日時計
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最も正確な日時計はイスラム教の宗教暦(ヒジュラ暦)上の日付をはかるためにインドジャイプールの権力者(カリフ)が石で造った赤道式日時計である。これは記念碑をも兼ねている。
柱型日時計柱型日時計。当日の「月の線」(ローマ数字 I,III,V,VII,IX,XIの環状の線)と指示針の影が重なる部分を通るうねうねし曲がった時刻線の端にあるアラビア数字(5,6,7,8....)を読み取れば時刻がわかる。

柱型日時計の一種、plekhnatonは古代ギリシャ人が開発したものであり、水平(または椀状)の文字盤に垂直な指時針を立てたもので、指時針の影の「先端」が時刻を示す。太陽の高度は季節により変わり、季節が変われば同じ時刻でも指時針の影の先端の位置(先端の一点の位置)は変わるので、季節ごとに異なる点を結ぶように時刻線を引いておけば、補正なしでどの季節の時刻も示すことができる。この文字盤の線は現代ではあらかじめ計算が可能である。柱型日時計は、文字盤の表示が複雑になることが欠点ではある。通常文字盤を2枚用意し、半年ごとに取り替えることで文字盤が複雑になりすぎることを回避する。大きな柱形日時計を作り正確な時刻線を引けば、たとえば公的な広場などの広大な地面に背の高いポール(旗竿)を指時針として立てて正確な時刻線を描けば、非常に正確な日時計になりうる。

柱型日時計には、指示針の先端を用いず、時刻線と直交するような月名を示す線も配置して、つまり網目状の線で時刻を示すタイプもある。その写真を右に示す。

また柱型日時計の亜種として、日付ごとに指時針を立てる位置を変えるアナレマティック日時計がある(次節で解説)。
アナレマティック日時計(かげぼうし日時計)アナレマティック日時計(影法師日時計)

アナレマティック日時計(en:Analemmatic sundial)は垂直に棒状のものを立てるものだが、指時針が固定されていないのが特徴であり、日付により指時針を立てる位置を微調整しなければならない。柱型日時計の一種で、英語では「カルジオイド日時計」とも。指時針に棒を使わず代わりに人が立ってもよい。たいていは観測者自身が指時針として文字盤に書かれた日付の上にまっすぐ立ち、自分自身の影の向きで時刻を読み取る。人の影を利用する場合だけ日本語では「影法師日時計」と呼ぶ。

柱型日時計は文字盤(時刻を意味する多数の線群)が概してかなり複雑になる傾向があるのに対して、アナレマティック日時計だけは時刻の目盛りがきわめて簡潔である。指時針の位置(人の立ち位置)を変えることで季節変動を補正するからである。日本では西脇市黒田庄町と瀬戸市民公園にあるものが知られている。
携帯日時計旅行者用リング型携帯日時計。写真は開いたところであり、携帯時には閉じて平らなリング状にすることもできる。

携帯日時計は野外天体観測のためあるいは宗教的行事を行うために、中世に開発された。最も成功した携帯日時計は、ディプティクという、2枚の文字盤が、ヒンジで固定されているものだった。指針は、文字盤の間に通された紐である。紐がぴんと引っ張られたときに、2つの文字盤はそれぞれが水平式と垂直式の文字盤となった。最高級品は、白い象牙に黒のラッカーで文字を記したもので、紐は絹糸リンネルで作られた。

ディプティクのヒンジが地面と平行で、2つある文字盤が同じ時刻を指したとき、時計は正確に視太陽時を示した。さらにこのとき、ヒンジは真北を示す。またこのとき、紐でできた指針と地面との角度は、その地の緯度も示すことになる。

2つある文字盤による調整は、正午前後と日没直前、日の出直後は使用できない。しかし、午前9時か午後3時ごろの誤差は4分である。

これは、ディプティクが、方位磁針や緯度計測器の役目も果たしたということを意味する。いくつかのディプティクは、緯度計測のために、目盛りとおもりのついた紐もついていた。また、地理的な角度測定をするための羅針図付きのものもあった。大きなディプティクは古代において(船などの)操縦に使用された。小さくポケットサイズのものもあった。

最も小さな携帯式日時計は、穴付きの突起がついた指輪や、ネックレスにつけられた装飾だった。これは日時計を所持していることを知られないようにするための細工でもあった。日光に当てると突起部分の影は指輪自身にかかり、その内側に記された目盛りで時刻を知ることができる。この形状のものは、観測者は今が昼か夜か、午前中かどうかは知っている必要があった。突起についた穴の位置は緯度により調整する必要があるため、この部分は動かして穴の位置が変えられるようになっていた。これは主に塔などに幽閉された人物などがこっそり使うためのものだった。

日本では、江戸時代に紙の携帯式日時計があった。これは、指針の部分がこよりになっており、立てて影の長さでおよその時刻を知るというもので、当日の日付さえ分かっていれば、それなりに正確に時刻を出すことができた。これは旅人が好んで使い、フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトの記述にも残っている。

反射式日時計(はんしゃしき-。reflection sundial)と呼ばれることがあるものは、南に窓がある部屋用であり、「アイザック・ニュートンが開発した」と言われていた、かなり特殊な日時計であり、指時針は無く、窓から入った太陽光を固定した小さな鏡に反射させ、その光が天井などに当たる位置で時刻を読み取る。鏡が小さければ「点状の光」となって天井(や壁)の一点を照らし、その一点が太陽の位置の変化とともに移動してゆくので、天井(や壁面)に時刻を示す点や線を描けば日時計となる。作成は大変で、毎日定時ごとに天井に時刻の印をつけていき、1年かけてようやく完成した。一旦完成すれば、驚くほど精密であった。

1943年になってオルシュティンにあるニコラウス・コペルニクスの居城オルシュティン城で同じ原理のものが発見された。これにより、この型の日時計の発明者は(ニュートンではなく)コペルニクスとされるようになった。なおコペルニクスのものは城内のある場所に鏡を置くと反射した光が壁の印の上を移動するというもので、1日の間で時刻を知るためにこれを用いたわけではなく、1年の長さを厳密に求めるために使ったと考えられる。コペルニクスのものは1年という巨大な時間を厳密に計測するための装置ではあるが、これも含めて「日時計」と呼んでも特に差し障りは無いだろう。
正午計

正午計は南中の時刻を知るのに特化した日時計をいう[3]

近代以後、機械時計が普及してもラジオ放送などが普及するまでは正確な時刻を知ることは容易でなく、懐中時計であれば時計屋に正確な時刻の時計があれば合わせることができたが、柱時計などは作動したまま運ぶことはできずそれだけでは正確な時刻に合わせることは困難であった[3]。そこで南中を基準に簡易な日時計などが使用されたが、後に南中を知るのに特化した正午計と呼ばれる日時計が用いられるようになった[3]

地球の運動速度は一定でないため、太陽は正午に真南に来るとは限らない。しかし、毎日、正午に日時計の指針の先端の位置を記しておき、これを1年続ければ、翌年以降も正午のみを示す日時計を作ることが可能である。さらにこの影の位置を天文学的な計算から算出し、正午専用日時計をあらかじめ作って設置することも可能である。


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