日御碕神社
楼門
所在地島根県出雲市大社町日御碕455
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度25分46.4秒 東経132度37分45.5秒 / 北緯35.429556度 東経132.629306度 / 35.429556; 132.629306
日御碕神社(ひのみさきじんじゃ)は島根県出雲市の日御碕に鎮座する神社。通称、みさきさん。出雲大社の「祖神(おやがみ)さま」として崇敬を集める。社殿12棟などが国の重要文化財に指定されている。 当社は、上下の2社あり、上の宮を神の宮、下の宮を、日沈宮(ひしずみのみや、日?の宮)と称し、2社を総称し日御碕神社(日御碕大神宮)と呼ばれる。古くは『出雲国風土記』に美佐伎社、『延喜式』に御碕社とあり[1]、地元では「みさきさん」とよばれる[2]。 社伝によると、素盞鳴尊は出雲の国造りの後、熊成峰[注 1]に登り、鎮まる地を求めて、柏葉を風で占うと隠ヶ丘[注 2]に止まった。そこで御子・天葺根命は御魂をその地で奉斎したと伝わり、隠ケ丘(古墳)が現・社殿の裏側にある[1]。日沈宮は元は文島(現・経島)に鎮座し、天葺根命が文島にいたとき、天照大神が降臨し、「我天下の蒼生(国民)を恵まむ、汝速かに我を祀れ」との神勅によって奉斎したのが始まりと伝わる[1]。 平安時代末期に後白河上皇が編纂した『梁塵秘抄』に「聖の住所(すみか)」として記される修験の聖地である[3]。神の宮(上の宮)は、現・社殿の背後にある隠ヶ丘に鎮座していたが、安寧天皇13年(紀元前536年)に、勅命により現在地へ遷座し、日沈宮(下の宮)は、経島(日置島)に鎮座していたが、天暦2年(948年)に村上天皇の勅命により現在地に遷座したと伝わる[2][3]。 古くから朝廷からの崇敬が厚く、鎌倉時代以降も幕府からの崇敬があり、社殿の修造が行われている。出雲国松江藩初代・堀尾忠氏は、社領780石余を与え、徳川幕府も600石を与えている[1]。山陰において出雲大社に継ぐ大社とされる[4]。 日?宮、神の宮の現・社殿は、江戸幕府3代将軍・徳川家光の命で、松江藩主・京極忠高により、日光東照宮完成直後の寛永11年(1634年)に造営が始まり、寛永21年(1644年)松平直政の代で竣工する[2]。以降、歴代藩主により崇敬される[4]。両宮とも日光東照宮を模した権現造りである[2]。三猿や龍の彫刻も日光東照宮と瓜二つである。 明治4年に、国幣小社に列する。 「日沈の宮」の名前の由来は、創建の由緒が、伊勢神宮が「日の本の昼を守る」のに対し、日御碕神社は「日の本の夜を守れ」 との「勅命」を受けた神社である事による[5]。 日?宮、神の宮、楼門、回廊、禊所、宝庫、門客人社など12棟の社殿や鳥居2基、石灯篭5基が国の重要文化財に指定されている。 以下の祭神を祀る[4]。 ※以下(重文):国の重要文化財のこと。
歴史
祭神
日沈宮(下の宮)
主祭神
天照大御神
配祀神
天忍穂耳尊
天穂日命
天津彦根命
活津彦根命
熊野樟日命
神の宮(上の宮)
主祭神
素盞嗚尊
配祀神
田心姫命
湍津姫命
市杵島姫命
境内日御碕神社と経島(日沈宮・下の宮の元・鎮座地)周辺の航空写真
1976年撮影
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス
鳥居:(重文)
楼門が見える位置に御影石造鳥居があるが、元は、かつての参道入口の宇龍(出雲市大社町)にあったが、1935年(昭和10年)に現在地に遷された。 移転の際に銘文が見つかり、寛永16年(1639年)に徳川家光寄進と判明。神社西にある清江の浜の入口にある鳥居も、家光寄進[3]。
手水舎
社務所
楼門:(重文)
回廊:(重文)
石燈籠:(重文)
禊所:(重文)
宝庫:(重文)
神紋石舎
鳥居(宇龍から移設)
下の宮 回廊
下の宮 禊所
宝庫
日沈宮(下の宮):(重文)境内からすぐの清江の浜の前の経島(日置島)に鎮座していた「百伎槐社」が、村上天皇の勅により、天暦2年(948年)に現在地に遷座と伝わる。内部は、上段と下段の間に分かれ、古文書によると上段の間は、「神楽所」と呼ばれていたとされる[3]。
本殿
幣殿
拝殿
玉垣
神の宮(上の宮):(重文)現・社殿背後にある隠ヶ丘に祀られていたが、安寧天皇13年に現在地に遷座したと伝わる[3]。
本殿
幣殿
拝殿
玉垣
日沈宮(下の宮)
拝殿(左)・本殿(右奥)・玉垣(本殿を囲う)