日光市
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市町村合併後の日光市街とは、旧今市市の中心市街を指す[5]大谷川(だいやがわ)が形成した今市扇状地に当たる[4]。従来の「日光」市街は、鬼怒川支流の大谷川中流に在る渓谷の左右河岸、標高600メートル前後の平坦地に形成されている。大谷川をさらに遡ると馬返に達し、ここで平坦地は終了する。馬返の西側は峻険地で、いろは坂を境としてその西側に堰止湖である中禅寺湖沿岸部に標高1,200メートル前後の平坦地が存在するほか、やはりかつての堰止湖で現在は戦場ヶ原と呼ばれる湿原である標高1,400メートル前後の平坦地、さらに同じく堰止湖である湯ノ湖沿岸部に標高1,600メートル前後の平坦地が存在する。

なお、宇都宮市への通勤率は10.4%(平成22年国勢調査)。
気候

年間降水量は1,600 - 2,100mm程度で、うち約2/3は6 - 9月の降水であり、冬季(12 - 2月)の降水量は合計100 - 180mm程度と少ない。湿度は夏季が85 - 90%と非常に蒸すのに対し、冬季は65%程度と乾燥する。気候は、山間部では冬季に最大30 - 70cmの積雪を呈するものの、おおむね夏季に多雨で高湿となり冬季に少雨で乾燥するという、典型的な太平洋側気候を呈している。ただし、冬の寒さは他の関東地方の主要都市よりも数段厳しく、市街地でも最低気温は?5℃以下になることも珍しくなく、最高気温が氷点下の真冬日になることもある。奥日光地区はさらに寒さが厳しく北海道並みとなり、?10℃以下になる日もある。市内には気象庁によって中禅寺湖畔(1291.9m)に気象官署、旧栗山村の土呂部(925m)、五十里(620m)、日光東町(561m)の3か所にアメダスが設置されているが、日光東町での観測は2022年11月に開始されており、それまでは旧今市市の今市(414m)で観測されていた。日光市街地の気温は、今市のアメダスより1 - 2度程低いものと推測される。奥日光の気候については「奥日光#気候」を参照

今市(標高414m) (1991-2020年)の気候
月1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月年
最高気温記録 °C (°F)15.4
(59.7)19.6
(67.3)23.2
(73.8)28.0
(82.4)31.9
(89.4)35.9
(96.6)35.6
(96.1)35.0
(95)33.0
(91.4)29.3
(84.7)21.7
(71.1)21.7
(71.1)35.9
(96.6)
平均最高気温 °C (°F)5.9
(42.6)6.8
(44.2)10.5
(50.9)16.1
(61)20.7
(69.3)23.2
(73.8)26.7
(80.1)28.0
(82.4)24.2
(75.6)18.8
(65.8)13.7
(56.7)8.5
(47.3)16.9
(62.4)
日平均気温 °C (°F)0.6
(33.1)1.3
(34.3)4.7
(40.5)10.2
(50.4)15.3
(59.5)18.8
(65.8)22.4
(72.3)23.4
(74.1)19.8
(67.6)14.1
(57.4)8.2
(46.8)3.0
(37.4)11.8
(53.2)
平均最低気温 °C (°F)?3.8
(25.2)?3.4
(25.9)?0.5
(31.1)4.6
(40.3)10.4
(50.7)15.0
(59)19.0
(66.2)19.8
(67.6)16.1
(61)10.1
(50.2)3.6
(38.5)?1.3
(29.7)7.4
(45.3)
最低気温記録 °C (°F)?11.1
(12)?12.4
(9.7)?11.0
(12.2)?5.1
(22.8)0.6
(33.1)6.7
(44.1)10.6
(51.1)12.0
(53.6)6.3
(43.3)?1.0
(30.2)?4.5
(23.9)?8.6
(16.5)?12.4
(9.7)
降水量 mm (inch)49.1
(1.933)40.8
(1.606)99.3
(3.909)133.5
(5.256)167.7
(6.602)225.0
(8.858)286.1
(11.264)302.5
(11.909)299.5
(11.791)218.1
(8.587)85.3
(3.358)45.3
(1.783)1,949.8
(76.764)
平均降水日数 (?1.0 mm)4.45.39.110.911.915.717.716.915.110.86.64.8129.0
平均月間日照時間191.8183.2190.4186.9179.0114.7116.9137.2112.4129.2162.2182.41,890.8
出典1:理科年表
出典2:気象庁 (平均値:1991年-2020年、極値:1978年-2022年)[6][7]

