旗振り通信
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これを台付という[19]
視界不良時

雨天時など視界が悪く旗振り通信が使えない場合は、視界が回復するまで待つか、飛脚を使った。明治後期には電報が使われた[20]
旗振り通信の再現実験

1981年(昭和56年)12月、西宮市在住の会社員が中心となって、大阪市堂島岡山市京橋との間に25の中継点を設定し、旗振り通信が再現された。スモッグによる視界不良を原因とする中断を挟みつつ、約167kmを2時間17分かかって通信、10番目の中継点である明石市金ヶ崎山と終点の岡山市京橋との間では内容が正確に伝えられた[21]。ちなみに、これに先立って同年8月に行われたテストは通信が途切れる、伝達すべき数字が大きく狂うといったトラブルが生じ、失敗に終わった[22]。その後1984年(昭和59年)と1991年平成3年)にテレビ番組が再現実験を行い、放映された[23]
脚注[脚注の使い方]
注釈^ 米のほか油・株式・金銀の相場情報の伝達に用いられた(柴田2006、19頁。)。
^ 当初は電話の接続に時間を要した(大阪和歌山間で1時間以上)ことから旗振り通信が用いられたが、大阪市内に高層建築物が増えたことや1914年大正3年)12月以降市外電話の予約ができるようになったことから旗振り通信は廃れていった(柴田2006、6-7頁。)。
^ 柴田昭彦は、現代では都市部で1里(4km)以下、郊外で2里(8km)ないし3里(12km)が限界だと述べている(柴田2006、8頁。)。
^ 柴田昭彦は、1時間40分前後は飛脚を走らせるのに要した時間を除外した時間であろうと述べている(柴田2006、9頁。)。

出典^ 柴田2006、25頁。
^ 柴田2006、2・7頁。
^ 柴田2006、2頁。
^ 柴田2006、4頁。
^ a b 柴田2006、5頁。
^ 柴田2006、5-6頁。
^ 柴田2006、20-22頁。
^ 柴田2006、6-7頁。
^ 柴田2006、9-10頁。
^ a b c d 柴田2006、14頁。
^ 柴田2006、10頁。
^ 柴田2006、14-15頁。
^ a b c 柴田2006、15頁。
^ 柴田2006、7-8頁。
^ a b 柴田2006、8頁。
^ 柴田2006、24-25頁。
^ a b 柴田2006、9頁。
^ 柴田2006、15-17頁。
^ a b 柴田2006、18頁。
^ 柴田2006、20頁。
^ 柴田2006、26-33頁。


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