11月2日:JR東日本の南口に設置された自動改札機の供用開始[9]

12月22日:JR東日本の北口に設置された自動改札機の供用開始[9]


2001年(平成13年)11月18日:JR東日本でICカードSuica」の利用が可能となる[報道 4]

2007年(平成19年)3月18日:京成電鉄でICカード「PASMO」の利用が可能となる[報道 5]

2008年(平成20年)3月30日:日暮里・舎人ライナー開通に伴い東京都交通局の駅が開業[10][報道 6]

2009年(平成21年)

6月20日駅ナカ商業施設「エキュート日暮里」が一部オープン[報道 7]

10月3日:京成線の下り線が高架化される[報道 8][新聞 5]


2013年(平成25年)10月20日:隣接していた旧京成線下りホームの跡地を利用して常磐線ホームの拡幅工事を実施。

2018年(平成30年)

2月24日:京成線1・2番線にてホームドアの使用を開始[報道 9]

12月23日:京成線0番線にてホームドアの使用を開始[報道 10][報道 11]


2019年令和元年)9月1日:駅ナカ「エキュート日暮里」が全面改装のため、同日より一時休業[報道 12]

2020年(令和2年)7月15日:駅ナカ「エキュート日暮里」が全面リニューアルされ、営業再開[報道 13]

2022年(令和4年)2月26日:JR東日本の南改札口に「お客様サポートコールシステム」導入により業務委託を解除[11]

2023年(令和5年)3月22日:京浜東北線(9・12番線)ホームにてホームドアの使用を開始[報道 14][注釈 3]


1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災の避難列車。日暮里駅(移転前)にて。

1939年撮影。7・8番線ホームから京成電車のりばが見える。

太平洋戦争終戦直後の、日暮里駅4番線における買い出し列車(1946年、影山光洋撮影)

日暮里駅構内乗客転落事故の現場(1952年6月18日)

駅構造ガムテープ製の書体を使用した日暮里駅乗り換え案内図(2008年2月)


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