五十里(標高620m) (1991-2020年)の気候
月1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月年
最高気温記録 °C (°F)13.5
(56.3)17.7
(63.9)23.0
(73.4)30.0
(86)30.3
(86.5)33.3
(91.9)35.1
(95.2)33.8
(92.8)31.2
(88.2)26.4
(79.5)21.4
(70.5)17.8
(64)35.1
(95.2)
平均最高気温 °C (°F)2.8
(37)3.8
(38.8)8.0
(46.4)14.6
(58.3)19.5
(67.1)22.1
(71.8)25.7
(78.3)26.9
(80.4)22.4
(72.3)16.8
(62.2)11.7
(53.1)5.8
(42.4)15.0
(59)
日平均気温 °C (°F)?1.7
(28.9)?1.0
(30.2)2.6
(36.7)8.4
(47.1)13.6
(56.5)17.3
(63.1)21.1
(70)21.9
(71.4)17.9
(64.2)12.0
(53.6)6.2
(43.2)1.1
(34)10.0
(50)
平均最低気温 °C (°F)?5.5
(22.1)?5.3
(22.5)?1.9
(28.6)3.1
(37.6)8.4
(47.1)13.4
(56.1)17.9
(64.2)18.7
(65.7)14.6
(58.3)8.2
(46.8)1.8
(35.2)?2.7
(27.1)5.9
(42.6)
最低気温記録 °C (°F)?15.4
(4.3)?16.5
(2.3)?17.0
(1.4)?6.0
(21.2)?0.6
(30.9)3.5
(38.3)9.3
(48.7)9.3
(48.7)3.7
(38.7)?3.8
(25.2)?8.5
(16.7)?13.1
(8.4)?17.0
(1.4)
降水量 mm (inch)62.4
(2.457)45.4
(1.787)83.3
(3.28)108.9
(4.287)127.0
(5)162.1
(6.382)225.7
(8.886)237.7
(9.358)276.0
(10.866)167.3
(6.587)71.9
(2.831)59.6
(2.346)1,627.2
(64.063)
平均降水日数 (?1.0 mm)9.18.19.19.710.614.316.615.014.010.67.18.6132.8
平均月間日照時間134.6142.5176.8186.2183.6135.3135.8150.0112.6122.3136.6135.21,754.9
出典1:理科年表
出典2:気象庁 (平均値:1991年-2020年、極値:1977年-現在)[8][9]

上記の4地点に加えて足尾アメダスでは降水量のみが観測されている。

足尾(1991-2020年)の気候
月1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月年
降水量 mm (inch)47.1
(1.854)42.2
(1.661)96.1
(3.783)128.9
(5.075)150.5
(5.925)185.7
(7.311)257.3
(10.13)285.1
(11.224)296.1
(11.657)191.5
(7.539)80.5
(3.169)46.7
(1.839)1,807.6
(71.165)
平均降水日数 (?1.0 mm)5.26.29.210.411.714.416.415.714.511.47.15.6127.7
出典1:理科年表
出典2:気象庁 (平均値:1991年-2020年、極値:1976年-現在)[10][11]
神橋

日光連山男体山女峰山赤薙山帝釈山大真名子山小真名子山太郎山、根名草山、温泉ヶ岳奥白根山)、皇海山、錫ヶ岳、庚申山、鬼怒沼山、帝釈山

鬼怒川大谷川、男鹿川、田川渡良瀬川

華厳の滝竜頭の滝湯滝霧降の滝裏見滝、寂光滝

中禅寺湖湯ノ湖五十里湖八汐湖川俣湖

湿原戦場ヶ原小田代原鬼怒沼

温泉日光湯元温泉鬼怒川温泉川治温泉湯西川温泉奥鬼怒温泉郷

歴史

江戸時代以前、日光は日光山門前町修験道の道場であり山岳信仰の聖地であった。鎌倉時代には日光権現として知られていた。その後、徳川家康が覇権を握ると家康に仕えその深い信頼を得ていた慈眼大師天海が家康の力により日光山貫主となり、家康の死後はその進言により家康の神号が権現となり廟所も日光東照宮となった。日光が参詣客(物見遊山)で賑わうようになったのはこの頃からである。日光参詣のために、日光街道を初め、日光西街道(壬生通り)、日光例幣使街道、日光北街道、会津西街道など、多くの参拝路が整備された。

明治時代に入ると富国強兵の国策のもと、海外からお雇い外国人が渡航するようになり、当時海外にも広く知られていた景勝地日光を訪れる外国人が増えた。イザベラ・バードフランツ・フェルディナント大公は日光滞在中の出来事を手記として残し、当時の日光の様子を知る貴重な文献として知られている。こうした外国人が日光に快適に滞在・宿泊するため、ホテルなどの施設が整備され、以後、国際観光都市として広く世界に知られるようになった。特に日本駐在大使館領事館の別荘が多く建てられ、「夏になると外務省が日光に移る」といわれるほどであった。


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